とある検事の愛の日記

□とある弁護士の悪夢。
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 相談したいことがあるのだが、と。
 どこか不本意そうに、不機嫌そうに眉間の皺を深くしながら聞いてきた、その態度は全くもって不遜なものだったけど。
 心の広いひろーい僕はモチロン、いいよと軽く頷いた。

 意識して注目していなければわからないほどの微かな表情の動きだったけど、どこかホッと頬を緩ませた御剣の、その唇から紡がれた、言葉は。

「とある女性から告白を受けてな。付き合うことになったのだが」

 なんていう、予想もしなかった方向の話題だった。
 ビックリして固まった僕のことなんてお構いなしに、どこか照れたような表情(これも注視してないとわからないレベルだけど)で、滔々と語りだす。

「君も知っての通り、私はずっとこの人生全てを検事という職務に捧げてきた。そのため、その……あまり異性との付き合いというものには心得がない」
「……お、おう。うん、まぁ、なんとなくわかるっていうか、察しはつくけど」

 そこからは、お互いに冷や汗かきながらの語らいになった。
 手をつなぐタイミングはいつだ、から始まって、大事な日のプレゼントには花が効果的だけどあまりあげすぎるとドン引きされるぞ、だのなんだの。
 最終的に、僕自身の数少ない経験談を披露するまでになり。
 揚句の果てには、ちょっと女性にはお聞かせできないような、青少年の保健体育的アレな話にまで至るっていう。
 ハッキリ言って、色んな意味で精神的ジェットコースターだった。

「今日は勉強になった。感謝する」

 神妙な顔でそう言った彼は、こちらを振り返ることなんて一度もなく、颯爽と帰っていったけど。
 そのすっと伸びた背中を見つめながら、僕は、なんというか。
 なんだろう……一抹の寂しさみたいなものを、感じて。

「いやいやいやいや、違うだろ、ここは喜ぶべきところじゃないか、親友としてはさ」

 そうだ、そうだろう。
 そうじゃなきゃダメだ。

 だってあの、御剣が。
 知人とまともな世間話もできなかったような男にさ、大切な人が、できたんだから。

 ……うん。
 きっとこれはアレだ。
 手のかかる息子に彼女ができて、複雑な気持ちになる母親の気分ってヤツに違いない。

「良かったな、御剣」

 そう口にして、わざわざ自分に言い聞かせるみたいだなと自嘲の念が湧き上がる。
 ふるふると首を振ってから、僕は彼の幸せを祈った。
 親友として。
 当然のことだから。


「結婚することになった」


 そんな声が聞こえて、パッと顔を向ければそこには、さっき立ち去ったはずの男が、居て。
 混乱する。

 え?
 なに。
 なんだって……?

 固まる僕なんて意にも介さず、いつの間にか御剣は隣に綺麗な女性を連れていて。
 腕を組んで寄り添う二人は、どこまでも幸せそうに、嬉しそうに笑い合う。
 なのに、どうしてだろう。
 女性の顔が僕にはぼんやりとしか、映らない。

「大事な親友である君には、一番に知らせたくてな。ある意味では、君が折あるごとに相談に乗ってくれたお陰で、このような喜ばしい日を迎えることができたのだから」

 久しぶりに目にした、穏やかな笑みは、だけど僕に向けられたものではなくて。
 女性の顔はぼやけているのに、その男の滲むような笑顔は、どこまでも鮮明にこの目に映る。
 言いようのない、胸の痛みとともに。

 声もなく、呆然とする僕なんてまるでその瞳には映らないのか。
 御剣はただ隣の女性にのみ、甘い視線を注いで。

「……み、つるぎ」

 辛うじて呼んでみても、その顔が僕に向くことはない。
 微笑み合う女性と、御剣。
 完璧な世界が、目の前にあった。

「御剣…!」

 必死に名前を呼ぶ。
 なのに、どうしてだろう。
 こんなにも至近距離から叫ぶような勢いでその名を口にしているのに、彼は一向にこちらを向いてはくれない。

 叫んで、いったい自分が何を言いたいのかもよくわからないのに。
 それでも、叫ばずにはいられなくて。
 だけど、御剣は決して僕を見ない。

「有り難う成歩堂。親友の君から、祝福してもらえて嬉しい」

 なんて、まるでこちらが喜ぶことを疑っていないような、声が聞こえた。
 愕然とする。

 祝福……?
 どうして。
 なんで、僕が。

 いいや、違う。
 僕は親友なんだから。
 祝福して当然だ。
 当然な、はずだろ。

「……うん、そう、……し、あわせに」

 御剣は幸せになるべきだ。
 悲しい過去を乗り越えて、どこまでも気高く生きてきた彼だから。
 一見冷徹そうな言動だけど、ちゃんと他人を思いやれる心の持ち主だから。

 幸せになってほしい。
 誰よりも僕自身がそう、願っていたことは否定しない。

 ああ。
 ……ああ。

 だけど。
 どうして。


 こんなに胸が、苦しいんだ。
 ともすれば己の手で掻き毟って、のた打ち回りたいと思えるほどに。
 鋭くて鈍い痛みが、さっきからずっと僕を苛んでいる。


「……め、だ……」


 違う。
 違う、違う。
 僕が望んでいたのは。

 こんな。
 こんな暴力的な感情を抱くことなんかじゃ、なかった。

 心が、粉々に砕けていくような、そんな錯覚に囚われていく。
 渦巻く想いは散り散りに、言葉はまるで硝子の破片みたいに硬い音を立てて体に突き刺さり、そこからどうしてか血の代わりに黒い闇が滴り落ちた。

 ああ。
 堕ちていく。
 真っ黒な闇が地面に瞬く間に広がって、僕の体は一瞬の浮遊感の後に落下する。

 遠ざかる御剣と女性の姿を。
 網膜に焼き付けたまま。
 僕は果ての無い奈落へと、ただ堕ちて。


 そこで、目が覚めた。


「…っ! …、……っ……ゆ、め……?」


 呼吸は荒く、ぐっしょりと全身に掻いた汗がTシャツに張り付いて気持ち悪い。
 額から滴り落ちる汗が特にひどい、そう思ってシャツで拭えば、それが汗じゃなくて涙だということに気づいて愕然とした。

「な、なんだよ、これ……」

 まだ夜明けには数時間ある、闇に染まった自分の部屋で。
 僕は呆然と、ついさっき見た悪夢に震えた。
 最悪だと思った。

 僕は。
 誰かと幸せになる親友の姿を、夢見て。

『嫌だ、嫌だ嫌だ! 僕が居るのに、御剣、どうして…!』

 そう、詰っていた。
 果ての無い闇に堕ちていく、あの時。
 思うさま詰って、泣き叫んでいた。


 なんて最悪なんだろう。
 御剣の想いを散々拒絶していたのは、他でもない自分だったのに。


「嫌だ……」


 どうしようもなく。
 僕じゃない誰かの隣で、笑う御剣なんて。
 見たくなかった。


「……は、はは。ばっかだなぁ」


 震えて掠れたその声は、だけど闇の中に消える。
 たったひとつの真実を、僕に突きつけて。

 僕はそこから、朝まで眠れることもなく。
 自分がどうしたいのか。
 どうすればいいのか。

 どうしたら……御剣が離れていかずに済むのか。
 ただひたすら、考えて、考え抜いていた。




***




こうしてテンパったなるほど君は、本編の1月5日を迎えることとなります(笑)。
ああ、こんな悪夢見ちゃったら、そりゃ焦るわよねww
と、生ぬるーい笑顔で見てやって下さい。
こんなところまでお付き合い、有り難うございました!!
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