いただき物

□駆け引きの終着点
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来神時代






とにかく、平和島静雄は折原臨也という人間が大嫌いだった。
嫌味な口のきき方もさることながら、あの挑発的な赤い眼。
あの赤と視線が合う、それだけで静雄の腸が煮えくり返るには十分な理由だった。
それから、軽やかな身のこなしも気に食わない。細いのにしなやかで、鍛え抜かれた肉体が自分の怪力を軽々と交わし、喧嘩人形とさえ囁かれるこの身と対等に渡り合っているという事実が憎たらしかった。
だが、それは同時に静雄にとってとてつもない安心を与えた。
彼なら、どんなに抑えきれない暴力を解放して暴れてもそれと同等に渡り合う術を身につけている。それに、たとえ傷つけてしまったとしても殺したいほど憎たらしい相手だから、大して気に病む必要もない。
ありのままの自分でぶつかってもいい。誰よりも暴力を忌み嫌い、誰よりも暴力を恐れ、誰よりも暴力に依存して生きてきた静雄には理性をかなぐり捨てて臨也と喧嘩する時間はしがらみや恐怖から解放されたある種の安らぎのようなものになっていた。
憎悪から生まれる安息―――その歪んだ感情はいつしか彼の胸にくすぶる想いを植えつけた。
本人すら持て余すようなその想いを、果たして人は何と呼ぶのだろうか―――?














細身の長身から立ち上る怒りのオーラに廊下でたむろして雑談に興じていた生徒達は次々に彼に道を譲る。
モーセの如く割れた人波のど真ん中を上履きを踏み鳴らして突っ切る静雄は購買で買ったばかりのパック牛乳についていたストローを噛みちぎらんばかりの勢いで齧った。
イライラしたときにはカルシウムを取るといいと医学に明るい友人と可愛い弟から勧められているから極力摂取するように心がけているが、今日の怒りはこんなちっぽけなパックに詰まった微々たるカルシウムでは収まりがつかないだろう。
壊さんばかりの勢いで扉を開けると昼休みの喧噪に包まれていた教室が水を打ったようにしんと静まり返った。
何事かと驚いて注目してくるクラス中の視線が彼の苛立ちを助長する。
さざ波のように小声でささめき合うクラスメイト達の間を縫うようにして自分の席に戻ると、彼はどさりと固い椅子に腰を下ろした。

「やぁ、今日は一段と荒れてるね」
「…うぜぇ」

席に着いた途端、隣の席から腐れ縁の幼なじみが呆れたように声を掛けてくる。
低い威嚇の言葉で返しても、新羅は異臭を放つ弁当を突っついて飄々としていた。
漂ってくる焦げ臭さに静雄は顔をしかめる。

「……それ、焦げてないか?」
「火の通りが甘くて生だと食中毒になりかねないからね!それを見越したセルティの最高の心遣いの結果だよ!見てくれこのよく焼かれたかに玉と少し芯が残って歯ごたえ抜群の白いご飯!まるで彼女の豪快かつ大胆な魅力を写し取ったみたいじゃないか!」
「…お前がそう思うんならそうなんじゃないか?」

喜々として突きつけられた弁当箱の中にはかに玉の材料が燃焼した消し炭と箸では掬えそうにない硬度を保ったままの米が所狭しとひしめき合っていた。
白と黒のモノトーンで彩られた弁当箱を遠い目で眺めながら静雄は少しばかり毒気を抜かれた様子で曖昧な答えを返す。
正面を切って否定しないのは、新羅に同意したいわけではなく仲良くしてくれるセルティの名誉を守るためだ。
黒焦げの弁当を幸せそうに食べている新羅の横で静雄は鼻を突く異臭にげんなりしながら購買で買ってきたメロンパンの封を切った。

「それで、どうしてあんなに怒ってたの?」
「…別に」

大口で齧り付くと食事中なのに箸を片手に行儀悪く頬杖をついた新羅が興味本位で訊ねてくる。

「また臨也絡みかい?」

掘り返されたくなくて適当に流したのに、新羅は意地悪く核心を突いてきて、静雄はぐっと押し黙った。

「まったく、また何か因縁つけられたのかい?臨也も懲りないねぇ」
「違ぇ。あんなノミと口きくなんて考えただけで胸くそ悪ぃ…ただ、さっき臨也が女子と二人で歩いてるの見かけて…あの野郎、こっちと目が合った瞬間、俺を見てすかした顔で笑いやがったんだよ」

思い出しただけでムシャクシャしてきて、口の中に広がる甘ったるさを残り少ない牛乳で流し込む。
脳裏に焼き付いた嫌味な笑顔に彼は奥歯を軋ませた。

「あぁ、そういえば昨日三組のテニス部の女子と帰るところ見たよ。あの、茶髪で巻き毛の子」
「いや、さっき見たのは腰ぐらいまでの長さの黒い髪で眼鏡かけた女子だった」
「えぇ?三組の子とつき合ってるんじゃないのかい?」
「いや…一昨日は、うちのクラスの芹沢と一緒にいた…その前は隣のクラスのすげぇちっちゃい子とべったりだった」
「おやまぁ、とんだ遊び人だね」

