悲しみの先にあるもの

□声にならなくても…
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前篇

 巨万の富、地位や名声、誰かを統べる力、そして永遠の命。その願いと引き換えに、貴方は、悪魔に自分の魂を捧げる覚悟がありますか?
 これは、ある1人の内気な少女が、悪魔の頂点に君臨する魔王と出会うお話――


「…いってきます」

少女の言葉に、返ってくる言葉はない。だた、玄関ホールに自分の声が虚しく木霊するだけ。だが、少女は慣れているのか、そのままドアを開け、今日もまた、変わらない日常風景へと足を踏み入れる。


彼女の名前は凪。近所の中学校に通う、少し物静かなで内気なだけのごく普通の女の子だ。
ただし、彼女は自分と同じ年頃の同級生が感じる『普通』とは少し違っていた。
物心つく前に両親が離婚。その後母親に引き取られたが、母親は凪の事に関しては無関心で、再婚した父親も、書類上の形式的で金銭的な繋がりだけで、自分の存在など、最初からいなかったのに等しかった。
 その上、彼女は数年前、交通事故に遭い、その時に負った怪我で右目と臓器の一部を失ってしまったのだ。幸い、現在は日常生活を送る事自体にそれほど支障はない程、回復している。

だが、本当は手術の際、臓器移植を受ければ、前と変わらない身体でいられたかもしれなかったのだ。ただし臓器移植に関しては、第三者の、ましてや未成年の臓器移植は親の同意が絶対条件なのだ。

しかし、凪が運ばれた病院にやっとやって来た彼女の両親がそれを熱烈に拒否したのだ。『娘のために身体を切るなんて信じられない』、『他人のモノを移植した娘なんて、気持ちが悪い』といった明らかに人間の尊厳など微塵も感じられない回答で。
けれど、凪にとってはある意味では好都合だったのかもしれない。親と言えど、他人の身体を傷つけてまで、生き延びたくはなかった。それに、自分は臓器をもらえるほど、たいそうな人間ではないし、そんな資格は最初から、自分にはないと思っていたからだ。

 失った右目を隠す為、凪は日常生活での眼帯の装着を余儀なくされた。そんな凪の姿を同級生達は、奇異の目で常に見つめてくる。それ故、彼女に必要以上に話しかけてくるものはおらず、学校では常に1人だった。
普通の人間、ましてや心神の不安定な第二次成長期の少女ならば、学校に通うことすら耐えられない状況なのだが、元々何に対しても無頓着で、欲のない凪だったからこそ、自分など空気のようなこの状況にも馴染み、学校だけでなく、家でさえも自分の居場所がないのが当たり前のようになっていた。

 

そんな渇ききった日常の中、凪には唯一の希望があった。
 1ヶ月ほど前、ある朝、凪は普段の通学路である交差点に立ち、信号機が青に変わるのを待っていた。いざ信号機が青に変わり、凪が足を進めたその瞬間、彼女の右側から信号を無視した車が迫ってきたのだ。凪に右目がないこと自体が、完全に死角となってしまった。咄嗟の出来事で凪は逃げる事を忘れていた。またあのあの時、いやもしかしたらそれ以上に大きな痛みが再び襲ってくるのを凪が覚悟した時、何者かが、彼女の背後から自分の腕を掴み、力強く引っ張った。


 「――っ!?」

目の前で信号無視の車が通りすがっていく。もしあのまま突っ立ったままだったら、今度こそ確実に自分は死んでいただろう。そう思うと、ほんの少しだけ背筋がぞっとした。
 
「大丈夫ですか?」

背後から声をかけられ、そこで、凪はやっと振り返る。自分を助けてくれた人物とようやく対面した。
 自分と同じような髪色で、ある南国果実を模したインパクトある髪型とオッド・アイだということを除けば、長身の顔立ちのいい男性だった。しかし、凪は目を凝らして、もう1度、彼をよく見た。
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