ソレが無いのは致命的!
□続:08
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休日の朝とはいえ、私の目覚めは普段通り、夜明け後一時間以内である。
対する成歩堂はといえば、昼近くまで惰眠を貪るのが休日の贅沢な過ごし方だ、と力説されたものだが。
薄いカーテン越しに射し込む光が、ぼんやりと隣に眠る彼の無防備な寝顔を晒し、私はそっとひとつ息を吐いた。
安堵と感嘆の滲むそれは、けれど彼の意識を浮上させるものではなかったようだ。
否、ひどく疲れ切った様子で、意識を失うように眠りの国へと旅立った昨夜を思えば、当然のことだろう。
思わず自嘲の笑みが浮かんでしまった。
昨夜は本当に、成歩堂にとっては無論のこと、私にとっても永い夜だったと思う。
どこまでも理性を試され、ギリギリの攻防戦が続いたあの時間は、筆舌に尽くし難い。
けれどその甲斐あって、というべきだろう。
いまこうして、かつてない穏やかな気持ちで、その寝顔を見つめることができているのだ。
別れたくないと泣く、成歩堂の真意を理解した、あの瞬間。
この胸に去来したものは紛れもなく圧倒的な、いとおしさだった。
どうやら彼は恋愛に対して、臆病にならざるをえない過去を、抱えているようだ。
それも随分と、拗らせてしまったようである。
無意識のうちに私への好意を自覚することを拒み、歪んだ執着心と一体になってしまったのだろう。
その行動、思考の原点にあるものは、ただひたすらに『御剣から別れを告げられたくない』というもので。
だからこそ、私はその視点の真逆にある可能性を、提示してみせたのだが。
じっと見つめる先にあった、彼のその表情も体も、一瞬にして硬直し。
まるで髪の毛ひと筋ほども想像したことがない、と。
反応それ自体が、そう明確に言っていたので。
……それは、つまり。
私は唐突に全てを把握し、理解し、そしてこの上もなく納得したのである。
ああ、そうだとも。
成歩堂龍一という男は、確かに最初からそうだった。
どれだけ状況が厳しかろうと決して、私を諦めなかったではないか。
こちらが散々に忌避し、侮蔑や睥睨の視線を向け、時に罵倒しようとも。
それでも彼は、持ち前の粘り強さと天才的なひらめきの力で窮地を脱し、何度も私に手を伸ばした。
友情の二字で片づけるにはあまりにも、この事実は重いものであり。
それはつまり、結局は……成歩堂という男は。
それほどまでに私を特別に、想っているということだ。
それは確かに重いだろう、一生涯の関係性を求められているのだから。
私への、ともすれば狂気にも陥れそうな、異常なまでの執着心。
それを、彼自身こそが自重し、友情という名の綺麗な感情の裏に、ひた隠していた、ということなのだろう。
そうして、対する私はどうだろうかと、数瞬のうちに脳内にて自問すれば。
この上ない歓喜と興奮に突き動かされ、彼の制止を振り切って思わず、理性を手放してしまったのである。
結果として、いまのこの、隣に眠る成歩堂という構図が出来上がったわけだが。
箍を外し過ぎてしまったようだ。
眠るその顔には色濃い疲労が浮かび、やつれてしまっていることがひと目でわかる。
その頬から額、髪の毛先へと指を辿らせたところで、目覚める気配は微塵も感じられないので。
私はそっと体を起こし、なるべく物音を立てぬよう気をつけながら、朝の支度にとりかかった。
軽めの朝食を口にする間も、成歩堂がリビングに顔を出すことはなく。
さすがに「そっとしておこう」と思っていた時間帯も、既に過ぎて久しかったため。
私は若干の後ろめたさを感じつつも起こしに向かった、のだが。
「……挨拶も無しにどこへ行くつもりだ?」
リビングから寝室へと繋がる廊下は、そのまま玄関へも同じく通じている。
そうして、私が目にしたものは。
その玄関から今まさに出て行こうとしている、成歩堂の後ろ姿だったので。
思わず低い声で、尋問するような響きを向けてしまったことは、致し方あるまい。
ビクリと盛大に体を震わせた成歩堂は、まさに恐る恐るといった様子でこちらをチラリと振り返ると。
「おっ、お邪魔…しましたぁああ!!」
などと叫び捨てながら、まさしく脱兎の如く逃げ出そうとしたのである。
けれどその動きはどこかぎこちなく、私の追跡に呆気なく捕まる程度の速さでしかなかったので。
しっかりとその腕を掴み、それでも振り切ろうと抵抗する彼のその態度に、軽く苛立ち問答無用で抱き上げた。
「わぁあッ、ちょ、なにすんだ離せよ…!」
「離せば逃げようとするではないか。リビングに運ぶだけだ、少し我慢したまえ」
体格差はあれど、決して軽くはないれっきとした成人男性である彼を、ソファに座らせるのには多少骨が折れた。
だがそれよりも、諦めたのか大人しく無言のまま、こちらを不安げに見上げる成歩堂と、しっかり向き合うことが重要である。
「体は大丈夫か? 昨夜は私も理性を失くしすぎたと、先ほどから反省していたところだ」
そう言えば、途端にその顔が朱色に染まっていく、その様子に思わず笑みが零れそうになるが、すぐに睨まれてしまった。
「さて、それで。この期に及んでコソコソと、逃げ帰ろうとしたのは何故なのだろうか」
気を取り直して問えば、こちらを睨むその瞳は瞬く間に力を失くし。
その両手で顔を覆い隠してしまったため、私からはどのような表情をしているのか、見えなくなってしまったのだが。
「……成歩堂、そのままで良いので、聞いてほしい」
彼の両肩にそっと触れながら、語りかける。
昨夜から今日まで、ずっと考えてきたことがあるのだ。
それを、伝えなければ。
きっと彼はこの先も、不安を抱えたままに違いないのだから。