小説

□三章
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 宿から出て少し歩くと、道の端に二頭立ての馬車が停まっていた。個人が持てる物としては最高級品とも言える贅沢に、胸の中が苦くなる。
「どうぞお乗りください」
 段差を踏み越えるときの支えのためか、恭しく手を差し出す男を綺麗に無視し、シフィは馬車に乗り込むなり扉を閉める。
 相乗りなど真っ平だった。
 その意思を読み取ったのだろう。あるいは最初からそのつもりだったのかもしれない。男が御者席に座る気配がしたかと思うと、馬車はゆっくり動き出す。
 三十分ほども揺られていただろうか。
 再び馬車が停まり、御者席で人の動く気配がする。着いたようだ、と表情を引き締め、決して取り乱すようなことのないよう覚悟を決め直す。
 目を閉じ、深く息を吸う、吐く、吸う、吐く。
「……!」
 目を開けると同時に、外から声が掛かった。

 開けられた扉の先、上質な絨毯が敷きつめられ最上階までの吹き抜けになっているそこには、使用人がずらりと左右に並んで道を作っていた。
「お帰りなさいませ、ララヴィシーナ様」
 一糸乱れぬ動きで同じ角度で頭を下げてくる様子は壮観ですらあるが、シフィはその中を通ることはせずに足を止め、道の奥、列には参加せずに頭を下げている執事らしき人物に顔を向ける。
 視線に気付いたのだろう、ゆっくりと顔を上げる。
 にこやかな、けれど決して心の内を読ませない厚みのある表情がシフィを見つめた。
「私に会いたいと言っている人がいると聞いてきたのだけど」
「ご案内させて頂きます。どうぞこちらへ」
 促されてもその場から一歩たりとも動こうとしないシフィの様子に、執事が目配せすると、左右に並んでいた使用人たちが足音もなく下がっていく。
「こちらへ」
「……」
 す、と。一歩、踏み入る。二歩、三歩。───四歩目で、背後で扉が閉まり、豪奢な屋敷がシフィを身の内に飲み込んだ。


