昼下がりのドロシー

□第一話
2ページ/8ページ


汚いものは嫌いだ。

アスファルトの上で乾きかけた吐瀉物や、腐った果実、肉。便所の縁にこびりついた排泄物。分厚く濡れた唇をめくれあがらせて笑う馬鹿共。

見れば見るほどに世界は汚れていて、生理的嫌悪感は募っていく。

しかし、何よりも汚くて気持ち悪く思えたのは、



自分自身だった。



「うぁああああああッ」

泣きながら叫んでいると、トカゲも俺に気付いたようで、のったりとした動作でこちらを見上げる。

ぱかっと開いた口は、ちょうど俺を招くようにその奥の闇を見せつけている。

これってまさか、俺喰われるか? 潰れるんじゃなくて、喰われて呑まれて排泄される?

「ぜっっったいいやだぁあああああッ!!!!!」

俺は叫びながら手にした剣を滅茶苦茶に振り回す。

その度に剣先から衝撃波のようなものが放出され四方八方に飛んでいった。

その一つがこちらを見上げるトカゲの円らな目と目の間、脳天のど真ん中に当たる。

衝撃波がトカゲの脳天に吸い込まれていった次の瞬間、トカゲの体が真っ赤に発光しながら一気に膨れ上がった。

「へっ?」

真下で発生した大爆発の爆風に吹き飛ばされ、俺は熱と光と煙に満ちた宙をくるくると回転しながら、訳が分からなくなって……

意識を手放した。



「……ぃ」

誰かが何かを言っている。とりあえず、黙って欲しい。いま、とてつもなく心地好い夢を見ている最中なんだから。どういう夢かっていうと、俺は闇の底をたゆたっている。鳥肌が立つほど静かで、冷たくも熱くもない。誰の姿も無いし、誰の声も届かない。俺は俺を意識することも、煩わしい考えにとらわれることもなく、ただただ無になってたゆたっているのだ。

「おい! 起きろっつってんだよ! こらっ」

知るか。

「お・き・ろ!」

肩をガクガク揺さぶられ、俺は夢の世界を諦めた。

「…んだよぉ」

薄く目を開くと、鼈甲色の双眸が俺を見下ろしているのが見えた。

誰だ。

というか、ここは何処だ。

目の前にある見慣れない顔を眺めながら、暫し黙考する。

燦々と降り注ぐ陽光。爽やかに吹き抜けていく風。景色は、背の高いトウモロコシのような植物が林立していて見えない。ここは畑らしい。

……ああ、そうだ。俺はいま、よく分からない世界で、よく分からないまま魔王を殺し、よく分からないで剣を振り回したら、よく分からないけど空から落っこちて、よく分からないトカゲが爆発して吹き飛ばされたのだ。

うん。変な夢だった。もう一度寝直して良い夢見て口直ししよう。

目を閉じて地べたに寝転がる。

「寝るなぁあああッ」

ずベゴッ。

杖で思っくそ殴られた。

「何すんじゃワレぁああ!」

ばゴキッ。

俺は飛び起き、鞘で力任せに殴り返す。

どボゴッ。ぎゴキッ。ぶガコッ。

「痛い痛いやめてやめてもう分かったからオレが悪かったから痛いぃいいいッ」

勝利。密かにガッツポーズを決め、服についた土を払うと、偉そうに這いつくばっている魔法使いっぽい奴を見下ろした。

「で、お前誰よ。何の権限があって俺の幸福な夢見時間をぶち壊してくれたわけ?」

「ふっ、聞いて驚け。オレ様は……」

そいつは偉そうに埃を払って立ち上がり、杖を掲げる。

「偉大なる善き魔道士グリム・グリンダ様だ!」

ぐり…ぐり……?

