連載パロディ2

□束縛イソギンチャク
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 *

結局、昨日は全く話が進まなかった。
僕が風呂に入った後、兄は入れ替わりに入浴して、さっさと寝てしまったし、朝は朝で父さんよりも早く家を出て行ってしまった。

だから、僕はしぶしぶ予備校に来たが、授業中も散々昨日をリプレイリプレイ。講義内容なんか、全く頭に入ってこなかった。
重たい頭で、友達に心配されながら表に出ると、変な男が立っていた。

否、外見自体がおかしいわけではない。スラリと背が高く、仕立てのいいスーツは父のここぞという時の勝負服と同じくらい値が張りそうだ。それをごく普通に着こなすほどに容貌も垢抜けていて、すっきり出たおでこと細面、涼しげな目元が如何にも毛並みと育ちのいいお坊ちゃまだ、そうは言っても兄よりも年上だろうけども。

黙って立っていたらなんの問題もなかっただろうに、そいつは手旗信号よろしくこっちに向かって大きく手を振っていた。胸についている金色のバッチがきらきら光る。

「うおーい、そこの君!みのりくーん」

隣にいた友人が僕を見る。
わからないだろ、みのりが苗字な人ではなくて、みのりって名前の人を探しているのかもしれないじゃないか。「御法」なんて三文判にもない苗字よりも「実範」だの「稔」っていう名前の方がまだ多い筈だ。いやいや、もしかしたら「みのり」ちゃんという女の子かもしれないじゃないか。うん、昨今の妙な名前よりも絶対にいい。親を恨まなくて済みそうだ。

「みのりー……えーと、妹子、なんだったけ?お、そうかそうか。
 みのりおにおー、大人しく投降しんしゃーい。お前は完全に包囲されているー」

ほら、と友人に小突かれる。
こういう時に誤魔化しが利かない変わった苗字と変な名前を心底恨んだ。



送っていくから、ついでに少し話したい、とやたらにでかい車に乗せられた。
まあ、コイツが新手の変態であったとしてもこんなひょろ男に負ける程鍛錬はサボっていない。運転席にいる男が追いかけてきても同様だ。

私は橘太子と言う、と向かいに座った男は名乗った。お前のお兄ちゃんの大学の同級生で、親友だよ、と。

「たちばななんて名前、聞いたことないです」

「えーそんなぁ。一緒に留学までしてお風呂まで入った仲なのにー裸の付き合いを繰り返した間柄なのにぃ、閻魔のヤツ、相変わらずほんとーにつれないなあ」

風呂と裸の付き合いはダブってるじゃないか、気持ちの悪い言い直しをする奴だ。
大体、兄はそんなに誰かと風呂に入るのを拒否するタイプでもないから、風呂まで入った仲なんてたかが知れている。小学校の四年生になるまで僕を風呂に入れるのは専ら兄の仕事だったし、そんなんだから高校生の頃だって母さんが乱入(勿論母は服を着ていた)してきても隠すことなんかしていなかった。家族だからってのもあるだろうけれど、温泉であっても父の方が慎ましいほど兄は堂々としたものだったように思う。
そう自慢できる体つきでもないのだけれど、自分の容姿についてはわりと無頓着な性質なんだ。否、ひょろいから女と間違われるとふくれっ面をしていた時期もあるにはあるけども、諦めがついちまったらしい。

だから、僕が困る。悶々と悩む。
こういう男の存在を考えたことだってあった。

きっと兄はその辺りの危機意識みたいなものについても無頓着だろうって。
こうやって現実に表れてたじゃないか怪しげな男が。問題は、コイツがどこまでの危険人物かってことだろう。

「本当に兄の知り合いだと言うなら証拠を見せてください」

「いいぞーほれ」

胸ポケットから一葉の写真を取り出すと、ずいっと差し出した。
ゼミか何かの集合写真らしい。十何人かの男女のど真ん中に陣取って、兄とこの男が肩を組んでいる。否、肩を組んでいるというよりは、兄が男に絡まれていると言った方がいい。
それでも兄が嫌がってないのはわかる。楽しそうに笑っている頬にえくぼがへこんでいた。

「それにしてもお前、お兄ちゃんと全ッ然似てないなあ。笑っちゃうくらい似てないなあ」

「二回言わなくても自分たちも自覚済みです。ていうかあんたの兄じゃあないんです、そのお兄ちゃんって止めてください」

「あ、そういう頑ななとこは似てるかも。
まあ、一応そっちも証拠を見せちくりー。御法鬼男君の影武者ってこともありえなくはないわけだし。おにい、閻魔も言ってたけどさ、こうも顔が似てないと確認のしようがないもんなあ」

予備校の学生証を出そうとすると、男はそれを押しとどめた。

「笑ってごらん、にーって。そしたらわかるって閻魔が言ってたぞ」

「……」

「おー、本当に同じ位置にできるんだなあ。可愛い可愛い」

感心したように男は笑った。
何が悲しくて、こんな正体不明の男の前で笑顔を作らなくてはならないんだろうか。兄貴め、覚えてろ。次に母さんが遅くなる日があったら容赦なくどんぶり飯でカツ丼を作ってやる。それも、卵が少ないガッツリしたヤツをだ。
そんな僕の決意を他所に、男はニヤニヤ笑っている。どうにも、顔からして信用ならない男だ。作り物のように整った顔なら見慣れてはいるけれど、コイツはどこか胡散臭い。兄に対する口ぶりもそうだけども、ずうっと口元が弛んでいるからだろう。

