空色の本
□空飛ぶくじら
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くじら くじら
砂場のくじら
どこ見ておよぐ
だれにも行けない
そら見ておよぐ
「あのね、くじらってほんとうは鳥なんだよ」
それは昔の記憶。幼い二人は砂場に座り、手も服も砂だらけだ。間に挟んだ砂の山には、飽くことも無くトンネルが掘られ続けている。そこは、霞み掛かった穏やかな陽の光に包まれた、小さな公園。二人の後ろではブランコが、きいきいと微かな音を立てて揺れていた。
「うそだあ。くじらはホ乳類だよ。博物館でハクセイ見たもん。それに、あんなの飛ぶはずないじゃん」
「うそじゃないよ。くじらのヒレってね、昔はハネだったんだよ。海の外に出て、空を飛んでたの。でもまだみんな水の中だったから、さびしくなって戻ったんだって」
「でもみんな外でくらしてるじゃん」
「だからね、くじらが戻るちょっと前に、みんな外に出ちゃったの」
まだ世界が大きくて、大人が大きくて、しょうがないから肩肘張って、自分も大きい振りをしていた、あの頃のたわいもない幻想。
「だったら、もう一回出ればいいじゃん」
「だめだよ。その時にはもうおそかったの。ヒョウガキだったから。みんな土の中にもぐっちゃったから、出てもひとりぼっちだもん」
二対の瞳は振り返り、砂場の真ん中、尾びれを上げて空を見つめる、動くこと無いくじらに目を向ける。
「かわいそう」
あんまり悲しそうに呟いたから、私も悲しくなって頷き、言葉を呑んだ。
「絶対にひみつだからね。だれにも言っちゃだめだよ」
素直に頷くあの子に向かって、私は何度も念押しをする。言葉を重ねるその度に、絆が強まるとでも言うように。
だけど約束は破られた。
引っ込み思案な弟に、心の優しい幼馴染は、自分の一番大切な、秘密をそっと打ち明けた。
「あのね、くじらってほんとうは鳥なんだよ」
正直者の幼馴染が、無邪気にそれを告げた時、私とあの子との間には、大きなひびが刻まれる。嘘吐き、嫌い、裏切り者。罵倒の限りを尽す私に、あの子はただただ哀しげに、目を伏せ黙って聞いていた。
それからしばらくして、あの子は消えた。
引っ越したらしいと母から聞いたが、その意味が全く分からなかった。あまりにも突然で不条理な、とても納得できない話だったから。
傲慢で、我儘で、蒙昧。
それがあの頃の私のすべて。