片恋日和

□片恋日和_05
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 浮上した意識が最初に感じたのは、慣れない布団の香りだった。
 自分を包む温もりや寝転がったマットの感触は最高で、まるで雲の上に居るような錯覚に陥る。
 自分ちのぺったんこな布団とは大違いだな、なんて夢うつつにそこまで考えて、それから一気に脳内が覚醒した。


「……ぇええっ……?!」

 ガバリと起き上がれば、シックな藍色のカーテン、その隙間から差し込む陽射しにボンヤリと照らし出された、見慣れない室内が目の前にあって。
 慌てて自分の体を確認すれば、ワイシャツにスラックスのままで、キングサイズのベッドの上だった。
 触り心地のいい毛布と、しっかりとした低反発のマットレスが、さっきまでの寝心地の良さの正体だったと気づく。

 ここは一体、どこだろう。
 僕は昨日、確かいつもの三人で飲んでいて……と、そこまで思い返すなり、鮮烈な記憶がブワッと蘇ってきた。

 都合がよく一切覚えてない、とか言えたら良かったんだろうけど。
 悲しいことに僕は、どんなに酔っても記憶は鮮明に覚えてしまっている性質だった。

「ま、まさか……」

 御剣の体に泣いて縋って、抱きついて離れないまま寝込んだところまで、バッチリはっきり記憶に残っている。
 そうして、この高級感溢れる寝室の様子と、そんな場所でワイシャツ&スラックスで寝転がっていた僕。

 点と点が一本の線になって真実という名の現実を見つければ、脇汗と冷や汗とあぶら汗とその他モロモロで、この体はブルブルと震え出した。
 なるべくそっと、物音を立てないように気をつけながらベッドを降りた時。


「起きたのか。おはよう、成歩堂」

 そう言って、いつものかっちりスーツじゃなく、かと言ってラフな格好ってわけでもないワイシャツにスラックス姿の御剣が、扉を開いて現れた。
 その顔は、相変わらず無表情のまま、あまりにも普段通りすぎて。

「あ、おはよう……じゃなくて!」

 思わず反射的に朝の挨拶を返してしまった。すぐに頭を振って、大量に湧き上がった疑問たちを脳内で整理する。

「あの、ここって、もしかして」
「ああ、私の家だ。君は昨夜、深く酔ってしまい、かつ寝入ってしまったのだが……いっこうに体を離そうとしてくれないものでな。家に送り届けるよりも、こちらに連れて来た方が無難だと判断した結果の、いまだ」

 淡々と、あくまでも平淡な声で綴られる、昨夜の僕の失態に、思わず声にならない呻きが喉の奥から零れた。
 改めて突きつけられるまでもなく、御剣に縋りついた時に感じた体温とか香りとか、その時に抱えていた苦しい想いごと、ガッツリ思い出せるわけで。
 穴があったら、地球の裏側まで掘りたいと思うほどには、今さらのように羞恥心が競り上がってきて居た堪れない。

「え、ええと……とりあえず、色々と迷惑かけてゴメン」
「ふム、確かに色々と大変だったが、迷惑をかけられたとは思っていない。これでひとつ貸しができたと思えばな。私の貸しは高くつくぞ」

 覚悟しておくといい。
 腕を組んで、尊大な態度でそんなことを言う。
 でも親友を豪語する僕には、その態度がわざとであることはモチロン、こっちが後ろめたくならないように配慮された言葉たちであることも、ちゃんとわかった。

 ああ、また。
 こうやって御剣は、どこまでも不器用に、僕を甘やかそうとするんだ。

 そうして、僕は今までその甘さに、どっぷりと浸かって蕩けて、あたかもそれが当たり前みたいに享受していたんだってこと、を。
 今さら、本当に今さら自覚して、じくじくとした痛みがこの胸に広がっていく。

「……怖いなぁ。お手柔らかに頼むよ」

 声が不自然に震えないように、細心の注意を払いながら、へらりと笑えば。

「フッ、利子つきで返してもらえる時を楽しみにしていよう。ちなみに、朝食を用意したのだが、こちらは友人としての厚意だ。まずは顔を洗ってきたまえ」
「あ、うん。……ありがとう」

 本当は、もっと他に言うべき言葉があったんじゃないか。
 そう思いながらも、でも確かに空腹だったし、よくよく考えてみれば今日は平日で、御剣も僕もそんな悠長にしている時間はなかった。

 慌ただしく洗顔して、使用していいと渡された使い捨ての歯ブラシで、歯を磨く。
 そうしてリビングに辿り着けば、トーストとインスタントスープっていう、思わず拍子抜けするほどには普通の朝食が、用意されていた。

「お前も人間だったんだな」
「なんだソレは。私は生まれてこの方、人間以外の生命体になった記憶はないぞ」
「いや、うん、そうなんだけど。お前が朝から普通に食事とってるのって、なんか新鮮。早朝からめちゃくちゃ優雅に紅茶とか飲んでるイメージだったから」
「ふム、寝覚めの一杯は確かに紅茶だが」
「うーわ、言っちゃったよ。朝から紅茶とか……ユウガデスネー」

 そんな、親友として交わされる会話は、どこまでもいつも通りだったから。
 僕は内心で湧き上がる感情を、どこか持て余しながらも、言うべきことが何も言えなかった。

 きっとこの時、本当はちゃんと、伝えるべきだったのかもしれない。
 だけど、時間がなかったのも本当で、結局は朝食をご馳走になって、その後は二人して御剣の家を出る。
 駅まで送ると言ってくれたのを、僕は「子供じゃないんだから」と断って、マンション前で別れることになった。

 それじゃぁねと、軽く手を振る僕を見る、御剣の表情や仕草に、何かしら違和感があったわけでもない。
 それなのに。


「……成歩堂」
「うん?」

 気がつけば、真っ直ぐに僕へと向けられたその視線には、どこまでも深く熱い、静かな想いが、あった。

「君の気持ちは、必ず届くだろう。幸せを、心から祈っている」


 さようなら。


 一言もそんなこと、言われてないのに。
 どうしてなのか、僕にはそう、ハッキリと聞こえたような気がした。
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