中学からの友人の節操のない話を聞いて新羅は半目になって肩を竦める。
その隣で静雄は食べ終わったメロンパンの袋をグシャグシャと丸めた。
購買から昼食を買って帰る途中、女子生徒を伴って屋上に向かう臨也の姿を見かけた。
何となく立ち止まってそれを見送っていると、俄かに振り返った臨也がにやりと笑って、見せつけるようにその女子生徒の腰に手を回したのだ。
臨也が女子を連れて歩くのは今に始まったことではない。
静雄が知る限り、もう一ヶ月ほど前から臨也はこうした行為を繰り返している。
あの眉目秀麗な顔を駆使して言葉巧みに言い寄られれば、落ちない女はそうそういない。
休み時間ともなれば彼の周りにはありとあらゆる手段でたぶらかした取り巻きの人間達で溢れ返る。
臨也はその中からその日気に入った人間を一日中連れて歩くのだ。
そのせいもあって、ここ一ヶ月ほど静雄は臨也との接触を避けているため派手な喧嘩にも発展しない。
上辺だけとはいえ仲睦まじくしている二人の間に割って入るのも無粋だし、それで女子生徒が巻き込んで怪我をさせてしまうのも後味が悪い。おかげで近頃校内は平和そのものだ。
それが静雄には落ち着かなくて更に苛立ちを増す原因となっている。
暴力なんて嫌いなのに、暴れていないと気が済まない。
矛盾した衝動が体を蝕んで苛立ちが治まらない。それに加えてあの嫌味な笑顔。まるでやきもきしている自分を馬鹿にしているとしか思えなかった。

「まぁ、恋愛感情なんてこれっぽっちもないんだろうけど、臨也の女の趣味もなかなかに統一されないね」
「…興味ねぇな」

口ではそう言ってみたものの頭の中にはさっきすれ違った女子生徒の顔が離れない。
ほっそりとした手足に凛とした横顔。眼鏡の似合う知的な美人だった。
昨日新羅が見たというのはテニス部のエースで全校集会でも何度も表彰されているから顔を見たことがある。茶髪の巻き毛が特徴の活発そうな子だ。
一昨日はクラスメイトの芹沢という女子。顔は中の上くらいだが豊満な胸がいつもワイシャツのボタンを張り詰めさせていてグラビア並のボディーラインを持っている。
その前は隣のクラスの背の低い女子だった。おそらく、同学年の中では一番小さい子なのではないだろうか。
それより前は睫の長いぱっちり二重瞼の子、肌が綺麗で色白の子、アニメのキャラクターみたいな甘ったるい声の子…毎日毎日、すれ違う度にタイプの違う女子を侍らせて、臨也は楽しそうに笑っている。
それなのに、自分ばかりが発散できない不快な熱に悶々とさせられて不公平だと静雄は飲みきった牛乳パックを畳んで立ち上がった。

「ちょっと、静雄。どこ行くの?」
「やっぱり胸くそ悪ぃから臨也の野郎殴ってくる」
「えぇ!?もうすぐ昼休み終わるよ!」
「フケる」

呼び止める新羅の声を無視して静雄は教室を出た。
女子に怪我させてしまうことが心配なら首根っこを掴んで臨也だけを引きずり出せばいい。どうして今まで気がつかなかったのだろう。とにかく限界だ。何が何でも殴る。
肩を怒らせて出ていった静雄の後ろ姿を見送った新羅はやれやれと溜息をついた。


「お互い素直じゃないねぇ」


ぽつりと落とされた呟きは再び喧噪を取り戻した教室の空気に紛れて誰の耳にも届くことなく消えていく。
静雄の前では白を切ったが、最近臨也が女を取っ替え引っ替えしていることは新羅も気づいていた。
そして、必ず静雄の目に付くような所でイチャついている振りをしていることも。臨也が選ぶ女は一見統一性がないが、ただ一つ金髪で長身な女子は絶対に選ばないことも。

「相手の気持ちをはかるにしたって限度があるよね…臨也はあんなに人間を愛してるとか叫んでるくせに、本当の意味で人を愛することは苦手なんだろうなぁ。わざと傷つけて、遠回りして、言葉にしてしまえば案外簡単にケリがつく感情なのに…私のようにもっと自分の心に素直になればお互いもっと楽になれる―――君もそう思うよね、セルティ」

長い独り言の末に新羅は黒焦げの弁当に視線を落として同意を求めるようにそれを作ってくれた愛しい人の顔を思い浮かべながら苦笑した。
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