空色の本

□空飛ぶくじら
1ページ/5ページ


くじら くじら
砂場のくじら
どこ見ておよぐ
だれにも行けない
そら見ておよぐ





「あのね、くじらってほんとうは鳥なんだよ」

それは昔の記憶。幼い二人は砂場に座り、手も服も砂だらけだ。間に挟んだ砂の山には、飽くことも無くトンネルが掘られ続けている。そこは、霞み掛かった穏やかな陽の光に包まれた、小さな公園。二人の後ろではブランコが、きいきいと微かな音を立てて揺れていた。

「うそだあ。くじらはホ乳類だよ。博物館でハクセイ見たもん。それに、あんなの飛ぶはずないじゃん」
「うそじゃないよ。くじらのヒレってね、昔はハネだったんだよ。海の外に出て、空を飛んでたの。でもまだみんな水の中だったから、さびしくなって戻ったんだって」
「でもみんな外でくらしてるじゃん」
「だからね、くじらが戻るちょっと前に、みんな外に出ちゃったの」

まだ世界が大きくて、大人が大きくて、しょうがないから肩肘張って、自分も大きい振りをしていた、あの頃のたわいもない幻想。

「だったら、もう一回出ればいいじゃん」
「だめだよ。その時にはもうおそかったの。ヒョウガキだったから。みんな土の中にもぐっちゃったから、出てもひとりぼっちだもん」

二対の瞳は振り返り、砂場の真ん中、尾びれを上げて空を見つめる、動くこと無いくじらに目を向ける。

「かわいそう」

あんまり悲しそうに呟いたから、私も悲しくなって頷き、言葉を呑んだ。

「絶対にひみつだからね。だれにも言っちゃだめだよ」

素直に頷くあの子に向かって、私は何度も念押しをする。言葉を重ねるその度に、絆が強まるとでも言うように。

だけど約束は破られた。

引っ込み思案な弟に、心の優しい幼馴染は、自分の一番大切な、秘密をそっと打ち明けた。



「あのね、くじらってほんとうは鳥なんだよ」



正直者の幼馴染が、無邪気にそれを告げた時、私とあの子との間には、大きなひびが刻まれる。嘘吐き、嫌い、裏切り者。罵倒の限りを尽す私に、あの子はただただ哀しげに、目を伏せ黙って聞いていた。

それからしばらくして、あの子は消えた。

引っ越したらしいと母から聞いたが、その意味が全く分からなかった。あまりにも突然で不条理な、とても納得できない話だったから。

傲慢で、我儘で、蒙昧。

それがあの頃の私のすべて。
次へ  

[戻る]
[TOPへ]

[しおり]






カスタマイズ