血と愛

□8:廻る半分の
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 僕の前に現れた御剣は、少しの沈黙の後に、ゆっくりと頭を下げた。
 右手を胸に当てて、いつものように、貴族然とした優雅な会釈だ。

「お久しぶりです、先生。ご健勝そうで、何より」
「ハッ、今さら殊勝な態度をとるか。無駄なことだ。この我輩が手ずから、貴様に引導を渡すことに変わりは無い」

 まさに一触即発といった雰囲気で、僕はただただ二人のやりとりを見守るしかない。
 口を挟めるような度胸もなければ、そんな状況でもなかった。

 ふぅ、とひとつ大きな息をついた御剣は、下げていた頭を上げる。
 背中から見ている僕には、その顔にどんな表情が浮かんでいるのか、想像することさえ難しい。
 だけどその声は、ただ無感動に淡々と響いた。

「……私が、正真正銘、半端な吸血鬼だから、ですか」
「愚問だな。吸血鬼界にとっての汚点でしかない、貴様など。何をとち狂ったか、仮にも三大吸血鬼と呼ばれたあやつが、卑しく低能な人間との間に、子を儲けるなどっ」


 ……は、なん、だって…?
 いま、狩魔豪はなんて言った?


 御剣が、半吸血鬼?
 ……人間と大吸血鬼との間に生まれた、混血!?


 目と口をぱかりと開いて、僕は愕然と動かない背中を見つめた。
 驚愕が大きすぎて、声も出ない。
 雷に打たれたみたいに、ただパクパクと口を開閉するだけだ。

 だって御剣が、半分人間だなんて。
 こんなに、こんなに吸血鬼然とした男に、人間の血が半分流れているだって?
 到底、受け入れられない。

 だって彼は、そこに立っているだけで周囲がざわめくような、人間離れした美貌の持ち主で。
 残酷で、我が儘で、非情な化け物だと、そう思ってきたのに。

 ああ……だけど。
 そう言われれば納得できることは、いくつかあった。
 そう、例えばどうして、僕の血しか吸血しない御剣が、百年ももつのか、とか。
 そして他でもない僕こそが、どうして御剣の血だけで飢えを凌ぐことができるのか、とか。


 御剣の血が、半分人間のソレだったからだ。


 唐突に浮かび上がった真実に、思考は忙しなく駆け巡るのに、体は硬直したまま動けない。
 そんな僕を置き去りにして、目の前の時間は流れていく。


「事実を、否定するつもりはありません」

 いっそ清々しいほどの直立不動で、御剣は淀みなく肯定する。
 汚点だと、吸血鬼界の王が言うなら。
 階級社会に生きる彼らから、どれほどの差別や蔑視を受けてきたんだろう。
 知らない、そんなこと、ちっとも知らなかった。

「半種の分際で、それでも目をかけてやったというに、貴様はこの我輩に砂をかけたのだ。つくづく、親子そろって愚かな!」

 何をどう『砂をかけた』のか、僕にはわからない。
 御剣はただ、僕が知る限り少なくとも百年間は、年に一回のローブを纏う日を除けばほぼ毎日、この屋敷の中でひっそりと生活していただけだ。
 なぶり殺してもなお足りぬ、そう恫喝する狩魔豪は、だけどそこに立つだけ。
 背後に控える吸血鬼たちに指示をするでもなく、ニヤリと嫌な嗤いを浮かべる。

「だがな、殺すことはいつでもできよう。それではつまらぬ、貴様には、似合いの『生き方』を用意してやろう」

 惨めに生き永らえて死ね、と。
 そう言い終わるのと同時に、周囲にいた見知らぬ吸血鬼たちのうち二人が、僕の体を後ろから拘束した。
 ろくな抵抗もできずに、気がついたら両手を背中でまとめられ、首にはナイフを突きつけられていた。

 あ、と思った時には。
 だけど御剣の攻撃がナイフを弾いて奪い、その勢いのまま白刃が目にも止まらぬ速さと強さで、僕を拘束している男たちに襲いかかる。
 即座に僕の体は解放され、代わりに男たちが足元に転がった。
 どちらも胸や腹部を庇いながら、呻いている。

 とんでもない戦闘力に、初めて御剣の本気を目にした僕は、もう色んな意味で開いた口が塞がらない。
 これが半分人間の男の動きか?
 純吸血鬼を二人も相手にして、こんな反撃の隙も与えないような戦い方のできる、男が?

「フハハッ、半分とはいえさすがは始祖の血か。我輩の弟子でもあった貴様だ、そう簡単に事が運ぶなどとは思っておらぬわ。だが……この者たちが狙うのが、貴様ではなく、元人間の眷属だとしたら、どうだ?」
「……!」

 王の配下の吸血鬼たちは、数にしておよそ二十。
 いくら御剣であっても、一斉に襲い掛かられたら、しかもその標的が僕だというのなら。
 明らかに、勝ち目はない。

 だって僕はただの眷属でしかないんだ、戦闘力はハッキリ言って底辺、たった一人の吸血鬼にさえ苦戦を強いられるだろう。
 御剣がいくら庇ってくれたって、この数相手にどこまで通用するか。

 わぁ、結局このパターンか、とどこかぼんやり思う。
 御剣が殺されてくれたらなぁとは思いつつも、まぁどうせ眷属である僕がまず真っ先に殺されるだろう、なんてことは。
 ちょっと想像すれば、すぐにでもわかることで。

 仲良く心中パターンだけは絶対に嫌だと思ってきたけど、どうやらもっと最悪なことに、僕だけ殺される算段らしい。
 ホント、とばっちり人生ここに極まれり、だな。
 あーあ、と胸中で深く深く溜息を吐いた。


 だから、御剣の手からナイフが落ちて、地面にカランと転がるのを見た時には。
 僕の思考は、完全に一時停止した。
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