ヒカルの碁

□  地底湖の逆さ桜
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あまりにも広大な地底湖に、距離感がおかしくなる程巨大な逆さの木。
ほんとうに近付いているんだろうか、と危惧していたが幸いにも無事、近付けていたようだ。

木の根元…というより枝元と言った方が無難な水面近くの幹が、ヒカルの足でもう後数十歩となって一旦歩みを止めた。



改めて、その木の大きさに嘆息する。

幹の太さは大人が30人手を繋いでも、到底足りないだろう。
一つの山の木々を一気に吹き飛ばせるほどの風の上級魔術でも、ピクリとも動かなそうだった。

ヒカルの足の下には、水中であるというのに空気に触れているのと変わらぬ青々とした葉が広がっている。
首が痛くなるほど見上げれば、大きく太いどっしりとした根が天井――ドーム状の壁全て――を覆い尽くしている。
これほど巨大なのだから、葉っぱもさぞかし大きいのだろうと目を凝らすと、予想に反して普通のサイズの葉がびっしり茂っている。




『逆さ桜』――それがこの木の通称だと祖母は言っていた。


その静かな優しい命の波動は、いったいどれだけの時を刻んできたのか。
ヒカルには想像もつかない。

太古の昔から変わらぬ姿であっただろうことを思い浮かべるばかりだ。



この木の精霊が<かの者>?


ふいに、そう考えているヒカルの意識に触れてくる存在があった。
目の前の逆さ桜だ。



≪はじめまして。次期大魔女、現大魔女の孫、そして千に一つの才を持つ者よ。
わたくしは逆さ桜と呼ばれる者。

真実の名は葉桜≫


力ある精霊に真実の名前まで教えてもらうという慇懃な挨拶をされて、ヒカルは慌てた。
ここで下手な返事をしようものなら、魔の機嫌を損ねてしまう。

魔の力の及ぶ領域のなかで、魔の機嫌を損ねることは魔女のなかでも最大の禁忌である。
手足の一本二本で済むなら安いものだ。
悪ければ死さえ有り得る。

それは次期大魔女のヒカルと言えど、なんら変わりない。


ヒカルは出来うる限りの誠実さと敬意をもって葉桜に応えた。


「こ、こちらこそどうぞよろしくお願いします。オレ…私の名は進藤ヒカル。
貴方のような高貴な美しい御方の真実の名を教えていただき、感謝いたします。」

≪ヒカル…ですか。良い名です。千に一つの才を持つ者にふさわしい≫


褒められてヒカルの頬が熱くなった。
別に相手と目を合わせているわけではないが、視線を彷徨わせる。


「私など、その・・・本当に千に一つの才を持っている者かどうか……」

≪そんなに謙遜なさらず。あなたは真実その才をお持ちでしょう。
・・・できればあなたの自然な口調で話してはいただけませんか?私に遠慮することはありません。
私のコレはただの癖なのです。≫


そんなことは畏れ多いことだとヒカルにしては上手く返したが、葉桜は譲らない。
仕方なく、いつもの口調で話すことにした。


「あの、オレ口悪いから、失礼だったらすぐに言って…下さい。いつもばあちゃんに――い、いえ!師匠に怒られて…」


しどろもどろなヒカルに葉桜は温かく微笑んだ――…少なくともヒカルにはそう感じられた。


≪大丈夫ですよ。それにしてもカリダをばあちゃんですか。
……ふふ、あなたくらいでしょうね。≫



カリダ?と一瞬首を傾げたが、すぐにハッと思いだした。
祖母の名前である。

村の者も魔も、大魔女様としか呼ばないのですっかり耳慣れない音になっていたのだ。


それにしても、大魔女の名前を呼び捨てとは……。
まぁ、これほど雄大な気を発する精霊なら当然なのかもしれない。



 
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