彼の息子について。

□僕と彼と、彼の息子について。
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 随分と落ち込んでいるな、と。
 待ち合わせ場所で合流した時から、気づいてはいた。

 とはいえ、まずは夕食とって、落ち着いてからゆっくり話でも聞いてやればいい。
 僕はそう判断して、本日の目的地まで他愛もない話を振りながら歩いた。

 今夜は御剣からの誘いだから、ちょっと豪華なイタリア料理の店だ。
 十五年以上もの空白を超えて、再び親交を深めることができたのは、そりゃもう海より広い僕の心があったればこそだけど。
 それともうひとつ、きっかけを作ってくれたのが、食事だった。

 御剣の食生活と、僕の食生活はとんでもなく大きな隔たりがあって。
 それはつまり、会うたびに異文化交流のような感動を、お互いに抱かせた。
 まぁぶっちゃけ、僕は絶対に手が出せない高級料理を御剣の奢りで堪能し。
 一方の御剣も、僕の奢りで屋台ラーメンやコンビニおでん、果てはカップラーメンまで幅広く『堪能』したわけだ。

 この世にはこんなにも素晴らしい食べ物があったのか、だなんて、とあるメーカーのカップラーメンを掲げ持って感動しまくってたし。
 あの時のあの顔には、本当に笑わせてもらった。

 そんなこんなで、僕らはもっぱら互いの都合がついた仕事帰りの夜なんかに、おススメの店を教え合う。
 そんな関係性を、気づけば一年近くも築いていた。


「ふぅー、この店もなかなか美味いな!」
「うム」

 基本的に御剣は無口、無表情、無愛想。
 三拍子揃っているから、大抵は僕が取り留めもない話題を提供して、それに御剣が二言三言、素っ気なく答えるっていうのが通常の会話風景だ。

 僕が少しでも口を休ませれば、そこで会話は終了してしまうけど、訪れる沈黙は穏やかな時間を刻むだけで気まずくはならない。
 でも今夜は、その穏やかなはずの沈黙が、何故だか重かった。
 だから僕は、何気なく軽い口調で聞いてみた。
 何かあったのか? と。

 はっきり言って、僕に力になれることなんて大してないことは、他でもない自分がよくわかってる。
 何しろ知力、行動力、財力、社会的地位とかとか、どれをとっても御剣の方が勝っているし。
 ……あまり考えるとムカつくだけだから、この事実に関しては普段は忘れたフリをしているけどね。

 だから、ぶっちゃけ本当に軽い気持ちだった。
 職業的な話で悩んでいるというなら尚更、守秘義務があるし対立関係にある僕には、絶対に打ち明けないだろうから。

 でも料理はウマかったし、御剣の奢りだし、少しでも楽にしてやることができるなら、話しを聞くぐらいはするぞ。
 そんな感じで、僕は御剣が抱える事情ってやつを、聞き出したわけだけど。
 その内容は、高級イタリア料理店でワイン片手にするような話じゃ、なかった。





「というわけだ。成歩堂、私はいま、この上もない窮地に追いやられている」

 普段の無口っぷりはどこ行った? とか聞きたくなるくらいには滔々と、事の次第をのたまった御剣は。
 そんな言葉で話を締め括った。

「……そ、それは、なんていうか…」

 お疲れサマデス。
 くたびれた声でそう言えば、カッと目を見開いた御剣に睨まれた。

「親友の窮地だというのに何だその反応は! 私が不能かも知れぬというこの事態に、気を利かせた言葉のひとつも言えんのか貴様ッ」

 むしろ親友から「エロビデオ百本見続けてたら勃たなくなっちゃったんだけどどうしよう」と突然打ち明けられて、すぐさま気を利かせた言葉を吐けるヤツが居るなら見てみたい。
 僕はそこまで器用な人間にはなれないし、どっちかというとなりたくないな。
 不能になっちゃった親友に、すぐさまいい勃起薬があるよ、なんておススメできるような人間には、うん。