 通されたのは、一階にある応接間。
 そこに待っていた老齢の男は、シフィを見るなり立ち上がり、大仰な仕草で抱き締めてこようとした。
 身体を引き拒否を示したシフィに苦笑いすると、座るように促してくる。
「こうして会うのは初めてだな、シフィルカティ。わしはイアンダール・ソイト=アイアスだ。お前の祖父になる」
「私はラヴィン・シフィ。どうぞ、ラヴィンとお呼びください」
 二つの音から成る名前は、後の音で呼ぶ方が親密である。丁寧な物言いながらも上の音で呼ぶように告げられることでシフィの心中は察せられるだろう。
 だがあくまでも親しげな表情は崩さない。
「お前はわしの娘のミュイーダの娘だ。昨日お前に会った者は、ミュイーダの若い頃によく似ていたと言っていた。どうだ、この爺に顔を見せてくれんか」
「お断りします。我が色は我が誇り。我が名と同じく、好まぬ者の耳目にふれさせたくはありません」
 幼い子供を甘やかすような声に返ったものは、きっぱりとした拒絶。
 今度こそイアンダールの顔がしかめられる。だがすぐに思い直すかのように繕い、悲しげなものへと変化する。
「お前がわしを嫌うのは理解しよう。だが分かってくれんか。わしらはお前が生まれていたことを知らなかった。お前の存在を知ってからそれは必死になって探した。遅くなってしまったことは詫びるが、こうして会えた事を喜んでもらえんか?」
「過ぎたことに興味はありません。弁解も謝罪もいりません。ご用件がそれだけでしたら、これでお暇させていただきます」
「シフィルカティ……!」
「ラヴィンです」
 取り付く島もないシフィの応対に、イアンダールはさすがに不快を露にした。
「お前の不遇に同情もしよう。だが至高の存在になった者の態度として、それはどうだ? それとも使徒は、目上であってもただの人間に対して払う礼儀は無いと言うのか」
「目上であろうと目下であろうと、礼儀を守らない人間に払う礼儀はありません。あなたは私をこの屋敷に招くため、宿の人間に私の素性を明かした。そして、それが周囲に広がるように手を回した。……気付かないとでもお思いか」
 タジとランは、気付いていなかったかもしれない。きっと二人は、シフィに近付く気配を警戒していただろうから。
 しかし老獪な敵は、外堀を埋めることから始めたのだ。
 精霊たちが教えてくれた。
 星光の使徒がいると町の者が噂しているよ、と。
 陽光と月光については噂になっていなかったが、共に在る以上は遠からず知れてしまうだろう。
「あれほど広まっていながら人々が押し寄せてこなかったのは、あなた方がそれだけは止めたから。おそらく、動向に注目させ私との関係を周知にさせたかったのでしょうが、それは愚策としか言いようがない」
「だが、こうしてお前はここにいる」
「あなたに伝えたいことがあったからです。二度と私たちに関わらないよう、ありもしない縁を戻そうなどと考えることのないよう。私の名は、ラヴィン・シフィ。それ以外の名は持っていない。使徒ではない自分もまた、持っていない」
 それは、事実上の絶縁宣言。
 生まれたことを隠され秘められて育った身に、血縁という縁はなかった。今さらそれを伸ばされたとて、握る気になるはずもない。
「恨んでいるわけでも、憎んでいるわけでもない。過ぎたことに興味はない、振り向くつもりもない。あなた方は他人です」
 周囲に使徒と広められたことで、この屋敷に来ざるを得なくなった。そうしなければ収まりが付かないと理解したから来た。
 けれど、シフィの一番の目的はこれを伝えることだったのだ。
 会って伝えなければ終わらない干渉を、これきり終わらせるために。
「これを限りに、二度と会いません。今後、どんな手を講じてこようとも招きに応じることはない。係累から使徒が出たと吹聴するのは勝手ですが、私に尋ねる者があれば関係を否定しますし、あなた方の安全も保証しません」
「……安全?」
 すべてを切り捨てるような鋭い言葉たちのなか、不穏なものが一つ。
 オウム返しにするイアンダールに、シフィは皮肉げな笑みに口元を歪ませる。
「使徒がなぜ自らの素性を秘するかご存知ないようですね」
「それは……騒ぎが」
「ええ、そうです。使徒が、救いをもたらす『光の子』が来たと分かれば混乱が起こる恐れがある。その混乱に紛れ、本当に苦しんでいる人や困っていることを見過ごしてしまうかもしれないということ。たしかに理由の一つです」
 けれど、決して無視できない理由がもう一つある。
「使徒は常に狙われる。その能力を、存在意義を欲する邪な者から。そして、その能力を、存在を疎む者から」
 至高の能力者などと呼ばれていようとも、人間であることに変わりはない。人間である以上は眠りもするし油断もする。常に気を張り詰めているなど不可能だ。
 そんな隙を狙ってくる輩が後を絶たないからこそ、自警と周囲の安全確保の意味で色を隠すようになったのだ。
 本当なら、それさえなければ一所に留まってもいいくらいである。
「あなた方はずいぶんと私のことを触れ回ったようですから、そういった輩がここに来ることもあるでしょう。見た限りでは大した警備もないようですし、簡単に踏み込まれると思いますけど……、まあ、頑張ってください」
 冷めた口調で言い、絶句しているイアンダールに断りを入れることもなく立ち上がる。
 ひらりと裾を舞わせて歩き出し、部屋から出ようとして───
「……早いわね」
 複数の不穏な気配が近付いてくる。
「大旦那様っ!」
 飛び込んできたのは、シフィをここまで案内してきた執事だ。
 先程の落ち着いた物腰とは裏腹なノックすらしない慌てぶりに、シフィは自分の予想が当たってしまったことを知る。
「何事だ、コドー」
「賊が! お逃げください、大旦那様!」
「何だと!?」
 つられたように慌てふためく姿にシフィが呆れのため息をつく。
 この主にしてこの部下あり、だ。
 こんな奥まった部屋にいる者に「逃げろ」と言うなら、退路の確保は必須。窓から逃げることなどできるはずもない者であれば尚のことだ。
 今その賊がどの辺りまで侵入してきているのか、どこまでが現時点では安全なのか、味方の戦闘力から、持ち堪えられる時間まで含めて計算すべきである。
 そんなことを悠長に考えていると、玄関の方向から女性の悲鳴が聞こえてきた。
 いよいよ踏み込まれてしまったようだ。
「……っ!」
 私情を挟むわけには行かない。明らかに助けを求めている声が、すぐそこにある。
 シフィは悲鳴の方向へと駆け出した。
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