「で、そのヘッポコ魔道士グリグリは何でトカゲに追っかけられて俺の眠りを妨げたの?」

「へい、お代官様。それには聞くも涙、語るも涙の深い深い理由がございまして……って何言わすか!!」

自分で言ったくせにグリグリは怒って杖で殴ろうとしてきたから、また剣の鞘で殴って黙らせた。

「ぅう……実を言いますとワタクシ、アリ村という村でしがない占い師をしておりまして……」

グリグリが言うには、彼が日課の十中八九どころか万中九九九九外れる占いをしていたところ、「魔王を倒せば英雄になれるよ〜」という結果が出て、「よっしゃ、それならいっちょオレが英雄になってモテモテウハウハ生活満喫したるわ」と決意。意気揚々と旅に出たが、初っ端からあのトカゲの魔物に襲われてヒイヒイ言いながら逃げていたところらしい。

ていうか、「魔王倒せば英雄」って、占うまでもなく、RPGにおける常識中の常識ではないだろうか。

「で、アリ村って?」

「そこ」

グリグリは鞘で殴られた痛みに涙ぐみながら、すぐそこに見える集落を指差した。

「ッッッどこが『旅』やねん! 歩いて365歩もないわ!」

「なにアホなこと言うてんのや。ほれ、よく言うやろ? 『1日1歩、3日で3歩、毎日歩いてゆくんだね〜』」

「1日1歩かいッ!? つうかお前が欲しいんは幸せでもカルシウムでもなくてauの称号やろが!!! せやけ、ちゃんとまずはイシ○ルとかヨ○バシとかケータイ売ってる店行ってやなぁ……」

「その『エーユー』ちゃうわ!! てかもうええっちゅうねん! 何やこのノリ」

「ああ、俺もそろそろ飽きてきた」

「じゃあやめろよ……」

グリグリはやたら疲れた様子でため息を吐いた。自分だって結構乗っていたくせに。

「で、仕切り直すとだな……オレの方は話した。今度はお前が話す番だ。まず、名前は?」

俺はぱかりと口を開いて名乗ろうとしたが、そのまま何も言えなくなってしまった。何でだろう。自分の名前が思い出せない。グリグリが訝しげに眉を顰める。

「まあ、お前がグリンダなら俺はドロシーかな。状況的に」

倒したのは悪い魔女ではなく魔王で、手に入れたのは赤い靴ではなく血濡れた赤い剣だけど。

でも残念なことに、俺はドロシーにはなれない。何故なら、間違っても「お家がいちばん」なんて、思えないから。

「ふぅん、ドロシーっていうのか」

グリグリは俺の思惑など知らぬげに、無邪気に笑って手を差し伸べてきた。

「よろしくな、ドロシー」
はあ、どうも、なんてうっかりその手を取ってしまったのが運の尽き。

「じゃ、早速行くか」

「行くってどこに」

「ばっかだなぁ。決まってんだろ、魔王退治だよ」

呆れ顔で言い放たれた言葉に、俺は目が点になった。で、とりあえずムカついたから殴っておいた。

「いてて……乱暴者ぉ」

ずバキッ。

「ぼ…暴力反対……」

「で、何で俺がわざわざ魔王退治なんか行かなきゃいけないの」

ぶっちゃけ魔王は既に死んでいることは黙っておく。変にバラして英雄扱いなんてされたら嫌だし。

「まあまあ、ちょっと考えてみろって」

グリグリは馴れ馴れしく俺の肩に手を乗せ……

どボグッ。

……ちょっと涙目で後を続けた。

「アナタ様の剣技とオレの魔法、合わせたら最強だと思わね…思いませんか」

魔法、使えるんだ。
その割にはさっき逃げてるだけだったけど。

つぅか、俺のアレは明らかに剣技なんかじゃなくて剣自体の力だよな。

とはいえ、この世界に何の当ても無い俺には、こんなヘタレ魔道士でもいないよりはマシかも。

「いいよ」

とりあえず、当てができるか嫌になるまではコイツについていこうと決めた。

「よっしゃ、改めてよろしくな、ドロちゃん」

ぼゴキッ。

「その呼び方やめろ」

かくて、俺とグリグリは「魔王退治」という名目で旅する「道連れ」となった。
次へ
前へ  

[戻る]
[TOPへ]

[しおり]






カスタマイズ