寄り道
□昼下がりの寄り道@
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「案山子丸、そんな格好でいると風邪を引くよ」
鼻をすすっていた案山子丸の頭に、ふわりと布が被せられる。振り返ると、栗色の長い髪を背に流した繊細な顔立ちの青年が立っていた。案山子丸の義兄、和傘丸である。実際には草鞋丸の兄、扇丸オウギマルの子であったらしいが、扇丸は病死、その妻の玉音タマネは失踪したという。案山子丸はその辺りのことに詳しくない。誰に聞いても口を閉ざしてしまうのだ。家臣の中には和傘丸をあからさまに嫌う者もいたが、その美貌もあり、城下の者には概ね好かれている。
「兄上」
庭の方から来たということは、塀を乗り越えて城下から直接戻ってきたということだろう。
「その上衣でお拭き」
「かたじけない」
笑顔で頷き、頭の上に掛けられた藍染の上衣で体を拭こうとした案山子丸は、上衣から降りてくる臭いに顔を顰め、泣きそうになりながら和傘丸を見上げた。
「あ、あにうえ、これは……」
「ん? 屏風之介ビョウブノスケのだけど」
屏風之介。その名を聞いた途端、案山子丸は気が遠くなるのを感じた。
「びょ、屏風之介というと、あのやたら脛毛すごくて筋肉すごくて……に、臭いもすごいあの堅物で頑固者の家臣、屏風之介でござるか」
「うん、そうだよ」
ぺいっ。
反射的に投げ捨ててしまってから案山子丸は反省する。
お主も臭くてごつくて煩いとは言え、懸命に我が家に仕えてくれていたのに、ぞんざいに扱ってすまぬ。許せ。
地面に落ちた上衣に向かって合掌していると、塀の向こうからにゅっと手が伸びてきた。
「兄上、此度は何処の女子をたぶらかされたのでござるか!? 悪霊となってついてきてしまってござるぞ!?」
案山子丸がぎょっとして叫ぶが、和傘丸は能天気に「あはは〜」などと笑っていてまるきり頼りになりそうにない。ちなみに草鞋丸と沙弥も未だに仲良く言い合っていてこちらに気付いた様子も無い。こうなったら自分が、と決心した案山子丸は、小刀を抜き払い、塀から伸びてくる手に向かって駆けていった。
「ナンミョーホウレンソウ、悪霊退散、テクマクマヤコン、ケヌマ カバリ キルマ、成仏召されよ! たぁーっ」
掛け声と共に勢い良く小刀を振り下ろす。
「お、お待ち下さいませ、案山子丸様!」
「む?」
女子の霊とばかり思っていたが、響いた声は野太いダミ声。だが刀は止まること無く、ずぱっと切り裂いた。慌てて外された手の下にあった塀を。
「あんぎゃーっ」
どすっ。
塀の向こうからは何か重いものが落ちた音。
「むむむ?」
そして独特の異臭が漂ってきたところで案山子丸は相手の正体を知った。
「もしや、屏風之介か」
「さ、左様にござる」
返ってきた言葉を聞き、案山子丸は刀を納める。
「して、何故お主は塀を乗り越えて戻ろうなどと思ったのでござるか」
「お、追われてございまする故。……はっ、もしやそこに和傘丸様はおいでですか!?」
振り返ると、縁側の辺りについ先程まで立っていたはずの和傘丸の姿が消えていた。
「先程まではいたが、今はいないようでござる」
「あンのクソガキめーっ」
屏風之介の咆哮に、屏風之介はいつも騒々しいでござるなぁ、などと案山子丸が思っていると、塀越しに、遠くから足音が近づいてくるのが聞こえる。
「おい、いたぞ! あそこだ」
「この野郎、イカサマしやがって! 賭け金返しやがれ」
「せ、拙者は関係無いでござるアレは和傘丸様が勝手に」
「うるせぇ保護者!」
「てめぇがしっかり教育しねーから悪いんだろが!」
「そんな無茶苦茶な……ぶぎゃあああッ」
ドカボコバキッ。
哀れ、屏風之介はボコられてしまったようである。まあ、いつものことだ。振り返ると沙弥がキレたらしく、鯛をヌンチャクの如く振り回して草鞋丸に襲い掛かっている。
ああ、平和でござるな。
晴れ渡った空を見上げ、案山子丸は微笑んだ。