黒色の本
□鬱陶しい日々の中で。
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●第一幕、赤子坂上。
「通りゃんせ、通りゃんせ」
泣き声、泣き声、鈴の音。
気づくと、僕は黄昏時の街道のど真ん中に立ち尽くしていた。
一方から御輿を担いだ赤ん坊達が行列を作って歩いてくる。
その赤ん坊の一人一人が、大人ほども背丈があり、着物に身を包んでいた。
「そこのけ、そこのけ、御輿が通る」
黄色い声を張り上げて先追いの赤ん坊が細い目で僕を睨んだ。
僕が道の端に避けると行列はうんざりするくらいのろのろと僕の前を通り過ぎていく。
半分くらいに差し掛かり、ようやく僕の前に御輿がやって来る。
御簾は上げられていて、殿様の格好をした赤ん坊が金の扇子をあおいでいるのが見えた。
僕の視線に気づいてか、殿様がこちらに目を向ける。
「これ、そこの。頭が高い。ひかえおろ、ひかえおろ」
殿様が言うと同時に何人かの赤ん坊が僕の方へやって来て、僕はあっという間に地べたに頭を押し付けられた。
「そち、ここの者ではないのう」
「殿がご直々にお声をお掛けして下さっていらっしゃられる。お早くお答えしなされ」
訳の分からないエセ敬語を使いながら赤ん坊たちには僕の頭を小突く。
「そうです」
喋りにくい体勢の中で辛うじて返事をすると、殿様は泣き出す前のようにむすっと顔をしかめた。
「誰が話せと言うたか。そちは黙って聞いておればよい」
「その通りであらせられる。お黙りなされ」
再び頭を小突かれる。言われるままに黙っていると、またもや殿様は機嫌を損ねて手足をばたばたさせて喚き出した。
「ええい、返事をせよ。そちはまろを侮っておじゃるのか」
「ご無礼でいらっしゃるぞ」
餅つきのもち並みに頭をガスガス小突かれ、僕の視界が揺れ始めた時、悲鳴を上げて殿様が転がってきた。
暴れる殿様を支えきれず、担ぎ手の一人が体勢を崩してしまったらしい。
殿様はぴょっこり起き上がるなりへたり込んでいる担ぎ手を血走った目で睨みつけた。烏帽子が脱げてふわふわと逆立った産毛が露になっている。
「お、お主なんということを……ええい、その首掻っ切ってしまえッ」
「おくたばりあそばせ!」
「ごめんなすって!」
殿様の声に従って無防備な担ぎ手が二人掛かりで滅多切りにされていく。
ごろんと転がった通常の三倍以上ある赤ん坊の首はなかなかにグロテスクであった。
地面にできた赤い水溜りが広がってくる。
僕は赤ん坊たちの目が担ぎ手に向けられているのをいいことに地べたに這い蹲るのをやめて逃げ出そうと思ったが、よちよちと地面に下ろされた御輿の中に戻った殿様が扇子で「来い、来い」をしているのに気づき、諦めて殿様の側に寄った。
「そち、まろの話を聞きたくはないか」
「聞きたくありません」
「それでは、頭と体を泣き別れさせてもらいたいか」
「ぜひ聞かせてください」
作り笑いの裏で、正直は一生の宝、などと言った古人はみんな大嘘吐きか大馬鹿野郎のどちらかだったのだろうと思った。
「では、そちも中に入れ」
「殿ッ」
「こんなどこのお馬様のご遺骨とも知れぬようなお方を……おやめ申し上げ下さい!」
明らかに正しく、ついでに言えば僕にとっても有難い事を言っている取り巻きを細い目で睨んだ殿様は別の赤ん坊に目を向けた。
その赤ん坊が丸っこい指で刀を引き抜くのを見て取り巻き達はくしゃくしゃの作り笑顔を浮かべて僕の肩に腕を回す。
「殿をお待ちさせ申し上げなさるな。さっさとお乗り下され」
ぶよぶよとした腕に抱き上げられ、僕は御輿の中に放り込まれた。
御簾が下げられ、御輿が担ぎ上げられる。
狭い御輿の中は殿様が入るだけで一杯だったので、僕はおもちゃのぬいぐるみか何かのように殿様に抱きかかえられた。
巨大な赤ん坊の不気味な顔が見えないのが辛うじて不幸中の幸いと言えるかもしれない。
「何か聞きたいことはないか。なんなりと申してみよ」
上から降りかかってくる声と生温かい息に怖気を覚えながら僕は御簾の外を見遣った。
「この行列はどこから来てどこへ向かっているんですか」
御簾の外では相も変わらず赤ん坊たちがよちよちと歩いている。
「どこから来たかは覚えておらぬ。どこへ行くかは分かっておる。まろの国じゃ。もうずっと長い間まろの国を探し、こうして旅しておる」
よくよく見れば、歩いている赤ん坊たちの足の裏は赤く剥けていた。疲労のせいか体型のせいかは分からないが、歩き方もふらふらしていて危なっかしい。
「なぜ、どこにあるか分からないような国を探しているんですか」
前方を歩く赤ん坊の一人が倒れた。行列は歩みを止めず、その赤ん坊の上を踏み越えていく。この御輿もその上に差し掛かったらしく大きく揺れた。
「それが決まりだからじゃ」
どこからか別の赤ん坊がやって来て、倒れた赤ん坊のいた場所に入っていった。行列は何も無かったかのように進んでいく。
「そんな決まり、誰が決めたんですか」
「分からぬ」
会話はそれきり途切れて続かなかった。
赤ん坊の入れ替わりは激しく、退屈した殿様が僕をしゃぶったり振り回したりし始めた頃には、さらに十人前後の赤ん坊が入れ替わっていた。
行列の先頭のほうで悲鳴が上がった。
驚いた僕が御簾から顔を出そうとすると殿様が僕の体を乱暴に掴み、引き寄せてまた元のように腹の辺りに抱え込んだ。
「そちはここにおれば良い。どうせ、大したことではないだろう」
悲鳴は連鎖反応しているように次から次へと響き渡る。
響いては重なり、重なっては途切れ、途切れてはまた響く。
それが段々と近づいてくるに従い、僕の内側にある本能の逃げ出したいと訴える声が大きくなっていく。
僕は丸々とした腕を引き剥がし、殿様を突き飛ばして御輿の外へと転がり出た。
揺れる御簾。傾いていく御輿。殿様の悲鳴が上がる。
そこは、下り坂だった。
行列は歩みを止めることなく進み続け、傾斜が見える位置まで来てようやく赤ん坊は危機に気づくが、後続が足を止めないために皆、次々に坂道を転がり落ちていく。
その様はまるで集団自殺かピンボールのようで、馬鹿馬鹿しくも背筋が寒くなる光景だった。
行列が全て坂の向こうへと姿を消したとき、空は紫紺色に染まっていた。