ソレが無いのは致命的!
□裏:06
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その感情を、けれど成歩堂は決して、恋愛感情とは認めない。
それが無意識的な防衛本能からくる鈍感さなのか、それとも常識と現実主義を突き詰めた結果の、無自覚さなのかは知らないが。
なんという男だろう。
いくつか共闘した法廷で、それなりにその『とんでもなさ』を見知ってきたつもりではあったが。
状況証拠は揃っていながら、ここまで自分を偽れる人間だったとは。
成歩堂は、こうと決めたらとことん突き詰める、諦めの悪い男だ。
私が彼の真実を突きつけたところで、全力て否定するだけに終わるだろう。
返って意地になり、それこそ明後日の方向に全力投球する姿が目に浮かぶ。
口づけを許す関係でありながら、僕らは親友だと豪語する気でいるというのか。
……冗談ではない。
沸々と、湧き上がるのは紛れもない怒りだった。
腹の底から重苦しく煮え滾る、それはけれど、だからこそこの胸中をどこまでも冷静に、冷徹にさせていく。
感覚的な頭痛も目眩も、すっと消え失せ、ただひたすら鋭く研ぎ澄まされた思考回路を構築した。
このとんでもなくタチの悪い、鈍感で無自覚な男を、どうしてくれようか、と。
どうすれば、この男は私への想いを、自覚するのだろうか、と。
加速度的に廻る思考は、ついにその結論を弾き出す。
そうして、私は。
「そうだな。君がそう、望んでくれるのならば」
私は君の望みどおりに、行動しようではないか。
君の望む『親友』として?
いいや、違う。
君がどう思おうと、今後の私の行動の一切は、ただ一人の人間に向ける、求愛だ。
自覚しようがしまいが、関係はない。
私のこの恋情を、他でもない成歩堂こそが「そんなの関係ない」と、親友としての立場を望むのだから。
彼自身が望むのだ、何を厭う必要があるというのか。
ほんの数瞬の間に、私の意志は固まった。
これよりは全力で、成歩堂龍一という男の迂闊さに、遠慮なくつけこませて頂こう。
そうと決めてしまえば、私の行動に迷いは無い。
彼からのせっかくの申し出である、現時点での課題を完璧に遂行すべく、状況把握を瞬時に行った。
薄暗い店内の隅にあるボックス席だ、死角は多いが洗練された店員もいるので、油断はならない。
丁度良い大きさのメニュー表を広げ、隣の成歩堂に身を傾ければ。
こちらの意図を、正確に理解したのだろう彼も、覗き込むように身を寄せてきた。
そうして、その少し緊張した面持ちの、ぎゅっと引き結ばれた唇に。
己のそれを、触れ合わせる。
薄い唇は予想よりも柔らかく、それでいて少し冷たく、ビールの香りがした。
「……っ、…ん、んーッ!」
唇にされるなどとは露ほども考えていなかったのだろう、その瞳が丸々と見開かれていく。
その様子を、この上もない至近距離から眺めることになり、喉の奥で笑った。
数秒にも満たない、短い触れ合いであったが。
この胸を苛んでいた様々な感情が、凪いでいくのには、充分だったようだ。
顔を離してみれば、ギシリと音がしそうなほどに硬直した体と、殊更に頬から耳までを朱く染めた彼に、出会う。
困惑と衝撃に揺れる瞳には、けれど相変わらず、嫌悪の色は無く。
ただ、この心の奥深くを貫くように、じっと見つめるので。
思わず、嗜虐心に火がつきそうになってしまい、困った。
「そのような顔をするな……もう一度したくなる」
素直にそう吐露すれば、その肩をピクリと跳ねさせ、ますます固まるので。
あまりの凶悪的な可愛さに、衝動的に抱き締めたくなり、理性を総動員して冷静さを装わねばならなくなった。
だが、そのような私を更に試すような事態を、引き起こすのが成歩堂という男のタチの悪さなのである。
「御剣……もう、これで、親友やめなくて済む、んだよな?」
潤む瞳、上気した頬、掠れる声音ながら必死さの滲むその言葉を、この上もなく無防備に私へ向けてくる。
……この男は。
一度押し倒してみせようか。
そのような薄暗い情動に駆られそうになり、ぐっと腹に力を入れねばならなくなった。
早くも私の『親友として』の立場を、揺さぶってくるとは。
これは油断ならないなと、警戒心がどこまでも高まるが、それと同時に言いようのない高揚感に体が熱くなる。
口づけを伴う親友関係、などという馬鹿げた口実を盾にして、一体どこまで彼は私の行動を許すのだろうか。
どの段階に至れば、彼は自分の想いに気づくのだろうか。
待ち受ける未来を想像するだけで、ひどく楽しかった。