黄色の本

□Mr. Butcher
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 ラーベハイム第二高等学校寮。

 一室に付き二人で、共有スペースと私室それぞれに鍵を掛けられる形式の、当時の最高級の待遇は、市内に八つある高等学校の内、ここだけが軍属で、優秀な生徒ばかり集められていたことに起因する。だが、優秀な生徒、というラベル付けは逆に厳しく管理する、ということにもつながっている。毎晩八時半には消灯され、一室一室を教師が見回りに来るし、朝は六時半に運動場で体操前に点呼される。食事は三食ともに食堂で、定められたものを、制服はちゃんと第一釦まではめ、襟元のリボンは蝶々結びで逆さになってはいけない、髪は肩よりも上、など、細々とした決まりがあり、破ると罰則が用意されていた。

 とはいえ、僕にとってそれを守ることは苦では無かったし、同室のイヴァンも孤児院でそうしたことには慣れていたらしく、時折破りはしても、うまくやり過ごしていた。

 その時も、一日の為すべきことを終え、後は消灯を待つばかり、という状況で、僕は共有スペースにあるソファに座り、本を読んでいた。

「『肉屋』?」

 読んでいた本から顔を上げ、イヴァンに問い返す。

「そう、『肉屋』。やっぱり知らなかったか。お前、こういう話には疎いもんな」

 シャワーの後でタオルを濡れた頭に被せたまま、イヴァンは得意気に繰り返し、笑った。

「いま町ではもっぱらの噂みたいだぜ。犯行時間は深夜帯。女子供は夜に出歩くなってさ。見に行かないか」

 歩きながらテーブルの方に来て、置きっ放しになっていた魔法瓶を手に取り、こちらを振り返る。

「見に行かないかって。駄目に決まっているだろう。見回りが終わったら寮の鍵は閉められてしまうし、朝の点呼が済むまで開けられない。もし見つかって放校になんてなったら、おじさん困るんじゃないのか」

 魔法瓶の中から取り出したアイスキャンデーを一齧りし、イヴァンは唇を舐める。

「別に困りはしないさ。あの親父だからな。それに、手は考えてある」

 目を眇めて含み笑いをするイヴァンを見て、僕は理解した。イヴァンは思いつきを話しているのではない。決定事項を提示し、共犯者となるか傍観者となるかの選択を求めているのだ。ここで止められなければ、イヴァンは確実に町に出る。

「駄目だ。そんな危険な真似、許せる筈がないだろう」

「ハンス」

 懇願するような眼差しに心が揺れるが、イヴァンの為を思えばこそ、だ。

「もし一歩でもそこの扉の外に出たら、寮監に連絡するからな」

「お堅いことで」

 途端にむくれ顔になったイヴァンは、舌打ちをしながら白い煙を吐き出す魔法瓶の蓋を閉める。

「今度は日曜の昼間に誘ってくれよ」

 安堵の笑みを浮かべると、イヴァンも笑顔になった。

「ああ、また今度な。とっておきの娼館に連れて行ってやるよ。政府のお偉いさん御用達だぜ」

「イヴァン」

 説教を始める前に、イヴァンはさっさと私室に戻り、内側から鍵を掛けてしまった。


「まったく」

 僕はため息を吐くと、本を閉じ、ポケットから手帳を取り出して開く。この中には、僕の全てが詰まっている。誰にも、イヴァンにも見せられない。ちょうど確認をしたいところだったから、イヴァンがいなくなってくれて助かった。

 確認を終え、シャワーを浴びて出てくると、ちょうど消灯時間になる頃だった。

 見回りに来た教師に促され、イヴァンの様子を見に、玄関からリビングに戻る。

「イヴァン、もう寝たの」

 ノックをしたが返事が無いのでドアノブを捻ると、ちゃんと鍵が掛かっているようで、扉は開かない。リビングの鍵はお互いに持っているが、私室の鍵は内側から指でつまんで回す形のサムターン式で、鍵は寮監しか持っていない。どうやら、町に出るのを諦めて眠ってくれたようである。寝たようだということを伝え、教師を見送り、玄関の扉を閉める。

 一安心したところで、僕も寝ることにした。

「おやすみ、イヴァン」

 イヴァンの部屋の扉越しに声を掛け、僕も自分の部屋に戻る。



 その日が、イヴァンを見た最後の日となった。



 翌朝、体操の時間を過ぎてもイヴァンは姿を現さず、寮監がイヴァンの部屋を開けるとそこはもぬけの殻で、寝た形跡も無かった。戻ってきたら厳罰に処する、と教師が豪語していたのは朝までのこと。昼を過ぎても戻らないイヴァンに、学校は警察に捜索を依頼した。

 だが、町の路地裏で発見されたのは、ラーベハイム第二高等学校のリボンと「肉屋」に切り刻まれた無数の肉塊だけ。心臓が凍る思いで待っていた司法解剖の結果分かったのは、その肉塊はイヴァンではなく、イヴァンの養父であるルドルフ=アベルを含む、政府の高官たちであるということだった。

 結局、イヴァンが如何して、何所に消えたのかは、ずっと、誰にも分からないままだった。今日までは。
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