血と愛
□7:堕とされた世界
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大切な親友がいた。
素敵なお師匠様に恵まれた。
もしも自分に妹が居たらこんな感じなのかなって思うくらい、師匠の妹さんとは仲良くなれた。
そして、僕には好きな人ができた。
彼女も好きだと言ってくれた。
有頂天になって、彼女以外目に入らなくなって、矢張のことをとやかく言えるような立場じゃなくなって。
いずれは立派な魔道士になって、彼女と結婚したいな、なんてささやかな願望を抱いた。
そんな……とても平凡で、どこにでもありふれた、幸福な男の日々は。
だけど。
最初に違和感を覚えたのは、転んで傷を負った時。
運悪く砂利道で、尖った小石がいくつも手のひらや膝頭に突き刺さってしまった。
そこから滲んだ血は、あっという間に滴り落ちるほどの量になって。
矢張や周囲の子供たちが顔を真っ青にするほど、ひどい傷を負ったっていうのに。
当の本人である僕はというと……想像していたような痛みがいつまで経っても襲ってこないことに、首を傾げていた。
そう、血が滴り落ちてくるほど深い傷なのに、まるでそこだけ麻痺したように、感覚が鈍くて奇妙な不快感に苛まれるだけ。
痛みって、こんな感覚だったっけ?
そう疑問に思う間も、周囲の方が大騒ぎして。
僕の体は強制的に、医者の前へと連れ出された。
そこで、こんな大きな怪我したのに、よく泣かなかったね、偉いねと褒められて、更に居心地が悪くなったのを覚えてる。
だけどそんなものは、まだ、気のせいかなぐらいで済ませられた。
翌日には傷のほとんどがカサブタになっているのを見て、医者はちょっとビックリしたような顔はしたものの、まぁ若いからね、と笑う。
治癒力が同年齢の子よりちょっと高いんだろう、としか言わなかったし、僕もそうなのかと納得して、そのことはすぐに忘れ去った。
でもあの頃から、僕の体はどんどん変化していったんだと、振り返ればわかる。
いつの間にか風邪をひかなくなって、いつの間にか体調不良というものとは縁がなくなっていた。
だけど代わりに、昼間にひどい眠気が襲ってくるようになった。
抗い難い睡魔に、周囲の人間が『お前ときどきぶっ倒れるから心配だよ』と、からかい半分で言われる始末。
それから、無意識のうちに日光を避けるようになる。
友人に指摘されるまで、気づかなかったほど無意識に、だ。
そのうちに、日焼けを通り越して水ぶくれができるようになった肌。
医者に相談したら珍しい病気だって言われて、治療方法は見つからなかったから、夏でも長袖で過ごすようになった。
闇の中でも目がよく見えるようになって。
夜なのに眠れない日が、段々と多くなっていって。
そうして何より、決定的だったのは。
何を食べても飲んでも消えない、圧倒的な飢餓感だった。
「近寄らないで…! このっ、化け物!!」
あの時かけられた言葉は、まるで泥と汚物の塊でも見るような視線とひび割れた声音ごと、永遠に忘れることはできない。
大けがを負ったはずの腕が、みるみるうちに再生されていくのを、複数人に目撃されたのがそもそも、最悪だった。
誰より信頼していた恋人からは、近寄るなと言われ、すぐさま排除するために動いた周囲の人間たちから、何度も殴られ傷つけられて。
僕はあの日、大好きだった彼女も。
大切だった親友も、尊敬していた師匠も奪われて。
絶望よりもなお暗い、昏い、闇の底に堕とされた。
そうして、堕ちた闇の深淵には。
鋭い牙を隠しもせずに嗤う男が、待っていた。