血と愛

□11:夢の終わり
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*11:夢の終わり*


 降り注ぐ容赦ない大雨に打たれながら、倒れ込んだ御剣を支えつつも、僕は呆然と彼女を見ていた。

 淡い桃色のレースで飾られた傘を差しながら、嫣然と微笑む彼女はその薄紅色の唇から、間違いなく僕の名前を呼んだ。
 まさに百年振りに呼ばれた、その、甘い甘い愛称。

 リュウちゃん、と、呼んでくれたのは後にも先にも彼女だけだ。
 平凡な一人の男として生きていたあの頃。
 生まれて初めて好きになった、これ以上好きになんてなれないと思うほど熱烈に焦がれた、美柳ちなみ、彼女だった。


「ど…、して……?」

 どうして、君が、ここに居るんだ。
 僕が人間ではいられなくなって、既に百年が過ぎているっていうのに。
 どうして、あの頃とまったく変わらない姿で、そこに佇んでいるんだろう。

 ああだけど、だけど何よりも、何故。
 御剣を……正確には、僕を庇った御剣を、純銀のナイフで傷つけたのは、紛れもなく嫣然と微笑む彼女で。
 惜しい、と、もう少しで仕留められたのにと、そう言ったのも聞き間違いじゃない。

 苦しむ御剣を支えながら、それでも瞳は彼女から逸らせなくて、ただただ胸に湧きあがる途方もない疑問符を声にする。
 掠れて震えた小さなそれは、大粒の雨と空を翔ける雷鳴に掻き消されてしまったけど。
 それでも唇の動きで意味は伝わったんだろう、首を傾げて可愛らしく微笑む彼女は、その笑みを深くした。
 心底、楽しそうに、ひどく邪悪なその、笑み。


「やっぱり貴女が、裏で糸をひいていたのね」

 ちーちゃんこと美柳ちなみから、僕と御剣を庇うかのように、立ちはだかった千尋さんが硬い声で言う。
 咄嗟にゴドーさんがこっちに来ようとして、だけど急に攻撃を仕掛けてきた狩魔豪によって阻止されてしまった。

「チッ、気をつけろよ千尋! そいつは俺を『こんな体』にしたヤツだからな」

 激しい打ち合いの合間に、そんな警告が届く。
 こんな体って、なんだろう。
 ぼんやり思いながらも、千尋さんが頷いてちーちゃんと対峙する様子を、ただ僕は見つめていた。

「いやね、怖い顔。裏で糸をひくだなんて、人聞きの悪いこと言わないで。ただ利害が一致していただけよ」

 でもまさか、降霊魔法まで出てくるなんて思わなかったけど。
 そう言って、くすくす笑う彼女は、だけどすぐさまその笑顔を消した。

「でも、もうそろそろ限界でしょ? その魔法は宿主の体への負担が大きいし、あなたは既に大技を何度も出して魔力も残りわずか」

 うっとおしいから、消えてちょうだい。
 言うなり、美柳ちなみが素早く魔力での攻撃を繰り出した。

 千尋さんは僕たちが背後に居るからだろう、避けることもできずに防御壁で対抗する。
 彼女の言葉どおり魔力が尽きかけているのか、千尋さんは防戦いっぽうで、徐々に苦しげにその肩が揺れるのが、背後からでもわかった。

「ち、千尋さん…!」

 混乱する脳内から、それだけ言葉にできたけど、あとは声にすらならない。
 彼女、美柳ちなみは、僕の知る限り紛れもない人間だった、はずだ。

 こんな、詠唱もなく攻撃魔法を繰り出せるなんて、そんなこと出来るはずがない。
 そんなことが出来るのは、魔女や吸血鬼たち以外にいないからだ。
 ということは、彼女は千尋さんや真宵ちゃんと同じ、魔女ってことなのか?


「そんな、そんな……」

 極度の混乱と焦燥に、体が勝手に震える。
 そんな僕の目の前で、苦しげに眉間にヒビを走らせた御剣が、この肩をぎゅっと掴んだ。

「落ち着け、成歩堂。今は、とにかく敵を倒すことだけ考えろ」
「敵…、ちーちゃんが、敵……?」

 どうして、好きだったのに、どうして、敵ってナニ。
 ひどく虚ろな目をして、御剣を見返していたらしい。
 その怜悧で端整な顔が、苛立たしげに歪む様を、呆けたまま何の感想も抱けずに見ていた。
 そうしたら。

 ぐいっと、その両腕が背中と腰に回されて、抱き締められた。
 しかも思いっきり全力で、容赦なく。

「ぐぇっ」
「相変わらず色気のない声だな。このまま抱き潰してくれようか」

 いやいやいや、シャレになんないからそれ!
 マジ勘弁して下さいよいきなり何なんだ。

 耳元で鋭く囁かれたその声音には、本気と書いてマジと読む的な感情が込められていて、思わず盛大に胸中でツッコミを入れた。
 そこで、ハタと冷静さを取り戻せた自分が、居ることに気がついた。

「このままでは時間の問題だ。疑問は尽きないだろうが、まずは生き残らねばその疑問も晴らせんぞ。背中のナイフを抜いてくれ、成歩堂」
「わ、わかった!」

 深々と刺さったナイフを、僕はひと息に引き抜いた。
 ぐっ、と小さな呻きがひとつしたけれど、御剣はすぐに立ち上がる。


 真っ直ぐに美柳ちなみを見る、その横顔に、ひどく冷たい怒りと、それから。
 どうしてだろう、どこか哀しげな表情が浮かんでいるような、そんな気がした。
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