血と愛
□1:月夜と色のない花
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窓から差し込む月光の明るさに、今夜が満月だということを知る。
知れば、この足は自然と庭に向かった。
いつから始めたものだったかも、とうに忘れてしまった習慣に体を突き動かされて、月光の下で咲く花を一輪、摘み取る。
花の種類なんて人間だった頃からよく知らないし、日の光の下で見れないから色の区別もわからない。
ただ、この日この夜、この場所で咲いていた可憐な花を摘む。
もう顔も思い出せなくなってしまった、彼らを偲びながら。
そんな僕の行動は、全てが主である御剣には筒抜けで。
そして残念なことに僕の主であるバケモノは、独占欲の塊だった。
「つくづくお人好しな男だな。偲んだところで、とうに失われた魂など蘇りはしないというに」
「うん、でも、そんな人が好すぎる僕だからこそ、お前の面倒が見られるんだとつくづく思うんだけどなぁ」
「主に対して何たる傲慢な態度だ、君はいまだ下僕としての意識が足らぬようだな」
そう嘯く声音はどこまでも楽しげで、花から、というよりも花を通して偲んでいた魂たちから僕が意識を逸らしたことに、満足げに頷く。
そうしてどこまでも偉そうに胸を張って、言うんだ。
「今日のデザートは何だ?」
吸血鬼は人間の血液の次にスイーツに目がない。
なんていう衝撃の事実も、僕はこいつを通して知ったっけね。
下僕になった当初に手作りケーキを作れと命令された時には、憎悪と殺意と狂気を通り越して脱力したな、うん。
「パンケーキ」
即答すれば、フッという嘲笑が降ってきた。
「またか」
「まただよ、だってもう貴重な食材が底を突いてんだから仕方ないだろ。嫌なら『狭間』を呼べよ」
狭間、というのは人間でありながら、吸血鬼相手に商売を行う商魂たくましい一族のことだ。
彼らは貪欲にして狡猾、そして何より金に魂を売っている。
自分が利を得ることを何よりも最優先にし、そのためならば例え相手が吸血鬼であっても、恰好の商売相手として見るんだから、その欲深さたるや。
「そうだな、そろそろそのような時期か。気は進まぬが……今代の『狭間』はどうにもいけ好かぬ」
笑える言い分に、唇の端が持ち上がってしまった。
咄嗟に俯いて隠そうとしたけれど、空恐ろしいほどに夜目が利く相手は、言わずと知れた夜の王。
無駄な抵抗だった。
「それだ、君があやつを気に入っている。あやつは似ているからな、君が『人間であった頃の友』に。だからこそ、私はあの者を抉り殺したくなる衝動に耐えねばならぬのだ」
「それはそれは、すみませんでしたねぇ」
耐えずに殺せばいいじゃないか、と、口には出さずともいとも簡単に思えてしまう僕は、既に人間ではないんだろう。
僕は確かに『あやつ』を好ましく見ている、それは事実だ。
だからこそ、その人間をお前が殺せば。
憎悪がまたひとつ深くなる。
殺意はまた一段と確固たるものになるだろう。
狂気はいつの日か……岩をも砕く信念になるだろうか?
ああ、僕がまったく諦めちゃいないことを。
他でもない、お前がよくわかっているということなんだろうな。
空を見上げれば、気の遠くなるほどに幾度もこの身を照らす満月が、静寂の中にあって煌々と輝いていた。
嘲笑っているんだろう、そんな風に思える自分こそが、嗤えた。
吸血鬼に血を吸われても、死霊にはならない。
ただ、あるひとつの儀式を経ることで、死霊ではなく『眷属』となってしまうことは、ある。
眷属となった人間は、吸血鬼と同じく不老不死になり、血への渇望を覚え、いつしか『人間』から『バケモノ』へと堕ちていく。
これが、僕が身をもって知った最大にして最悪の、真実。