とある検事の愛の日記

□12月15日、雨のち曇り。
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 朝から降りだした雨は、温暖化が深刻だと言われて久しいこのところの気温を、ぐっと下げた。
 まるでこの心の模様を写し取ったかのようだと、執務室の窓から真昼だというのに薄暗い外を眺めて思う。

 気持ちの整理をつけるまで、どうしてもこの数日は必要だった。
 日常という現実は止まることなくこの身を押し流し、難しい事件の立証や会議に追われて慌ただしく過ぎていく。
 それはだが、今の私にとっては好都合でしかなかった。

 忙しければ、考えずに済む。
 己の愚かさから目を逸らして、今はやらねばならないことがあるのだと、詭弁を持ち出すことさえ。
 そうして数日が過ぎたわけだが、それでも何も考えずにいられることなど、到底できるわけもなく。
 一人になれば、ふとした瞬間に、ひどく呆気なく我に返ってしまえるものだ。

 結局、数日をかけて私ができたことなど、この数か月にわたり己がしてきた成歩堂への言動の数々が、如何に的外れで一方的なものであったのか、ということを振り返ることぐらいだった。
 自分自身の滑稽さが浮き彫りになればなるほど、メールは無論のこと、電話やまして会いに行くことなど、到底できるはずもない。
 どのような顔で、彼の前に立てるというのだろう。
 ともすれば、壁に頭を打ち付けて記憶でもなんでも吹き飛べばいいと、叫び出しそうな心境なのだ。


 だが、それでも。
 成歩堂と一年振りに再会してから今日までのやり取り、その全てを消し去りたいと強く思う一方で。
 それでも、この心に芽吹いた彼へと向かう感情を、とうの昔に知っていた。
 例えこの上なく独りよがりで、どこまでも一方通行でしかないものであったとしても。


 それを『恋』と、呼ぶしかないのだと……。





 ひとつ息を吸い、震える鼓動を落ち着かせるために吐き出す。
 ほんのひと月前まで、高鳴る胸をそのままに何の躊躇いもなく開くことができた、その事務所の扉が今はとてつもなく重厚に見えた。

 意を決して二度ほど軽く叩き、ドアノブを回して「失礼する」と言いながら開く。
 手にはいつかのように、花束を。
 こちらの姿を見るなり、所長机から立ち上がって客を迎える姿勢だったのだろう、成歩堂は明らかに顔を引き攣らせた。

「なんだ、御剣か。こんな昼間っから何の用だよ、暇なの?」

 投げかけられた言葉は、一週間前までの私であったならば『相変わらず照れ屋な男だ』などと、暢気に胸躍らせていたことだろう。
 ああ、本当に何という滑稽な、独善と思い込みに溺れた思考であったことか。
 目の前の彼は、明らかにこちらを警戒し、決して隙を作るまいと距離をとっているというのに。

「…フッ、君に言われたくはない台詞だな。閑古鳥が鳴っているのはそちらの方だろう」
「う…、痛いとこ突いてきやがって! 嫌味を言いにきたんならとっとと帰れよっ」
「嫌味などとは心外な、事実を述べただけなのだが」
「るっさい!」

 こうして言葉を交わす、その表情にも態度にも、こちらへ向けられた感情に『甘さ』の欠片もなかったのだということが。
 今ならばよくよく、把握できるというのに。
 恋は盲目、とは本当に、よく言ったものだ。
 胸中でしみじみと思う。

「久しぶりに時間ができたのでな、以前から贈ろうと思っていた花を持ってきたのだよ。成歩堂、何度言っても言い足りないのだが、私は君が好きだ」

 改めて彼を目の前にすれば、唇からは淀みなく言葉が溢れた。
 そうとも、どんな決定的な証拠品よりも自信を持って、突きつけることができる。
 これが私の揺るぎなき、真実なのだから。

「……懲りないよな、お前。そろそろ諦めろよ」

 だが、それは決して、成歩堂の真実ではなかった。
 それを、今の私ならば痛いほどわかる。
 こちらの告白を聞くなり、脱力したように肩を落とした彼は、苦虫を噛み潰したような顔をしてげんなりと呟くのだ。
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