とある検事の愛の日記

□11月12日、曇りのち晴れ。
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 成歩堂に会いたい。

 あの賑やかな秋の祭りから、早くも十日以上が経ち、気がつけば立冬すら迎えていた。
 平日の夜に定時で仕事を終えるという無茶を押し通した分、その皺寄せが容赦なく来るだろうことは予想していた。
 いたのだが。
 あまりの仕事量にあくせくと日々を追われ、捜査と書類に忙殺された私は彼に会うどころか電話越しの会話すらできず、そろそろ限界だった。

 ああ、成歩堂に会いたい。

 恥ずかしがり屋な彼が、私に会いにきてくれることはまず、ない。
 うム、彼は奥手で照れ屋なのだ、そのぶん私が彼に会いに行けばよいだけのこと。
 寂しくはない、ないとも!

 これもまた慎み深い天性の小悪魔な彼がもたらす、そう、試練なのだろう。
 そうは言っても私とて仕事がある身だ、そうそう頻繁に彼の事務所に通えはしない。
 たまたま事件現場が近ければ、捜査のついでと向かうことはできるが、そう上手く事が運ぶことなど滅多にないのが現実だ。

 辛抱たまらず以前に一度、彼に会いたい一心で事務所を訪ねたことがあるのだが……あの時のことは、本当に思い出すだけでも恐ろしい。
 私が仕事を放りだして来たのだと(実際は刑事に押しつけて来たのだが)わかった瞬間、成歩堂の顔からは表情がすぅっとなくなり、かと思いきやにっこりと唇が笑みを象って。

「御剣……自分の職務もきちんとまっとうできないような人間と、僕がいつまでも付き合うと思う? 今すぐ仕事に戻らないと、一ヶ月どころか一生、クチきいてやんないぞ」

 表情はどこまでも穏やかな笑みを浮かべているというのに、その瞳はまったく笑っていなかった。
 いや、むしろ死んだ魚を見るような目をして、その声音は淀むことなく滑らかでありながら、どこまでも冷たく響いたのだ。
 ……正直に言おう、生きた心地がしなかった。

 彼を本気で怒らせてはいけない、いくら愛ゆえの行動とはいえ、度を越してはいけないのだと痛感した瞬間だ。
 あの日以来、どれほど心が成歩堂不足に陥ろうとも、仕事に私情を持ち込んだことはない。
 結果的に職務に対する私の態度は一層真剣さが増し、鬼気迫る迫力が余計に周囲を圧倒し、一段と仕事が捗るようになった。

 成歩堂はどこまでも私の天使だ。
 こうなることを彼が予想していたのだとするなら、その私への愛情の深さは計り知れないものがある。

 ああ、それにしてももう十日以上、彼の姿どころか声すら聴いていない。
 そろそろ禁断症状が出始めてもおかしくないぞ……そう、思っていた矢先だった。
 裁判所の廊下に見間違えようはずもない、愛しい彼の後姿をこの目が捉えた。

 奇跡、これぞまさに恋人たちの奇跡だ!

 私は迷いなく足を動かし、一歩近づくごとに高鳴る胸を持て余しつつ、彼の様子を窺う。
 こちらに背を向けて俯く成歩堂は、相変わらず青いスーツ姿で、右手に提出用の書類だろうか、封筒を持っている。
 不意に、ふるふると顔を左右に振り、かと思うとガシガシと頭を掻きむしり始めたので驚く。

 距離が縮まればその表情は、苦虫を噛み潰したような顔、次の瞬間にはよく目にする呆れたような顔。
 次いで不機嫌顔からハッと正気に返ったような顔をして。
 近づくこちらに気づく気配もなく、ぎゅっと唇を引き結ぶと、どこか決意を新たにしたような顔を上げた。

 ああ、可愛い。
 そしてなんと愛しい男だろう。


「どうした成歩堂、このようなところで百面相なぞをして」


 そう耳元で訪ねながらも、わかっているのだ、ここは神聖な彼と私の戦場である。
 その手に提げた現在抱えている難しい案件について、不安や焦燥、苛立ちや怒りを抱き、それでも断固として依頼人を守り抜くのだ、と。
 そう決意も新たに顔を上げたところに違いない。

 そのような彼が、心の底から眩しく思う。
 あわよくば抱き締め、慰め、労わりたいところだが、残念ながらここは私室でも彼の事務所でもないため、わきまえねばならない。
 だからこそ、耳元に顔を寄せるにとどめて囁いたのだが。


「ぎゃーッ、いちいち近いんだよこの変態がぁあ!!」


 という声とともに、今日も今日とて六法全書が至近距離から飛んできた。
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