「"剣を取るものは、剣で滅びる"。これ、何の言葉か分かるか?」

彼はそう笑った。
彼としばらく会話していて思ったのだが、まるで息をするように笑う人だ。
質問しておきながらも、俺が答えを知っていることを前提としているような口調に、不思議と苛立ちは感じない。
当たり前のように質問されたそれに、俺も当たり前のように答えた。
質疑応答。
人とコミュニケーションをとるときの基本的な技術だ。

「聖書・・・・・確か、マタイの福音書だったように思いますけど・・・。
俺はあんまり聖書は読まないんですよ。詳しくは分かりません」

俺の答えに、また目の前の人は息をした。
息をするように、笑った。

「正解。マタイの福音書第26章52だ。よく知ってるな。コレ知ってる奴、そうそう居ないんだぜ」

面白そうに、その人は息をする。
俺はといえば、なぜその人がそんな風に笑うのかが良く分からなかった。
少なくとも、笑えるような状況じゃなかった。

「俺の友人にな、さっきみたいな奴が居た。いや、正確にいうと、居る」

唐突、彼は云う。
誰に伝えるでもなく、只自分の意思を口にしているだけのようにも見えた。
慈しむような柔らかな双眸が、角度と色を変えて俺を写す。
その瞳を見て、その言葉が始めて自分に語られているのだと分かった。

彼は、息をする。

「暴力を暴力で押さえ込むような奴だった。
それが好きみたいでな、自分の思うようにいかない事があると、不安に思っちまうタチでな。
無意識下で他人を貶めることの出来る奴だったんだ」

「・・・・何故、それを俺に?」

「似てると思った」

彼が息をする音だけが聞こえる。

「お前に似てると思ったんだ」

「俺は、無駄な暴力は好みません」

「でも、自分の思うようにいかない事があると、押さえ込みたくなるだろ?
曲がってる箇所を捻じ曲げてでも真っ直ぐにしたくなるだろ?」

「・・・・・・・それは、」

「お前とアイツの違うところは、自分を押さえ込む理性を、お前が持っていたことだ」

深く考え込むように彼は云う。
多分彼の頭の中では、先ほどから話題に上がる"アイツ"のことを考えているのだろう。
キラキラと、この場にふさわしくない金糸が風邪に流されて揺れた。
俺は黙ったままだ。

「沈黙は、肯定と受け取るぜ?」

「認めませんよ」

「はは、負けず嫌いなトコロも似てらぁ」

この人が息をするたびに、笑うたびに、外の喧騒はますます大きくなっていくようだ。
かわりに、俺達の間には静寂がどんどん満ち溢れていく。

「・・・お前ならやれるよ」

不意に、彼は表情を変えた。
戻したと言ったほうが良いのかもしれない。
俺がどちらの表現も選べないのは、彼の普段を知らないからであり
彼が笑うのが常なのかそうでないのかを知らないからだ。

「お前ならやれる」

もう一度、彼は続けていく。
自信を持たせるような言い方ではなくて、まるでそうなることが分かっているかのような言い方だった。

ああ、でも。
さっきから、この人のこういうところに救われていたんだと思う。
冷静じゃいられない状況下で、俺を冷静にしてくれた。
嫌が応にも冷静でなくてはならないところで、俺の心を静めてくれた。

「いいか?なあ、目の前で人が死んだら、だ」

「・・・・・・・・」

「とりあえず、落ち着いてみようぜ」

そう云って、彼はまた息をした。
息をするように、さも当然のように、なんの傲慢も偽善も嘘偽りもなく。
まるでそうであるのが当たり前だとでも云うように。


「じゃ、行ってらっしゃい」


人一人の命を、簡単に救って見せた。
















清宮庚。当時16歳。

多分、一生忘れられないであろう記憶の中の一つだ。















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