鬱
□Go For It
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明日を迎え撃て
まだ立ち上がれるでしょう
Go For It
怖いんだよ、と彼は言った。
「血が怖いんじゃなくて、オレはオレが怖い」
血の池でひっかけられた血に大泣きするから本気で愛想つきるかと思ったらこれだ。
どうやら言い訳じゃあないらしい。何よりいつにないシリアスオーラがいつもと違う。
汚れた上着を脱がせる。無抵抗どころか、無反応。いつも思って打ち消すのは、陶器製の人形のイメージ。血の気のない肌色がよけいに作り物らしさを増長するから。
「自分のヘタレ加減が、ですか?」
「うっ…辛辣だな鬼男君」
そりゃあ、あれだけのダメっぷりを見せつけられたら誰だってこう言うだろうに。
自覚が無いなら、ただの馬鹿だ。否、馬鹿なんだろう、実際に。
唇を尖らせて少しむくれる上司を見ると、シリアスオーラなんぞぶっ壊したくなる。
「あとは、自分のだらしなさとか?」
「君の辛辣な物言いってのも入れてやる!」
という事実は一回おいておく。
ころんと宿直室の寝台に転がり、恨みがましい目で僕を見上げる上司。相変わらず顔色がよろしくない。
かぶりっぱなしだった帽子を取り、その額をパシッと叩く。白に滲む赤。ほら、やっぱりこの人生きてるじゃないか。
「なら、なんだって言うんです?」
「ん、破壊衝動」
なんとなしに言った言葉は普段のお気楽さとはうって変わって陰鬱だ。人形には相応しくない言葉。
鬼でもない、神で仏な大王が破壊衝動?
「君たち鬼にもあるけど、オレのは更に根深い」
枕に顔を埋める。
脚をパタパタさせてるから、どこかの幼稚園児かあんたは。
グシャグシャと頭を撫でてみると、冷たい手がそれを掴んだ。死んでいるから、体温がない。陶器さながらの低体温。
「オレたちヴェーダの神って多かれ少なかれみんな問題児なんだよ」
「ただの嫌な話だった!」
シリアスオーラを返せ!
ヴェーダの神の代表格と言ったら、その尤もたるところが、インドラ神、現帝釈天。
大問題児。
ことある毎に中有にちょっかいかけてくるわ、大王を縛ってしまうわの嫌な奴ベストスリー。
ただし、帝釈天と閻魔大王となった今、大王の方が格上なのが、せめてもの救い。
その破壊活動に余念がない帝釈天とうって変わって、舌を抜くと言われているわりに実際抜いている現場を見ない大王のどの辺が問題児なのか。
溜め息混じりの大王からは、そんな物騒なもんは感じられないのに。
深呼吸のあとに静かな声が言う。
「人間の残酷さは、君も知るところだろう?
天国も地獄も人間の想像と信仰によって創造され進行する。
オレは、元が人間だからその影響を強く受ける」
淡々とした物言いがかえって。
仰向けになり自分の腕で目を隠すと、意味もなく、あー、と声を出した。そのまま続ける声も、また静かで淡々として聞こえる。
「たまに全部ぶっ壊してやろうかと思ったりする。
帝釈天が昔、阿修羅に攻めいったみたいに。
やれなくはない、やろうと思えば地獄道、餓鬼道、畜生道、阿修羅道、人道まではお好みで、だ」
その気にさえなれば、三十三天すらもぶっ潰す位のことは出来るだろう。
上司の正確な実力は知らないが、六道の支配者なのだから、ハンパない。
「で、ぶっ壊わす算段をしてる自分に気付いて、正気に返ってゾッとする」
今まで暴れたことはないらしい。
人間によって影響されるなら、その破壊衝動は人間の深奥にあるものだろう。
支配と被支配は相互扶助の関係にあると言ってもいい。
僕ら鬼も、それは例外じゃない。数の増減はそれで決まる。
でも、それはあっちの都合だ。
「あんたのせいじゃないでしょう」
腕を外してみると、赤い目が潤んでいる。
「正義の王として、公平な者としてここに奉じられてるのに、抑圧の意味を持ってなかったら呆気ないくらい簡単にぶっ壊してたと思うんだ」
彼の本名のヤマ、本来の意味は双生児。または公平、抑圧なんだとか。
名前は本質。一番強固だって言うじゃないか。なら、もっと安心していいのに。
大体こんな、想像くらいで泣きかけてる奴にはそんなことは出来るわけがない。
「…笑わないでよ」
「あんたはそんなこと出来ませんよ、腑抜けだから」
「慰めてんのか、貶めてんのかどっちかにしてよ」
「貶めてますが何か?」
「…部下に貶められたー」
凹みだすイカの額を小突いてやった。
ギャアギャア騒がれる前に、冷たい額と額を合わせ、真紅の目と視線を交える。
「あんたが本当に望むなら兎も角、そうじゃないなら僕が止めてみせます」
「うわぁ……、どうしよう、部下がカッコつけてる」
「ぶっ壊したいならお供しますが、どうしますか、閻魔大王」
くすぐったそうに笑って、上司は僕の頬を冷たい手で挟んだ。
「今が楽しいのに、壊す理由がどこにあるっていうの?」
それでは、仰せのままに。
腑抜けで、イカで、セーラー野郎な変態が僕の知る閻魔大王なのだから。
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