とある検事の愛の日記
□とある弁護士の一週間。
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執務室に入るなり、再度「なんで避けるんだよ」と、聞けば。
はぁ、とあからさまな溜息を吐かれてますますイラッときた。
だけど、こっちが糾弾するより一瞬早く、くるりと振り向いた御剣は、心底困り果てた顔をしていて。
「成歩堂……察してくれないか。先日きちんと侘びを入れたとはいえ、今までの君に対する勘違いも甚だしい己の行動を、私自身が許せるはずがなかろう。私は、君にも矢張にも、会わす顔がないのだよ」
そう言われて、僕は。
僕こそがとんだ勘違いをしていたことに、ようやく気がついた。
「あ、……ああ、そっか」
そう、そうだよな。
いくら思い込みが強すぎたからって、あんな行動を起こしたことを、正気に返れば海より深く後悔しないわけがない。
生真面目が服着て歩いてるような御剣だ、誰よりも自己嫌悪に陥って、それこそ消えてなくなりたいとか言い出しかねないくらいには。
相当、落ち込んだんだろう。
「えーと、ごめん……」
急激に居たたまれなくなって、僕こそが俯く羽目に陥った。
うう、なんて間抜けな早とちり。
脇目も振らず突っ走ってきた自分自身が、今はとてつもなく恥ずかしい。
そしてきっとこの感覚こそが、目の前の男を苦しめているものでもあるんだろう。
「いや、こちらこそ誤解を招くような態度をとってしまい、悪かった」
いまだにその目は逸らされたままだったけど、もう僕に文句を言うことなんてできない。
そんな微妙な空気を払拭するかのように、ああと声をあげたのは御剣だった。
「そうだ、つい先ほど日程が決まったので言っておこう。来月の六日には海外だ」
「え、あ、そう……そうだ御剣!」
海外、と聞いて僕はずっと気がかりだったことを思い出した。
ガシッとその両肩を掴めば、いきなり間合いを詰められて驚く御剣の顔が間近にある。
僕は羞恥心も後悔もどこかへ投げ出して、とにかくその瞳をジッと見据えながら。
「お前、海外行ったまま帰ってこない、なんてこと、ないよな…?」
ゆっくり確認するように、その表情のどんな変化も見逃さないように注意しながら、聞けば。
驚きに見開かれた瞳は二回瞬いて、それから。
「なんだ、成歩堂。私が日本を離れて、二度と戻って来ないのではないかと、そのような杞憂に囚われて押しかけてきたのか? まったく君こそ、私を追いかけようとする天性のストーカー気質は相変わらずだな。目を覚ませ。私は最初から『研修』だと言っているではないか」
そう言って、ニヤリと笑った。
その表情たるや、決定的な証拠を突きつける時に浮かべる、あの嫌味ったらしい傲岸不遜を絵に描いたような、ソレで。
間近でそんなドヤ顔を披露された僕は、自分から詰め寄っといてなんだけど、とんでもなくムカついた。
ちくしょう。
「異議ありぃ! お前があんな『お別れに贈る花』なんて寄越すから悪いんだろッ。最初から誤解を招くような真似すんなバカ!」
ビシィッと指を突きつけて、反論すれば、今度こそ僕らは通常の関係性に戻れるだろう。
僕はそう思っていたし、きっと御剣もそう踏んでドヤ顔していた、はずだ。
なのに。
指を突きつけられた御剣の顔に浮かんでいた、余裕の表情は見る間に色を失って、まるで目の前には絶望があるかのような、そんな。
愕然とした顔が、そこにあった。
「……どうして、あの花が別れに贈る花だと?」
唇を真一文字に引き結んだと思ったら、その眉間には厳しい法廷に立っている時みたいな、ヒビが刻まれていって。
とんでもなく低い声音で、聞かれた。
「な、なんだよ、そんな暗い顔して。真宵ちゃんが教えてくれたんだよ、御剣検事どこか遠くへ行っちゃうのー? ってさ」
だから、不安になったんだ、今生の別れってわけでもあるまいし、どうしてこんな花なんか寄越したんだろうってさ。
御剣の薄暗い雰囲気に気圧されて、僕は正直に話した。
「そう、か……真宵君が」
「うん。でも変だよなぁ、君に幸あれってのが花言葉なんだろ? それでなんで、『お別れに贈る花』になるんだろう」
お前はこのこと、知ってて僕にくれたんだろ?
そう、言葉の流れで何気なく聞いた、それだけの問いかけだったのに。
ガシャン、と。
目の前で鎖が、錠前が。
俯く御剣を守るように、隠すように、現れたから。
今度は僕こそが、愕然とした表情を浮かべることになった。
サイコ・ロック。
しかも錠前の色は……黒。
絶対に他人が破ることのできない、それは頑強な心の鍵だった。
「み、御剣…? お前、いったい」
何を隠してるんだ……そう、混乱した脳内で吐き出された言葉は、でも唇から音として伝わることはなかった。
時間が止まったような錯覚を起こさせるほど、緊迫した部屋の空気に割り込んだ、内線の呼び出し音。
けたたましく鳴るその音に、はっと意識を電話へ向けた御剣が受話器を取ったからだ。
「……ああ、わかった、すぐに向かうと伝えてくれ」
通話を終えてすぐに振り向いたその顔には、もういつも通り、一見すると冷淡にも見える表情が浮かんでいるだけで。
「君の言う通り、今生の別れでもあるまいに花なぞ贈りつけて混乱させ、悪かったな。ともかく誤解は解けただろう、すまないがこれから会議だ」
言いながら、慌ただしく僕を執務室から追い出すと同時に、自分もまた書類を持って会議室へと進んでいった。
その背中を覆う、鎖も錠前も、ハッキリと僕が目で追っていたことなんて、きっと知らないままに。
「なんでだよ……」
唇から漏れた言葉は、一週間前から、もう何度となく御剣に向けて放たれてきたもの。
だけど決して、応えはもらえない、そんな予感しかしなかった。