「まあ、互いになんとなく身元がわかったところでな、送るついでにお話をしよう。勿論おまーの大事な大事な閻魔のことだ」

「兄が何かやらかしたなら謝りますけど?セーラー服関係以外なら」

「セーラー服?ああ、まだ好きなのか。そんなんじゃあないぞ」

くすくすと彼は笑う。 この人が兄の親しい友人だってのが確定した。
そうじゃなきゃセーラー服の段階でひいている。ゴメスさんだって殴ってるけれども、付き合いが長いもんだから兄の性癖についてはスルーだ。
あのなあ、怒るかもしれないんだけど、と間延びした声が前置きする。なまじ声がいいだけに嘘臭いんだろうか。

「私、閻魔が欲しいんだー」

「…兄は物じゃありません。変態とそんな話をするつもりもありません」

なんだコイツ。やっぱりホモか。
やっぱり兄はそういうヤツに狙われるのか。危惧していたことではあるけれど、半分当然のような気もする。
おい、そんな顔しないでくりーと締らない顔をした相手はパタパタと手を振った。

「体がーとか今はそんなんじゃあなくて、閻魔の力が欲しいって言えばいい?
 勿論、会社員じゃなくて、御法裁判長の息子で裁判官になった御法閻魔が欲しいわけ。在学中からな、ずーっと目ぇつけてたんだぞ。
 だからさーアイツが普通に就職しちゃって本当にショック受けたんだよね、私」

そのショックを思い出したのか、がくんと項垂れる。兄と同じくオールバックに固めた髪がちょっとほつれた。
どうやら、「友達にも院を勧められた」の友達がコイツらしい。ごく普通に友達と言ったところを考えると、兄にとっちゃゴメスさんよりはほどではないけれど、そこそこ親しいけれど親しいどまりの友人なんだろう。ざまあみろ。
けれども、胸のバッチは見慣れたものとは違うものだ。鏡じゃなくて天秤。

「あなたは弁護士なんでしょう?だったら裁判官の兄を欲しがる理由がない。それとも自分のレベルアップのために勝訴を邪魔する障害を作りたいーとかマゾな発想してるんですか?
 言っておきますけど、うちの兄、父以上に容赦ないですよ。その期待に沿うには厄介すぎる」

だって、兄は正しいから。
言葉でも態度でもなく、いるだけで正しい。それこそ、名前の通りに。
法の番人にはこれ以上ないほど相応しいだけに、弁護士にとっちゃ厄介すぎる相手だろう。

「マゾって君なぁ。
 私は政治家志望なのさ。私の伯父も父も国会議員でな、所謂三世議員なんだ。私自身もゆくゆくは父の地盤を継ぐべく日々精進中ってやつ?
 だからさー、昔っから信用できる友達って少ないんだよ。閻魔って腹芸が効かないだろ?全部見破っちゃうから。だからこっちもおべんちゃら使ったり、お世辞言わなくていいから楽でさ。
 んで、ステージは違っても一緒に頑張ってくれそうだった友達が、その容赦のなさで私が作る法律を守ってくれそうなヤツが、なんでか知らんが道を捨てて会社員になっちゃったーなんて不思議だろ?悲しいだろ?」

「…そんなの、兄が決めたことですよ」

んーまあな、と男は笑う。毒気もなければ覇気もない独特の笑みだ。
そういえば、最大野党の幹事長の名前が橘だったような気がする。
毎日毎日飽きもせず支持率低下が叫ばれる現内閣では、政権交代も充分あり得ると訳知り顔のキャスターが言っていた。

それにしてもコイツ自分が法律を作るんだとあっさり言いやがった。どんな自信家だ。
やれるくせにイマイチ自信を前に押し出さない兄と違って、どうやら過剰なほど自信家らしい。そうでもなきゃ議員になろうなんて思わないってことだろうか。
一体どんな友人関係を築いていたのか、ちょっと心配になる。身長差そのままに引きずられていやしなかっただろうか。
それにしたってな、と子供の事情説明のように男は膝を叩いた。

「あんまり急だったから、教授も怒りまくっちゃってたんだぞ?司法試験に受かった人数は大学にとっちゃ宣伝の要だからな。そりゃあ怒るよ。しかもアイツ、理由については絶対に口割らないし。
 食い下がりまくる教授に、四年くらい後に戻ってくるかもしれないって言わされてたけど。
 なーんでそんな中途半端なんだろって、ちょっと調べたら、君のことが出てきたわけだ。弟の鬼男君。」

おまーの兄ちゃん、すっげえーブラコンだな、とニヤニヤ笑う。
弛んでいた口元がきゅうっとしまった。
どうやら、やっと本題らしい。

「四年後なら、当時十四歳の君が進路決めてる筈の頃だ。実際、君が浪人してるもんだから、五年に延長したけど」

ちくり、と刺すように男は言う。

「閻魔って在学中からな、何かって言うと、弟と約束してるからー弟に勉強教えてあげることになってるからー、今日母親が仕事で弟が一人になっちゃうからーって飲みとかそういうのの約束断るんだよ。そりゃあアイツが一、二年生の時おまーはランドセル背負ってたけどさー、彼女とデートの約束であっても、四年になってもそれっておかしくないか?」

中二だぞ?と首を傾げてみせる。しかも一回それで留学断られたし、と何故かまた項垂れる。
確かに男の言うとおり、兄は何かと家にいて僕にかまっていた気がする。自他共にブラコンを認めなくてはならない僕自身は、それを半ば当然として受けていた。
彼女がいたこと位、僕だって知っていたけれど、敢えてそれを口に出したりはしなかった。



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