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□アントルメの幸福
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雨竜がその日最後のケーキを成形し終えた時、フロアと厨房とを隔てる扉から、一護が顔を覗かせた。

「石田、今いいか?」
「ああ、丁度終わった所だよ。何?」

洗った両手を拭きつつ答える雨竜に、眉間の皺はそのままながら妙に困った顔をした一護が、悪ィんだけど、と前置きして言った。

「お前、買い物頼まれてくんねぇか」
「買い物?って、何?」
「あー、紙ナプキンとか包装用のリボンとか、そういうの?」
「‥‥‥は?」

よりにもよって何だそれは、と思ったそのままを顔に出して、雨竜は決まり悪そうに頭を掻く一護を怪訝に見る。

「足りなくなりそうって話なのか?」
「ああ、まぁ、足りないかもっつーか‥‥」
「何その曖昧な返事。店の備品管理は君の仕事だろ。どうして足りなくなるまで気付かないかな」
「だから悪かったっつってるだろ」

雨竜の呆れ顔の叱責に拗ねたような表情で言い返して、一護はパンツのポケットから出した財布を彼へ差し出す。

「明日にはちゃんと納品されるから、とりあえず今日の分、適当に買ってきてくれりゃいーから」
「いや、適当にって言われても、」

コックコートの胸元に押しつけるように渡された財布を、つい受け取ってしまったが。

「何で君が行かないんだよ?」
「配達あんだよ俺は」
「僕だってイートインのお客に出すデセール作りがある」
「恋次いるじゃねーか」

それはそうだけど、と雨竜が言葉に詰まった所に、丁度商品の陳列を終えた恋次が厨房の扉を押して戻ってきた。

「何だ?まだ居たのか、お前」
「‥‥は?」

雨竜を見るなり顔を顰めた恋次は、何故か一護に「何もたもたしてんだてめーは」と悪態をつく。

「買い物頼まれたろ、こいつに。さっさと行かねえと日ぃ暮れるぜ」

仏頂面の一護を小突きながら言う恋次に、雨竜は戸惑いを深めて眉を寄せる。

「そんな事言っても、仕事が、」
「オペラの成形終わってんだろ。デセールなら俺一人でも出来んだしよ」
「そうだけど、混んできたら君だけじゃ追い付かないだろ」
「平日だってのにそんな混むかよ。いーから行ってこいって。一護」
「おう」
「えっ?」

いつの間にやら背後にいた一護の声に振り向くと、その手に雨竜のコートが掛けられていて、目を丸くする雨竜の腕の中にそれは強引に押しつけられる。

「え、な、なに」
「外、寒ぃから着てけ」
「いやそういう事じゃなくて!」
「うだうだ言うな、早く行け。そんでしばらく帰って来なくていーから、お前」
「何だよそれっ!?」

言いながら背を押す一護に抵抗あえなく厨房を追い出される雨竜を、恋次がニヤリと口許を歪め見送って、

「たまにゃ羽根伸ばして来いっつってんだ、甘えとけ」

と、手をヒラヒラ振るのを視界に捉えたまでで、雨竜は裏口のドアから表へと出されてしまった。

「ちょっ、黒崎、ホントにっ?」
「買ってくるモンな、財布ん中にメモ入ってっから」

慌てる雨竜を無視して告げた上、「いいかしばらく戻んなよ」とぶっきらぼうな口調で念を押した一護は、呆気に取られて立ち尽くす雨竜の鼻先でバタンと扉を閉めて消えた。
 
「‥‥な、何それ‥‥」

押しつけられたコートと財布とを手にしばし呆然となった雨竜は、吹く風の冷たさに我に返って溜め息を吐く。こうなったらもう仕方ない。
帰ってきたら締め上げよう、と冗談とも本気ともつかない事を思って、雨竜はコートに袖を通してその場を後にした。


 
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