「えーと、じゃあ、ご愁傷様?」
「そのような慰めの言葉などいらん! というか何故に疑問形なのだ」

 拒否されたし。
 どうしろってんだ。

「うーん、ていうか、仕事だったんだからしょーがないんじゃない?」
「確かに最初は仕事の一環として仕方なく見ていた。だが、己のイチモツが全くもって反応していないことに気づいてからは、必死にそのようなアレを目的として見続けたのだ。だが、だが…っ」

 くっ、という重苦しい呻き声と一緒に、その顔が項垂れる。
 いつも自信満々、傲岸不遜、唯我独尊を地で行くような男が本当に珍しい。

「たまたまじゃないの? タイミングが悪かったとか、好みじゃなかった、とか」

 僕のような凡人の脳みそでは、例え仕事とはいえそのようなアレな映像見せられたら、ドキドキしちゃうし反応もしちゃいそうだけど。
 御剣っていう男はどこまでも、職務に関してはストイック中のストイックだ。
 己の職業に誇りと信念を抱いているし、常に完璧を極めようと全力で働いている。

 そんな御剣だからこそ、思い込みも激しいから、仕事として見たビデオに反応なんてするものかと、自己暗示かけちゃったとかさ。
 あるかもしれないじゃん。
 そう聞けば、だけど目の前の男はあっさりきっぱり、首を振る。

「私もそう思った。だからこそ、一度プライベートの時間を設け、そこで見たのだ。しかも……己の性癖を見極めんと、ありとあらゆる種類のものをとことんな」

 人妻、女子高生、熟女、ロリ、SM、3P、ア○ル、ス○トロ、痴漢、盗撮、青姦、エトセトラ。
 御剣の整った唇から、そんな言葉が淡々と紡がれていくのを、僕は色んな意味で脇汗かきながら聞いた。

 念のためにおさらいをすると、僕らがいま居る場所は高級イタリア料理店。
 片手にワイン。
 あれおかしい、なんだか涙が出そうだ。


「全てが無駄だったのだ。私の息子は、どのようなシチュエーション、体位にも、ぴくりとも反応しなかった。その揚句、百本を超える頃にはもはや、そもそも性癖とは一体なんなのかと考えるようになり、むしろこのようなビデオを見ながら興奮すること自体が、既にある種の性癖なのかとまで思えて、私の脳内は大混乱を迎えたのだ」
「ええと……」

 むしろこちらが大混乱だよチクショウ。
 もう、どこをどうツッコミ入れていいのかわかんない。

 ヘタな慰め文句はいらないっていうし、かといって具体的な方途を示せと言われても、僕には不能に陥った人間をどうにかできるとは思えないし。
 病院行けって言うことぐらいしかできそうにないけど、プライドの高いこの男が、素直に頷くとは思えないしなぁ。
 どうにも手詰まりで、僕はただ手元のワインを見つめて考えるフリをしていたんだけど。

 不意に御剣が、ぐっと前のめりになってきたので、驚いて顔を上げた。
 近づいてきたその顔には、とても真剣な表情が、浮かんでいて。


「そこでだ。君にひとつ、頼まれてもらいたいことがある」
「う、うん、まぁ、僕でできることならモチロン」

 断るつもりはないよ、と。
 確かに僕はそう、思っていたけれど。


「成歩堂、私と性交渉してくれ」

 至近距離で、言われたので。
 思考は一瞬にして停止した。
 動きの止まった僕を見て、通じなかったと思ったのか、再び同じ意味のセリフをわかりやすく吐いてきたから。

「性交渉とはつまり私とセッ」

 今度は最後まで言わせることなく。
 僕の拳は華麗な右ストレートを炸裂させていた。





「話は最後まで聞くものだぞ、成歩堂」

 眉間の皺を深くした御剣は、打たれた左頬を擦りつつ、そんなことを言う。

「うるさいっ、てか抗議するところはそこか、ソコなのか?!」

 ダメだこいつ、という言葉しか浮かばない。
 激昂するよりも先に、襲い来る脱力感が半端ないんだけどコレどうすればいいんだ。

「男に二言はない、という言葉があるだろう。先ほど君は断るつもりはないと言ったではないか」
「できることならなっ。男同士でそのようなアレをできるって考えてるお前の方が間違ってるからな?!」

