血と愛

□7:堕とされた世界
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*7:堕とされた世界*


 御剣が正義のヒーローもとい魔道士だと思い込んでいた僕は、こっそり夜に部屋を抜け出しては、裏手の森の入り口で彼と会い続けた。
 御剣は僕が行けば、必ずと言っていいほど、そこに佇んでいたからだ。
 ただし、夜に限ったことだったけど。

 どうして夜にしか会えなかったのか、よくよく考えればわかりそうなものだったのに、当時の僕は疑問にも思わなかった。
 彼は、僕にとっての救世主であり、疑う余地も何もあるわけない。
 むしろ、こんな何の取り柄もない子供に、綺麗で格好良くて強い大人の人が、何度も会って話を聞いてくれることこそ奇跡みたいなことで。
 いつだって、会うたびにドキドキして、嬉しくて仕方なかった。

 それから、僕にはもう一人、大切な親友が出来た。
 矢張という同い年の彼は、僕が部屋に戻って「お金は盗んでない。魔道士が証明してくれたんだよ」と主張した時に、それでも疑いの眼差しを向けてくる他の子たちに対して、唯一庇ってくれた男の子だった。

「お前らいい加減にしろよな! 成歩堂がやったなんて、誰も見てねぇのに決めつけてんじゃねぇよッ。俺はお前らみたいなのが、一番嫌いだ!」

 そう言って、結局は僕と一緒くたに仲間外れの憂き目にあったのに、それでも矢張は笑い飛ばして毎日楽しそうで。
 そんな彼にどれだけ救われたか知れない。

 僕にとって唯一の親友となった矢張のことも、もちろん御剣に嬉々として報告した。
 御剣は基本的に「そうか」とか「うム」とか、そんな感じの素っ気ない相槌しか打たない。
 でも必要なことはきちんと言ってくれたし、自分なりに頑張ったことを報告すれば、微笑を浮かべて褒めてくれた。

 今では考えられないことだけど、あの頃の僕に対する御剣の態度は、とても……言葉にするのも嫌になるほど、とても優しいものだった、表面上は。


 僕は心底、恩人である彼を尊敬し、全幅の信頼を寄せていた。
 なのに、それを。
 御剣は何の躊躇いもなく、見事に裏切ってくれたんだ。


 きっかけが一体なんだったのか、今となってはもうよくわからない。
 ただ、目の前で、はらはらと涙を流す青年に、当時十歳の僕が呆然と佇む以外に、何ができただろう。

 御剣が、というより、大人が涙を流すところなんて、生まれてこの方目にしたことなんてもちろん、なくて。
 しかも颯爽と現れて僕を助けてくれた、憧れの人がだ。
 その時の僕が味わった衝撃は、とてもじゃないけど一言では言い表せない。


 寂しい、哀しいと。
 彼はただ、泣いていた。

 私は永遠に、独りなのだ、と。
 堪えきれないと言うように。
 もう嫌だと言うように。


 彼はただ静かに涙を流して、慟哭していた。


 ビックリっていう衝撃が通り過ぎると、僕の心にもその痛々しいほどの孤独感が伝わる。
 そうすれば、自然とこの目にも涙が浮かんだ。

 あまりにも、あんまりにも、それは哀しい光景すぎて。
 星がキラキラ輝く夜で、あの月の光を今でもハッキリと覚えている。
 こんなに綺麗な夜空の下で、綺麗な綺麗な御剣が、辛そうに、恥も外聞もなく泣いているなんて。

 とても、とてつもなく嫌だった。
 どうか泣かないでほしい。
 どうか、あの世界で一番美しいと思えた、微笑みを見せてほしい。

 そんな想いに駆られて、だから僕は、必死に拙い唇を動かしていた。


「僕が居るよ! 御剣の傍に、ずっとずっと、一緒に居るから…!」


 だからもう、独りじゃないと、そう思ってもらいたかった。
 そう思ってもらえれば、その瞳からこれ以上、見ているだけで苦しくなるような涙が零れることは、なくなるんじゃないか、なんて。
 そう、幼い僕は、思ってしまって。


 そうして……その後のことは、ボンヤリとしか覚えていない。
 精神が拒否反応を起こしたんだろうな、というくらいには口にするのもアレな体験だったから。

 次に目覚めた時には自分のベッドの上で、いつも通りと変わらない日常が待っていて。
 だからこそ、あの時のことはきっと変な夢だったに違いないと、そう暢気に思っていた。
 だけど結局はあの夜から、僕の体はゆっくりと御剣の血を受け入れ、溶け合い、全身を百年かけて変質させていったんだ。


 御剣の眷属という、バケモノへと。
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