ソレが無いのは致命的!

□裏:04
1ページ/2ページ


 なるべく早急に仕事を終えようとしても、状況がそれを許しはしないだろうと、そう覚悟していたのだが。

 糸鋸刑事に今夜は早めに帰りたいと伝えた結果、劇的な速さで仕事が片づいていったので驚いた。
 刑事のみならず、事務次官たちにまで涙目を向けられ、「後は全てこちらでやりますから! 早く帰って寝て下さいッ」と言われた時には、さすがに心が痛んだ。
 むしろ、今後いっそう眠れなくなるだろう状況が、目の前まで迫ってきているのだから。

 いや、いっそひと思いにバッサリと、成歩堂から断罪されるならば。
 この胸を苛む後悔や苦痛から解放され、泥に沈むような眠りに堕ちられるのかもしれない。
 そのような卑屈で、矮小な願望を抱きつつ、あの夜の店へと向かった。


 入店し、友人との待ち合わせだと告げれば、心得た店員が成歩堂の座る席まで案内してくれる。
 辿り着けば、あの日のように彼はビールを注文していた。


「……待たせたな」
「別に、そんな待ってない」

 いつものような会話を交わしながら、けれど互いに目を合わせることはなく。
 あまりにも常からは逸脱した、白々しい雰囲気に包まれた。

 私は成歩堂のように、アルコールを摂取する気にはとてもなれず、コーヒーを注文する。
 もう二度と、彼の前で酒を飲むこともないのだろうなと、胸中で自嘲した。
 そうして、重苦しい沈黙が再び場を凍りつかせていく。
 店員が注文の品を目の前に置いていく間も、私たちは言葉を発さなかった。

 じっと、突き刺さる視線に耐えるしかない私には、彼が何を待っているのか、きちんと把握できている。
 成歩堂は、私からの謝罪を、言い分を。
 聞いたうえで向き合い、許す気でいるのだろう。
 でなければ、このような場をわざわざ設けるようなことを、するわけがない。

 どこまで人が好いのだろう。
 あのような犯罪行為を、意識の無い彼にした私に対して、それでもなお向き合おうというのだ。

 その厚意に、けれど私からすれば有り難味など欠片も感じず、それどころか苦しさが募るだけだった。
 彼の期待する『親友』など、もうどこにも、居ないのだから。

 私は、許されに来たのではない。
 そのどこまでも無防備に寄せられる、親愛と友愛を。
 跡形もなく消滅させるために、来たのだ。

 沈黙を貫く私に、大いに不信感と苛立ちを募らせればよいのだ、と。
 どこか投げやりな胸中で、彼の隣に座っていたのだ、けれど。


「……寝れてないのか? 顔色が悪いぞ」

 この上もなく、ただひたすらに、こちらを心配する想いに溢れた言葉が向けられたのである。
 思わず絶句した。
 呼吸も止まるほどの衝撃が、胸を貫いて苦しくなった。

 成歩堂、まったく君はなんという……。

 あのような卑劣な行為をされてなお、この私を心配できるというのか。
 お人好しにも程があるだろう。

 隠す気も失せた盛大な溜息が漏れ、首を振り肩を竦めた。
 ほとほと呆れ果てたと言わんばかりの態度を、隠しもしない私に、成歩堂が拗ねたように睨む。

「ちょっ、なんだよ今の溜息は!?」

 人がせっかく心配してやってんのに、ひどくないか、なんだその態度は!!
 などと、肩を怒らせつつ言い募る、その仕草ですらも可愛らしいとは、どういうことだ。

 ああ、いけない。
 このままでは、いつもの軽口を叩き合う間柄に戻ってしまう。

 私は咄嗟に顔を上げ、彼の顔を随分と久しぶりに、真正面から見つめた。
 そうして、口を開く。

「君のその、お人好しさは本当に。天然記念物ものだな」

 正直な感想以外の何ものでもなかったが、言えば彼は目に見えてムッと顔を顰め、こちらを睨む。
 けれど。

「……その、あの夜のことだが」

 彼にしてみれば不意打ちのようなやり方で、『あの夜』という単語を発した。
 途端に、成歩堂の顔が強張り、姿勢が正される。

「あの夜のことに関しては、一人の社会生活を営む人間として、あるまじき行為だったと、自覚している」

 許してもらいたいわけではない、けれど。
 どれほど罪深い行為であったかということぐらいは、ともすれば彼よりも深く理解できているのだ。

「君に、耐え難い屈辱を与えてしまっただろう、ことも。本当に……私には、このように話しかける機会すら、もう与えられはしないだろうと、思っていた」

 まさか、成歩堂がここまでのお人好しだとは、想像していなかったが。
 だからこそ、このような機会を手にすることができたのならば。


「申し開きの言葉もない。本当に、すまなかった」
次へ
前の章へ

[戻る]
[TOPへ]

[しおり]






カスタマイズ