血と愛
□9:奥底にあったもの
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*9:奥底にあったもの*
またも僕を庇うようにして立つから、その背中しか見えない。
どんな表情で、どんな目をしているのかなんて、そんなこと。
なのに。
「成歩堂は関係ありません。この者は、何も知らない。抵抗はしません、ですから、彼に手出しはしないで頂きたい」
傲慢で、残酷な男だったはずだ。
僕なんてただの都合のいい下僕で、食料で、暇つぶしの玩具でしかなかったはずだ。
だからこそ、僕はその残忍な気まぐれの犠牲者として、人間を辞めなければならなかったっていうのに。
何だ、これ。
誰だよ、こいつは。
「御剣…?」
ようやく声が出た。
ひどく掠れてしまったそれは、でもちゃんと彼には届いたようで。
ちらりと振り返ったその顔には、似合わない笑みが浮かんでた。
ああ、とんでもなく似合わない、なのにひどく懐かしい、その、優しく穏やかな笑みを。
僕は、知っている……知っていた。
「愚かなものだな。そこの元人間は、決して貴様に従順な下僕などではない。忠義心など欠片も持たず、貴様の死を心の底から望んでいたというのに、それでも守るか。どこまで我らの道に反すれば気が済むのだ!」
そうだ、僕は諦めたフリをして、御剣の下僕という立場を甘んじて受け入れてきたけれど。
一日だって、恨まなかった日はない。
憎らしくて、忌々しくて、気が狂いそうになりながら。
それでも、傍に居るしかなかったから、居ただけだ。
僕はずっと、主の死を願う矮小な下僕だった。
そしてそれを、御剣こそが、よくよくわかっていたはずなんだ。
なのに……どうして。
そんな、笑みを浮かべるんだよ。
そんな、穏やかで、満ち足りた、なのにどこまでも孤独な、笑みを。
「もとより承知しています。けれど、私はそれでも、成歩堂を守るためならばこの命など惜しみはしません」
悪い冗談だろう、御剣。
何を考えてるんだよ、なんでそんなことを言うんだ。
やめてくれよ、ガラじゃないだろ。
まるで悪夢を見ているようだ。
声も出ない。
「私という存在が、先生にとっての『完璧の証』になることで、成歩堂を見逃して頂けるというのなら、喜んでなりましょう」
やめろよ、やめてくれ、何だよそれは…!
わけがわからなくて、僕はひどく混乱した。
完璧ってなに。
どうして御剣を、半分人間の血を侮蔑する大吸血鬼が、欲しがるんだよ。
「フン、良いだろう。つまらん展開だが、無駄な時間を費やすことがなかったと思えば腹も立たぬわ。もとより下賤な元人間なぞに興味もない。その『心臓』にもだ」
貴様の意思さえ我輩の自由にできるのならな、と。
そんな言葉が終わらないうちに、御剣の周囲を配下の吸血鬼たちが囲む。
剣をいくつもその首に突きつけられながら、それでも堂々とそこに佇んだ御剣は、もう何の言葉も発する気配はなくて。
ちょっと待って、待ってよ。
意味がわからないよ、ねぇ。
緊迫した空気の中で、御剣が一歩、狩魔豪のもとへと動く。
僕から、ゆっくりと、その体が離れていく。
待って、違う、ごめん、嫌だ。
ごめん、違う、待って、ごめん。
混乱する……どうして?
夢の中で繰り返した言葉が、僕の脳内を侵食する、この感覚は一体なんだ。
誰かが、ごめんと叫んでる。
ああ違う、いまは、そんなことどうでもいい、いまは!
「待てよ御剣っ、どうして!?」
どうして、お前が僕を庇うんだよっ。
違うだろう、こんなのは、間違ってる!
だって僕は、僕は間違いなく、お前の死を望んでた。
憎んでいるし、恨んでいる、それは絶対に変わらない。
だけど、それは……それは!
お前が、お前が僕にした仕打ちのせいじゃないか…!!
僕は、一度だって吸血鬼になりたいなんて、人間をやめたいだなんて、そんなこと願ったことはない。
普通に暮らして、普通に生きて、結婚して、家族を持って!
そんな当たり前な幸せを望む、人間でいたかった!
なのに御剣、お前がそれを壊したんじゃないかッ。
僕の意志なんて、一度だって尊重されたことなんて、なかったのに。
なのに、なのに…っ!
叫ぶように問いかけた、僕にお前は振り向いて。
僕を透かした、どこか遠くを見据えながら。
「君を、愛しているからだ」
そう言って、ひどく儚く笑うんだ。
いつも見せられてきた、夢の中の『謝られていたあの人』みたいに。
ああ、……そうだ、あの人は。
どこまでも優しく、哀しげに笑ったんだ。
『愛している』
と、そう、しとしとと静かに降りかかる雨のように、囁いて。