幻蝶の織り機

□蝶の言の葉
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 くぁり、くわり

 溢れる吐息

 くぁり、くわり

 煙が漏れる

 くぁり、くわり

 花の薫りと日溜りの下


 くぁり、くわり


 通る夢路は幸せ色



:1・欠伸:


 平日の日中、教室の賑やかさから離れた人気のない屋上…の、更に人が来ない給水塔の裏側。屋上の支配者たる皆守甲太郎はそこに背中を預けてアロマを吹していました。

 まるで隠れるように。
 屋上には、彼以外に人など一人もいないのに…。

 くぁり…と、大きな欠伸が皆守の口から漏れました。すると綿菓子状のアロマの煙がぷかりと外に排出されます。濃密な煙は空気になかなか溶ける事なく、甘い薫りを撒き散らしながら上へ、上へ、昇っていきました。

 今の季節には少し珍しい、青い色の空に向かって。

 真冬の肌寒い気温の中、見る者が見れば冬眠に見えなくもない、外での昼寝。
 けれど今日は降り注ぐ日光のお陰で肌寒さは緩和され、ぽかぽかまったり、昼寝日和であったりしました。そんな日を、カレーと睡眠をこよなく愛する皆守が逃す訳はなく。既に二限目から色んな人の目を盗んで逃げて掻い潜り、意気揚々と授業をさぼって此所でまどろむ陽気を満喫していたのでした。

 そうして太陽が空の真上に差し掛かる頃。午前の授業が終了した事を知らせる音が鳴り響きます。
 皆守は校舎中に響き渡る大きな鐘の音が聞こえたのを合図にゆっくり目を閉じました。

 視覚を閉じた分だけ、研ぎ澄まされる聴覚。
 その聴覚が鐘の音に混じって聞こえる小さな音を捕らえます。音は少しずつ大きくなり、近付いてきて、すぐ側の屋上入口付近でピタリと止まりました。
 息を整え、音を立てないようにそぉっと回されるドアノブ。微かな回転と古さ故に錆びた金属の掠れる音が開閉を表すように一回、二回…。

 皆守の口端が無自覚に上がり、緩みます。

 そのまま硬いアスファルトを無音で踏み締めた一つの消された気配が真直ぐ給水塔の裏、皆守の元に近付いていきました。
 皆守は気付いているのに目を開けません。

 間近まで迫った気配はじっと皆守を見つめて…ため息を一つ。音も気配も殺すのを止めたのか、一気に存在を強く感じるようになりました。
 でもやっぱり、皆守は目を開けません。

 そんな皆守を気にせず、気配は彼の口からアロマを抜き取ると、ストンと真横に座りました。

 肩が触れ合う程に近い位置。互いの熱が、伝わり行き交う密着度。
 太陽の光とは違う温もりに再びまどろみが訪れます。

 くわり…と、隣りから聞こえた欠伸と肩に乗ってきた重みが、更に皆守を夢路へと誘いました。




 くぁり、くわり…

 くぁり、くわり


 肩を抱いて引き寄せた自分だけの日溜りに、欠伸を一つ。


 くぁり、くわり


 あぁ…現も夢も幸せ色の君がいる。





End
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