血と愛

□16:見果てぬ夢
2ページ/4ページ


 年に一度、青いローブを身に着けて、彼の墓標がある半吸血鬼たちの村へと向かう、その途中のことだった。

 暗い森の中、むせび泣く子供の声に惹きつけられたのは、ただの偶然であったのだが。
 いま思えば、必然、だったのかもしれない。


 光を翳して確かめた、その顔を見ればひどく懐かしい想いが込み上げ、不思議に思う。
 なんとも表現し難い感慨に耽る間に、目の前の少年は滂沱の涙を流し始めたので、驚いた。
 そうして、その小さな唇から漏れたのは。


「っ、ごめ、ん、……信じ、られなく……て…!!」

「…………」


 何度も繰り返し、夢に見てきたあの日あの時、成歩堂が紡いだ告白だった。
 彼の魔術は確かに、その威力を発揮したのだろう。
 かつての少年時代を思い起こさせる、その姿はまさしく。

 特徴的な眉尻と髪型だけでなく、名前までもそのままに。
 彼は百年という時を経て、確かに生まれ変わったのだ。


 胸をぎゅぅと押さえながら、喘ぐような悲鳴にも似た、その言葉。
 驚きに声もない私の前で、小さな彼はただ涙を零し続けていた。
 記憶は全て失っていると思っていたのだが、そうではなかったのか。

 私を私として、認識できるのかと。
 そのようなささやかな希望はけれど、名前を尋ねられることによって、すぐさま打ち砕かれた。


 御剣だ、と名乗っても、彼はただ「ありがとう」と繰り返すばかり。
 話せば話すほど、彼が『何もかもを忘れてしまっている』のだと実感し、辛かった。

 けれど、その辛苦すらも飛び越えて、ただ純粋に、嬉しかった。
 また再び、逢えたことが。
 成歩堂の『約束』は、決して私を、裏切りはしなかったのだという、証明に思えて。


 遠くから見守れたらそれでいい、などと、のたまえたのは想像力の無い愚かさゆえ。
 ひとたびその魂に、その光に触れてしまえば、そのような戯言など呆気なく瓦解した。

 結局は、その夜から小さな成歩堂との出会いを、重ねることになる。
 出逢えた夜に青いローブを着ていたことで、彼は私を魔道士の一人と認識したらしい。
 特にそれを否定する気にもならず、そのまま通りがかりの魔道士として接した。


 小さな彼との語らいは、ほんの短時間でのことではあったが、夢のように眩しく、切なく、それでいてこの上もなく楽しいものだった。
 その唇から紡がれる言葉の中に、懐かしい男の名を見つけて、自然とこの口が綻ぶ。

 そうだ、何だかんだと言いつつも、成歩堂は矢張を信頼していたし、一緒に笑っていたのだったな、と。
 あやつもまた、一緒に生まれ変わり、同じようなやり取りの後に親友としてそこに居る。
 それは、まるであの遠い日々を、繰り返しているようで。
 どこまでも微笑ましく、尊いもののように思えた。


 このまま、成長する彼の姿を見守っていければいい。
 そう思えていたのは、けれどほんの一年にも満たない間だけだった。
 森の入り口で、ひと時を二人で過ごす、その瞬きにも満たない時間が。
 いつからか、私にとってはこの上もなく辛いものへと、変化していったからだ。

 子供の成長は早く、それは彼が人間であることの、何よりの証明である。
 対する私はといえば、どれほどの年月が経とうとも、老いない体。
 彼が疑問に思わずにいられる期間など、五年が限度だろう。

 たった、五年……。
 その間にも、彼を取り巻く環境は大きく変わり、私と会う夜などそのうち限られてしまうに違いない。
 友人が増え、交友関係が広がり、何か夢中になれるものが見つかれば。

 きっと私との時間など、優先順位は低くなっていき、やがては忘れてしまうのだ。
 例え今は、『助けてくれた』という恩義を感じて、私を特別な存在だと意識していたとしても。


 いずれは……成歩堂の記憶から、『また』忘れ去られて、しまうのだ。


 そう思い至れば、この心を苛み続けてきた孤独感は、いよいよ耐え難いものとなり、苦しく、狂おしく。
 とうとう何もかもを投げ出して、ただ、彼の名を呼び、慟哭した。
 嫌だと、もう耐えられぬと、無様に涙を流して。

 わけもわからず、目の前で唐突に泣きだされた成歩堂は、心底驚いたことだろう。
 十歳ほどの拙い少年に、何ができるというのか。


 何もしなくていい。
 何も求めてなどいない。


 そう思う一方で、涙は止めどなく溢れ続ける。
 どうせこの瞬間すらも、彼にとっては幻のように儚く過ぎ去るものでしか、ないのだから。

 ならば、せめて傍に居られるこの時、受け止められることのない孤独感を、ぶつけてしまいたかった。
 再び私を独り置いていく、ひどく憎らしい、いとおしい、君に。


 ……けれど。
 成歩堂、君は。


「僕が居るよ! 御剣の傍に、ずっとずっと、一緒に居るから…!」


 大粒の涙を、流して。
 君はそう、言ったのだ。


 あの日の約束を、覚えてなど、いないくせに。

 何も。

 知らない、くせに。


 君はどこまでも、君だったのだと。
 陽だまりを思い出す、その温かな心に触れれば。


 もう手放すことなど、引き返すことなど……できなかった。
次へ
前へ  

[戻る]
[TOPへ]

[しおり]






カスタマイズ