とある検事の愛の日記

□10月31日、晴れ。
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 目が覚めると、どうやらソファの上だった。

 意識が覚醒するのとほぼ同時に顎と後頭部に強烈な痛みを感じ、思わず唸る。
 その声を耳にしたのだろう真宵君が、こちらを覗き込みながら「あ、御剣検事が目を覚ましたよ!」と笑顔で言った。

 体を起こしつつ改めて真宵君の姿を確認すれば、黒いとんがり帽子に黒のワンピースという、どうやらイワユル魔女の仮装であるらしい。
 うム、よく似合っているなと唸りながらも言えば、えへへーと嬉しそうに笑い「トリックオアトリート!」と遠慮なく手を差し出してくる。
 このやり取りこそが本日の命題でもあるし、私に異議のあるはずもない。
 素直に足元に置いてあった鞄に手を伸ばし、用意していた飴玉の詰め合わせ袋を取り出して手渡した。

 わぁああ高菱屋の一日限定百個のヤツだぁああと、瞳を輝かせて飛び上がらんばかりに喜ぶ彼女のその横で。
 いつものスーツ姿に戻ったらしい成歩堂が呆れた顔をして「真宵ちゃんこそ容赦ないよね相変わらず…」とかなんとか呟いている。
 ともあれ先ほどのけしからん姿は取りやめとなったようで、盛大に安堵する。
 とともに、微妙に勿体無いとも思ってしまった私に罪はない、ないのだよ。

 そのような己との闘いに煩悶としていると、不意に成歩堂がじっとこちらを見下ろしてきたので、途端に胸が高鳴った。
 なんだろうかと平静を装って見上げれば、しかしその顔は唐突に歪み。
 かと思いきや、体をくの字に折り曲げて、まさしく大爆笑しだしたので驚く。

 な、なんだ、何事だ、何故こちらを見て爆笑なのだ?!
 詰め寄れば、同じく彼の隣で爆笑している、包帯をぐるぐる全身に巻いた(恐らくミイラ男の仮装だろう)矢張が、「ほい鏡!」と大きめの手鏡を押しつけてきた。
 そこに映った己の姿に一瞬絶句する。
 そうしてその直後には。

「な、なっ、なんだこれは成歩堂ぉおおお?!」

 と、彼に詰め寄ることとなった。

 鏡の中の私は何故か真っ黒なマントを肩からかけており、胸元のクラバットと相まって何ともエレガントな雰囲気が増している…のでそれはまぁ良い。
 だが、だが!

 額に『肉』と書かれているのはどういうことだッッ。

 誰がやったなどと無粋なことを言うつもりはない。
 犯人など名乗り出なくともわかりすぎるほどにわかる、事件の影にやっぱりなヤツしかあり得ぬ。
 納得がいかないのは、そのようなヤツの犯行を、成歩堂が止めなかったというこの事実だ。

 止めるどころか率先して大爆笑とはどういう了見か!
 まさか油性ペンでの書き込みではあるまいな?!
 というか何故『肉』なのか?!
 どうせなら『愛ラブ成歩堂』ぐらい気を利かせて書かんか馬鹿モノが!!
 ツッコミどころは満載だ。

 とりあえず矢張、貴様生きて帰れるなどと思うなよ…!
 視線だけで殺せる能力があったなら、矢張は既に七回ほどは冥府行きだろうに。
 まったく厚顔無恥の極致にある男は「おおおこぇえな御剣、怒んなよ! 成歩堂もこうして笑ってるし、いーじゃねぇかたまにはハメ外せってッ」などと言いつつ、いまだ笑いの収まらないらしい成歩堂の肩に、馴れ馴れしく腕を回すのだ。

 私の成歩堂に軽々しく触れるなっ、そして成歩堂は笑い過ぎだ少しは控えろ!
 と半ば本気で訴えるが、誰も聞く耳を持とうとしないのは如何なものか。
 真宵君はさっそく飴玉を口に含んで「相変わらず三人集まると小学生みたいな幼馴じみーずですね〜」などと暢気に笑っているし、糸鋸刑事に至っては何故か私を見て目を潤ませている。

 ともあれ真宵君から「まぁまぁ御剣検事、似合ってますよバンパイアの仮装! せっかくなるほど君と二人で『御剣検事はヴァンパイアだねっ』て選んだんです、楽しみましょうよ!!」と満面の笑みで言われては、怒り続けることは至難である。
 ムぐぐと唸ったところで、「さぁさぁ、全員そろったしケーキ食べましょ〜!!」と真宵君こそが心底楽しげな口調で言った。
 いや、とりあえずケーキの前に額の『肉』を消させてくれ……と言ったところで誰も聞いていないため、一人寂しく給湯室のシンクで顔を洗う。
 おかしい、蛇口だけではなくこの目からも水が流れていく気がするぞ。


 どうやら油性ペンで書かれたのではなかったらしく、強めに擦ればほどなくして文字は消えた。
 ポタポタと垂れる滴を拭うべく胸ポケットを探ろうとしたその時、横から「はい、これで拭きなよ」という声とともに真っ白いタオルが差し出された。

 タオルからそれを差し出す手、その手の主へと視線を移動させれば。
 そこに、眩いばかりの慈愛に満ちた顔で佇む成歩堂が居る。

 なんということだろう。
 皆がみなケーキに夢中だというのに。
 愛しい優しい成歩堂だけはこうして私を気遣い、まさしく痒いところに手が届く行動で慰めてくれるのである。

 感動のあまりに固まる私をどう思ったのか。
 成歩堂はぎゅっと困ったように眉根を寄せ。
 唇を尖らせて気まずげに俯くと。

「さっきはその、まぁ九割がたお前が悪いけど! チョーパン喰らわせて、その、悪かったよ……けどお前が悪いんだからな?!」

 などと歯切れ悪く言い募るのである。


 まったく、ああまったくッ、何といういじらしさだ…!!


 瞬時にこの胸の高鳴りは最高潮に達し。
 思わず「好きだ成歩堂! そろそろヤラせ(口づけさせ)てくれ!!」と、通算十三回目の告白をしたのだが。

 照れ屋な彼からは案の定、「気持ち悪い寝言は寝ても言うんじゃねぇえ!!」という言葉とともに、白いタオルが顔面に容赦なくギュウギュウと押しつけられ。
 糸鋸刑事が気づいて止めに入らなければ、危うく呼吸困難であの世に旅立つところだった。
 ああ、花畑が見えたぞ成歩堂、君にも見せたかったなと言えば、お前の頭の中で花が沸いてるだけだぁあああと叫ばれた。

 まったく可愛い照れ隠しにもならんその反応、天性の小悪魔だな成歩堂。
 そんなところも大好きだ。
 フム、これが世に言う『惚れ直す』というやつなのだな。
 どうやら私は永遠に君という人間を恋せずにはいられないようだ。
 この責任、是非ともとってもらうぞ成歩堂。


 次の逢瀬には、また両手いっぱいの花束を抱えて行こう。
 私はこの上ない幸福感に浸りつつ、そう決意した。




***




成歩堂の仮装は狼男でした。
(ボロボロの服というか胸元にのみ集中してしまった御剣視点で、残念ながらスルーされてしまった事実の補足をこんなところですみません)
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