青い鳥
□5.その想いの行方を
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定時を少し過ぎ、夕闇が迫る頃。
けれど十分後には会議が控えているため、一息つくこともできず書類に目を通していた、その時。
久しぶりに携帯が、成歩堂からの着信を告げた。
応答すれば、途端によく通る気さくな声が耳に触れる。
自然と零れる笑みをそのままに、だがあまり時間がないことを告げれば、忙しいところごめんな、といういつもの口調で。
この間の執務室での一件について、詫びられた。
家に来ないか、という誘いの言葉と共に。
あの日のことは、思い返せば全く想定外の連続だった。
いささか乱暴に開けられた扉と、彼の態度は本当に信じられないもので。
突きつけられた言葉の内容もまた、ひどく想像の上を行き、果てに、滂沱の涙をこの目にしたのだ。
心底、驚いた。
だが、当の本人こそが余程混乱し、狼狽しているように見受けられて、すぐに冷静さを取り戻すことができたが。
紅茶を淹れてやり、落ち着かせてから話を聞けば、案の定。
盛大なる勘違いと、思い込みによる暴走だったのだと知れて。
そこまでは予想できたが、不覚にも突きつけられた何気ない一言を、やり過ごすことができず。
結果的に、彼への想いを吐露してしまうことになった。
もちろん、私の想い人が自分だなどとは、夢にも思わないだろう成歩堂は。
随分と衝撃を受けたようで、顔を赤くも青くもさせていたが。
最終的にはどこか疲れ果てたような顔をして、訪れた時のような勢いの良さは一体どこへ消えたのか、力のない足取りで出ていく背中を見送った。
見送りながら、成歩堂に対してひどく湾曲的ではあったが、想いを告げることができたという事実を噛み締める。
意図せず漏れた吐息は、安堵のそれだった。
楽になった、とでも言えばいいだろうか。
飲み込むばかりで苦しくなっていた心が、軽くなった。
決して、この想いの真実が届くことはなくても。
それでも彼にこの胸中にあるものを、認識させることができただけで。
もう、充分だろう……そう思えた。
それに、あの涙は、きっと。
私が誰かと結婚し、海外に行く、ということに対して、少なからず『嫌だ』と思ってくれた故のものだろうから。
……涙を見せてくれるほどには、執着し、必要としてくれているのだと。
そう思い至れば、どこか気恥ずかしく、じんわりと嬉しさが込み上げる。
我ながら単純なことだと、呆れを通り越していっそ清々しい。
例えその私への執着が、あくまでも『友情』というものの発露であると、わかっていても。
それでも、やはり私は彼が一番大事なのだ。
その涙を目にしたからこそ、痛烈に思い知った。
彼が必要としてくれている以上は、その想いに応えたい。
どんなに胸が苦しかろうとも、それすら葬り去ってみせようと。
そう、深く決意した。
だからこそ、成歩堂からの誘いに断る理由もない。
即座に予定表を思い浮かべ、都合のつく最短の日にちを弾き出す。
土曜出勤を予定しているが、休日出勤だからこそ定時であがっても何ら文句は言われまい。
その夜ならばと申し出てみれば、携帯越しの声は途端に弾んだものとなった。
『そんじゃ三日後に!』
「うム、楽しみにしている」
いつもと変わらぬやり取りが終わり、携帯はもの言わぬただの四角い箱となる。
その、初期仕様から変わらぬ待ち受け画面を見つめつつ、知らず唇からは溜め息が漏れていた。
そのような己自身に、自嘲の笑みをひとつ零すが、すぐさま脳内を目の前の仕事へと切り替える。
いまやるべきことを見失えば、それこそ彼の目の前に立つ資格など、ありはしないのだから。
三日などあっという間に過ぎ、その夜は成歩堂の家へと向かう。
インターホンを押せば、すぐさま扉は開かれた。
目の前に、相変わらず特徴的な頭の男が現れ、その瞳がこちらを認めると瞬時に柔らかく細められていく。
「やぁ、相変わらず時間通りだね、お疲れ。夕食まだだろ? 一緒に食べようと思ってカレー作ったんだけど」
言われてみれば確かに、そうとわかる独特の香りが部屋の奥から漂う。
好物だ、と言えば、知ってる、と彼は笑う。
誘われるままに部屋にあがり、これから始まるだろう楽しく有意義な、けれど少しだけ切なくもなるだろう時間を、思った。