血と愛

□1:月夜と色のない花
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*1:月夜と色のない花*


 寝覚めは最悪だった。
 思わず舌打ちが漏れる。
 それから、そんな自分の体に絡みつくように回された腕と、すぐ傍に横たわったその腕の主の存在を思い出して、更に気分は最悪の上塗りだ。

 咄嗟に舌打ちを聞かれてしまったかと戦慄に震えるけれど、耳に響く呼吸音は乱れなく、その眠りがいまだ深いものだと知れた。
 薄暗い室内、真っ黒いカーテンで覆われた窓の向こうは、でもまだ薄らと日の光が射しているようだ。
 どうやら日暮れ前か。

 僕はぼんやりと見慣れた天井を見上げて、それからしっかりと回された腕と寄せられた体に、まるで檻のようだなと嗤う。
 いや、実際、この現実の全てが僕にとっては牢獄だった。

 どうせ隣で気持ちよさそうに眠ってる男は、まだまだ起きない。
 なんせ空は藍色にも染まっていない時間帯だ。
 実際に僕が体を起こしても、呻き声ひとつ出やしない。
 まったくいいご身分だ。

 僕はこの男が起きている時には絶対に向けない視線で、見下ろす。
 そう、この時間帯だけが唯一、僕が僕のもので居られるのだから。

 薄暗い部屋の中であっても、まるで銀に煌めいているかのような、美しい男だ。
 月夜にあっては一層煌めく真っ直ぐな髪、白磁の肌にはシミひとつありゃしない。
 瞬くたびにバッサバサ言ってんじゃないのと聞きたくなるような睫毛。
 薄い唇はいつだって勝気な笑みを象る。

 本当に、見れば見るほどに美しい。
 残酷なまでに、ソレは綺麗で。
 だからこそ。


 …………憎い。
 憎い、憎い、憎い。

 許されることならとっくに二百回ぐらい、殺してる。
 殺せるものならいつだって。


 はぁ、と溜め息が口から洩れた。
 駄目だ、さっき見た夢のお陰でどうにも感情のコントロールが効かない。
 目を覚まさないうちに、やるべきことをやらねば。
 僕には、この時間しか自由になる時間がないんだから。

 さぁ、今夜も絶望に揺蕩う夜を迎えよう。





 バタン、どたどたどた、ガタン、という音が響く。
 どうやら起き出したらしいな、と軽く溜息を吐いた。
 もうあとちょっとでアップルパイが焼き上がるっていう、この大事な時に。

「成歩堂、どこにいるのだッ、成歩堂?!」

 あーはいはいはい、毎度うるさいなぁ。
 どこにいるって、僕がこの屋敷以外のどこに行けるっていうんだよ。
 くまなく探せばそのうち見つかるってのに、怠惰はいけないよ、怠惰は。
 そう心底では悪態つきまくりつつも、僕は扉を開いて「ここに居るよ」と声を出す。

 そうすれば、大きくなる足音と一緒に廊下の奥から目覚めた男が現れて。
 かと思えば瞬時にその体は眼前に迫り、大迫力なその美貌が憤怒の色を湛えてそこにある。

「君はッ、何度言えばわかるのだ! 目覚めた私の傍に必ず居るようにしろと、何度も何度も言っているだろうッッ。君はいつでも私の傍に居なければならんのだと!!」
「うん、耳タコで聞いてますけどね。昨日お前が自分から僕の手作りパイが食べたいなんていうムチャ振りしたのはもう忘れたのかな?」
「忘れるはずがなかろうッ! どれだけ楽しみにしていたと思っているのだ!! だが、目覚めた時に君が傍に居ないのは許されないことなのだッッ」

 そう言いながら目が覚めてパイが出来上がってなかったら、それはそれで愚鈍だの何だのと貶すのはどこのどいつだ。
 勝手なこと抜かしてんじゃねーぞこのボケ、という悪態はモチロン心の奥底に沈めて、僕はにっこりと笑う。

「うん、ごめんね。パイはもういらない?」
「いるに決まっている! だが、その前に君だ」

 そう言うなり、抱きしめられた。
 有無は言わせないし、僕もとっくに言うつもりはない。
 首筋に押しつけられた牙と、それが僕の肌を突き刺して侵入していく感触も、もう。

 少しの痛みすら、じんと痺れるような快感として広がってしまう己のその感覚が。
 ひたひたと、心臓が凍るような絶望をもたらすのも。
 吐き気すら覚えなくなってしまった、抗えない自分自身に慟哭するのも。

 それすら、慣れてしまったのだ。


「あーあ、やっぱり焦げちゃった」

 取り出したパイは見事に黒々と墨色に染まり、苦み走った香りを醸し出している。

「捨てることはない、君が焼いたのだ、君が食せばよい」
「僕がかよ」

 そこはせめて「私が」とかさぁ、優しさ見せようよ。
 大体がお前のせいで焦げたんだろうが、というツッコミも言ったところで無駄だ。
 僕の血という食事を終えて、上機嫌なヤツにはどうせ意味がない。

「フッ、君は私の下僕だ、私の目覚めには必ず傍に居なければならんし、私の意識の無いところで動いてもいけない。これは罰なのだ、心して食したまえ」
「あーはいはい、有り難く頂戴しますよ、ご主人様」
「君は永遠に私のものだ、我が眷族として正解だった。これで君は死なない」
「うん、ホント有り難うございます、灰になるまでお供しますよ」


 だから御剣。
 いつか必ずお前を日の光の中に引きずり出してやる。

 必ず……必ず。


 僕がお前を、灰にしてやる。
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