血と愛
□17:日の当たる場所
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夢を見ていた。
永い、永い夢を。
寂しく、辛く、哀しく。
切なく、ひどく愛しい。
その夢の終わりに、眩い光が私を包んだ。
暖かく、懐かしいぬくもりに包まれて、知らず安堵の吐息が漏れる。
ああ、この何とも言えない安心感を、私は知っている……否、知っていた。
意識は光に融合し、個人としてのソレはすぐに消え去ると思っていたのだが。
どういうわけか、私は私のままだ。
どこか奇妙な気がしたが、死後の世界とはこういうものなのだろうか。
いや、それとも私の『心臓』は成歩堂の体の中にあるから、本当の死というものは訪れていないのかもしれない。
では、この状態は何なのだろうか……ふわふわと、宙に浮いているような感覚。
妙に鮮明で冷静な己の意識。
しばらく呆然と、光の中で揺蕩うけれど、特に変化は起こらなかった。
ただ、この空間はとても、この上なく居心地が良い。
かつてないほどの安らぎを覚え、ともすれば自然と涙が溢れそうになるこの感覚を、どう言えばいいのか。
爽やかで、穏やかな風がどこからともなく吹いている。
小川のせせらぎ、草花の香りが満ちて。
ふと瞬きをすれば目の前には、広大な草原が広がっていた。
久しく目にすることのできなかった、眩しい日差しの下で、草花が風に揺れている。
咄嗟に両手を見るが、灰になることもなく青白い素肌が、そこにあった。
絶句する私の脇を、前触れもなく通り過ぎる存在に驚く。
目で追えば、それは少年だった。
小さな……かつて『人間として暮らしていた私』が、歩いていたのである。
唖然としつつもその少年の背中を追えば、草原の向こうに、懐かしい父母の姿が見えた。
いよいよ、状況のおかしさに目を瞠る。
そもそも私はここに居るというのに、二人を目指して、小さな私が駆けていくのだ。
髪や洋服を、爽やかな風になびかせながら。
真昼の草原に、両親が並び立つ光景は、決して私の記憶にはない。
何故なら、母はともかく父は一度とて、日の光の下に立ったことはないのだから。
ついに父母のもとへと辿り着いた少年は、何の躊躇いもなくその腕の中に飛び込んだ。
母がその小さな背中を撫で、父が体を抱き上げる。
それはとても、とても奇妙な矛盾を抱えていながらも、ひどく懐かしいと思える光景だった。
ああ、……そうだ。
私は確かに、あの少年として過ごした日々に、世界で一番愛されていると。
幸せだと、思えていたのだ。
少年がくるりと振り返る。
それにつられたかのように、父と母が私を見つめた。
とても、とても長い間の邂逅に思えたけれど。
時間にしてみれば、ほんのひと時だったのかもしれない。
ふわり、彼らが笑う。
笑いながら、手を差し伸べてくれた。
けれど……私には、その手をとる資格などないように思え、ただ立ち尽くすことしかできなかった。
途端に、様々な言葉にし難い感情の奔流が、この胸を、魂を震わせる。
悲哀も、後悔も、罪も、罰も。
ありとあらゆる全てを、いっそ記憶ごと抱えて消えてしまいたいと、思っていたのだ。
本当は、最初から。
一族全てを殺されて、人間ではなく、かといって純粋な吸血鬼でもない半端な存在となった、あの時から。
たった独りで。
現実は辛く、苦しく、哀しかったから。
確かに私は、独りだった。
誰にも吐露することなく、押し殺した心の奥の奥で、自分は世界一の不幸者だと。
己の運命に嘆き、慟哭し、叫んでいたのだ。
けれど。
『僕が傍に居るよ!』
ああ。
ああ、……そう。
辛かった。
苦しかった。
哀しかったし、君を恨んだ。
けれど、私は決して。
不幸などでは、なかったのだ。
今さらのように、気づいたこの事実は歓喜を呼んだ。
涙がいくつも零れ落ち、唇の端が持ち上がるのを、止めることなどできない。
潤む視界をそのままに、改めて、懐かしく愛しい、二人を真っ直ぐに見つめた。
重ねた罪深さを思えば、決して堂々と佇めるような心境にはなれない、けれど。
それでも、二人の息子として、世に生を受けたことを。
成歩堂と出逢うことができた、この人生の因となった、彼らを。
敬愛し、感謝の念を抱くことだけは、赦してもらいたいと思った。
そのようなこちらを前に、父母は苦笑とも微笑ともとれる笑みをひとつ零し、それから、小さな『私』の耳元に何事かを告げる。
うん、とひとつ頷いた少年が、小走りで私のもとへとやって来ると。
そのまま、問答無用でこの手を引き、どこかへと連れて行こうとするのだ。
困惑して遠のく彼らを見れば、慈愛溢れる眼差しのまま微笑み、軽く手を振っていた。
少年の力は信じられないほど強く、どんどんと両親から遠ざかっていく。
私は何も言えぬまま、二人が寄り添う光景をただ、目に焼き付けるしかない。
「幸せになりなさい」
そう、聞こえたような、気がした。