 というか、さっきまで肩を落として困り果てていたヤツが、どうしてこんな尊大な態度で僕に性行為を迫ってくるんだよ。
 色々な意味で間違ってる。

「そう、まずそれだ。私が見たビデオは全て、女性を性行為の対象としたものだったのだ。そこに反応しなかったということは、私はもしかすると、同性にしか性的興奮を持てないのかもしれない」
「だったらソッチの店行けよ」

 即座にツッコミ入れれば、わかっていないな、と言わんばかりに肩を竦められて盛大にムカついた。
 もうこの片手のワインぶっかけて、帰ってやろうか。

「どこの馬の骨とも知れない男を相手に、無防備な姿を晒すことなど私の矜持が許さない。そもそも、本当に自分が同性愛者なのかも疑わしいのだ。試しに、ほんの少し、私の息子が反応するかどうかだけでも試せる相手がほしい。そんな相手が存在するだろうかと、私は考えた。考えた末に成歩堂、君の顔が浮かんだのだ!」
「……、……」

 ダメだ、もう本当に色んな意味でツッコミが追いつかない。

「君は男で、しかも私の親友だ。これ以上の相応しい相手はいない。なに、心配するな。一夜を過ごしたからと図々しく恋人になれ、などと言うつもりはない。そもそも君に対し性的衝動を覚えたことはないし、ズボラで怠惰な君を恋人として好きになれるとも思えんしな。そこのところはきちんと弁えているとも」
「お前、実はモテたことないだろ…」

 性行為を求める相手のことを、初っ端から貶すとか、どう考えても馬鹿だろ。
 少なくとも僕はこんなこと言われて、胸を高鳴らせることはできない。
 別の意味で血沸き肉踊ってきそうだけどな、こいつ殴り飛ばして鼻血吹かせてぇ、って意味で。

「失礼な。それなりに付き合いはしたぞ。何しろ向こうから寄ってくるからな。何故だか離れていくのも向こうだが」
「……だろうね」


 疲れた。
 もう、本当にビックリするぐらい疲れた。
 ドヤ顔きめる男を再び殴る気力もない。

「ということで、成歩堂、そろそろ夜も更けた。今夜は私の部屋に泊まりたまえ。ベッドシーツは新品を用意しているぞ」
「誘い文句がもう既に終わってやがる」

 なんで僕、こいつの親友やってんだっけ。

「君を恋愛対象として好きではないが、親友としては好きだぞ成歩堂。部屋はスイートルーム並みに豪華だという自負がある!」

 顔に「性交渉しよう」と、でかでか書いてある気がする男からの、そんな言葉を聞き流しつつ。
 僕は改めてこの関係性について、見直す必要があることを痛切に感じていた。


 あまりのウザさにキレることすら面倒くさくなって、かつヤケクソ気味に飲んだワインが良い具合に回ったもんだから。
 段々とこの状況が、いっそとんでもなく面白くなってしまった、僕は。

「まぁ、お試しならいいんじゃないかな(どうでも)」

 という返答を、出来心でしてしまい。


「感謝する、成歩堂…!」

 ぱぁあ、なんて擬音が聞こえてきそうなほど、ものすごい貴重な笑顔をこの目にしたら。
 本当にいよいよ、引っ込みがつかなくなってしまった。


「……あ」

 早まった。
 ごめんやっぱ無理。


 そんな言葉はもちろん、御剣に届くことはなかった。
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