血と愛
□11:夢の終わり
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まるで時間の進みが遅くなったかのように、僕の目にはその光景がひどく緩慢に、ゆっくりと映った。
御剣の全身から力が抜けて、その瞳から徐々に色が失われていって。
なのに僕に向けられたその顔は、ふっと気が抜けたような安堵の表情が、一瞬だけ浮かんで消える。
その手が僕に伸びたから、反射的に伸ばした手は、だけど。
触れ合うことはなかった。
「ぁ、あ…!」
声にならない叫びが、この喉を、心を、全身を震わせる。
崩れるように倒れていく、その瞳は固く閉ざされ、その顔は薄気味悪く感じるほどの青白さで。
地面に広がる血だまりは、降り注ぐ雨と、濡れてぬかるんだ土と混ざって、境界をなくしていく。
吸血鬼は死なない。
死なない、はずだ。
だから大丈夫、御剣は大丈夫……そう思いたいのに。
そう思い込もうとするのに、うまくいかなかった。
心の奥のもっと奥、僕を『僕たらしめる何か』が、さっきからずっと、身を切るように叫んでいる。
御剣が、死んでしまう。
居なくなってしまう。
僕の傍から。
そんな、そんなことはないはずだ。
だって半分とはいえ吸血鬼なんだよ、しかも始祖の血なんていう、れっきとした血統に連なる者じゃないか。
だから、……だから。
「空っぽの器に、興味はないのよ。まぁ人形にしては、よく粘った方だと思うけど。ふふふ、馬鹿よね。ねぇ、リュウちゃん。あなたみたいな矮小な存在に、大切な『心臓』を、『あげてしまう』なんて」
「…、……え…?」
なに。
何を言ってるんだ、彼女は。
大切な心臓を、僕にあげた?
御剣の心臓を、僕が持っているっていうのか?
そんなの、そんな荒唐無稽な話、一体どこから持ってきたんだ。
「あら、知らなかったの? リュウちゃん、あなた、知らずに今まで生きていたの?」
主が馬鹿なら従者も、ってやつね。
たっぷりと侮蔑を含んだ声音で、そう言われた。
勝ち誇ったような笑みで、それなら残酷な真実ってやつを、教えてあげるわ、と。
「人間が吸血鬼の眷属になるためには、とある儀式が必要なの。これは実体験でわかっているでしょう? 妙薬の結晶、その源である吸血鬼自身の心臓の欠片。これを人間の心臓に埋め込ませ、溶け合わせ、ゆっくりとその血肉に融合させれば完了。意のままになる下僕の誕生よ」
そうだ、僕はそうして眷属になった。
御剣に、ずっと傍に居ると約束したあの日、僕は初めて血を吸われ、麻痺して動けないまま胸を切り開かれて。
心臓に、何か、紅く朱く輝く『何か』を、埋め込まれたんだ。
ソレが、心臓の欠片だったと知ったのは、眷属として生きる以外の道を絶たれた後だったけど。
でもそれは、あくまでも心臓の欠片で、心臓そのものでは、ない。
ああ……、だけど僕は。
そこまで考え至れば、思いつきたくもない要素に、気づいてしまう。
それが、『半分人間の御剣』だったら、どうなんだろう、と。
「ここまで教えれば、薄々わかるでしょう? 御剣という吸血鬼は、半分は人間だもの。その心臓だって、どんなに始祖の血が濃くても、やっぱり中途半端なのよね。だから……取るに足らない下僕一匹つくるのに、自分の心臓すべて使ったのよ」
それがどういう意味なのか、もう、説明されるまでもない。
どうして頻繁に、僕の血を飲んできたのか。
どうして極力屋敷に籠もって、僕の傍から離れないようにしてきたのか。
どうして、狩魔豪から侮蔑され、忌々しげに罵倒されたのか。
その全ての答えが、僕という存在、そのものにあった、だなんて。
「あッ…、ぁあああああ…っ!!」
脳が、胸が、心臓が。
いいや違う、この命が、悲鳴をあげた。
悲鳴をあげているという事実を自覚する余裕もなく、ただ、口を開いたら音が漏れていただけ。
視界が真っ赤に染まっていく。
完全に染まりきったソレは次第に白く、白く焼けて。
それから……それから。
『きっと、僕は憎むだろう』
遠く遠く、声が聞こえた。
『きっと君を、憎んでしまうだろう』
哀しく、苦い、その声は。
何度も何度も、繰り返し聞いてきた、夢の中のあの声、で。
『だけどどうか、躊躇わないで。迷わないで。例え「生まれ変わった僕」が、何もかも君のことすら、忘れてしまっていても』
どうか。
『……ひどいことを、言ってる自覚はあるよ。全ての罪を、抱えていくから。だから、御剣』
ごめん。
ごめんね。
ごめんなさい。
ああ……ああ、御剣。
君は、僕との遠い『約束』を。
『どうか、君の眷属にしてほしい』
ただ、ただ僕の願いを叶えるために。
あの日、君は僕を。
眷属に、『してくれた』んだ。