焦風オリオ

□参・渉風キメラ後編
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食堂を背に庭園を歩き始めた木許の顔は、いつになく険しかった。その足は、中等部職員室のある西棟ではなく、図書館へと向けられている。

図書館の一階、カウンターの奥には小部屋があり、この学校唯一の電子頭脳体が設置されている。その場所は事件以来封鎖されていたが、封鎖している本人が入る分には何も問題無い。木許は結界をすり抜け、暗い小部屋へと進入した。

電子頭脳体を通常作動状態から一部手動状態に切り替え、通信機能を起ち上げる。暗い部屋に画面の光が拡散し、壁際の本棚に並べられた本やファイルの背表紙を朧に映し出す。

葬天会の通信コードを入力して画面を眺めるが、どうやら向こうの電子頭脳が不調なようで、幾ら待っても応答が無い。

木許は逡巡して目を泳がせるが、意を決すると、別の通信コードを入力した。

画面に現れた男の顔を見て、木許は複雑な思いで息を吐く。

赤味の強い雀茶の髪に砂色のキャスケットを被った、十代とも三十代とも取れる男は駱駝色の隻眼でこちらを見た。その拍子に長い前髪が左目に掛かり、鬱陶しそうに首を振る。右目は元々見えないのか、長い前髪に隠されてしまっていて見えない。

どこか屋内にいるらしく、奇妙な丸い窪みのある大きな扉が後ろに見えた。日が差したことなど一度も無さそうな暗い空間が、電子画面の無機的な光に照らし出されている。

泉門院に直接伝えても良かったが、緊急の場合、もし自分と連絡が取れなければ彼に伝えるようにと、御崎に指示されていた。信用はできないが、咄嗟の判断を任せるには一番だ、と。

「たち……いえ、愁宗さん」
『何か重大な問題でも起きましたか』

こちらを馬鹿にしきった口調で尋ねてきた愁宗に、木許は一瞬顔を強張らせる。この男はいつもこうだ。挑発的な態度を取り、相手を激昂させるのが趣味なのだろうか。

「ええ。重要な用件です」

木許は何とか平静を装い、話を進める。

「霊主が今、うちの学校にいるの」
『それは確かに大変なことですね』

愁宗は目を細めて、表情を消す。

「霊主は、あの子は普通の子に見えました。うちの生徒達と同じ、感情豊かで泣いたり笑ったりするような。優しそうな子です」
『それが何か』

あまりにあっさりと返され、木許は一瞬会話を見失った。

「あんな子を、殺すというの」
『くだらない』

吐き捨てられた言葉に絶句していると、愁宗は鼻を鳴らし、木許の目を見据える。

『いいですか。容姿や性格がどうであれ、霊主及び天蠱の消滅は不可欠なんです。霊主が存在する限り、政府は何の利潤も生まないこんな辺境を、本気で救済しようなどとは思いませんからね。自分の身に火の粉が降りかかるまでは無関心を貫くでしょう。御崎大佐からそうお聞きにならなかったのですか』
「それは」

諭すように言われ、木許は口ごもる。確かに、そう聞いた。だが、霊主があんな、自分たちと何の変りもないような人間だとは思わなかったのだ。

『霊主を消せば神都の人間も死ぬでしょう。元々この計画は他人を蹴落としてより良い生活を求めるものだと分かっていたはず。どうしても辛いなら、天蠱が憑いた時点で宿主は死んだと頑なに信じ込めばいいでしょう。貴方の幼馴染のように』
「葵はあなたとは違うわ!」
『ええ、そうですね。彼は愚かにも正義は我に有りと信じて疑わない。いや、それを突き崩すような矛盾からは目を背けている。まあ、多少の犠牲など気にしていては革命などできませんからね。革命者としては間違ってはいないでしょう。そもそも革命とは、革命者の意図がどうであれ、支配者と被支配者、即ち犠牲にする者とされる者の線引きを改める行為に過ぎないわけですし』

駱駝色の虹彩に縁取られた空虚な暗い瞳孔が、木許を捕えて放さない。混沌へと引きずり込まれていくような感覚に、無意識の内に腕組みをした手の指に力が込もった。

「それなら、あなたはなぜ計画に加担しているの」

最後の気力を振り絞り、反論の余地を見出そうと挑むように愁宗を睨む。

「たとえ一が正しくとも、九が間違っていると言えば、九の側につく。たとえ、九分の八は自分と同じ、グレーゾーンの住人だったとしても。それが人間の本質ですよ」

その言葉を最後に、通信は切られた。黒くなった画面に、木許自身の顔が映っている。

泣き出しそうに歪んだ顔の上に、消えたはずの愁宗の嘲笑の余韻が留まり続けている気がした。
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