黒色の本

□ベーコンエッグはなくならない。
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――いかがでございましたか。世界から貴方へ、少し先の未来をお届けいたしました。

淡々と告げられた言葉が、理解不能な音声として耳の中で反響し続ける。まるで心臓に太陽を宿し、全身が干からびていくのを黙って見ている事しかできないような感覚に捉われた。

衝撃、かなしみ、怒り、絶望。それに近い感覚を言い表すことばはいくらでも出てくるが、どれもぴたりとは当てはまらない。敢えて一言で言い換えるならば、暗闇。それが一番近い。

俺はただ、暗闇の中で停止していた。










どたどたと、慌ただしい足音が俺の意識を浮上させていく。

まず見えたのは、板目状の天井。

そこについた染みを眺めながら、俺は順を追って記憶をたどる。

今日は土曜。学校はないはず。

そう結論付けたと同時に、ドアが勢い良く開け放たれた。

「おはよう、タカアキくん」

見慣れた姉の笑顔に、おはよ、と返しながらため息を吐く。何度言ってもこの姉は、年頃の男になりつつある弟の部屋に突撃することをやめようとはしない。ついでに、壁にドアノブの痕をつけることも。

「で、今日は何なの」
「聞いてくれる?」
「そのために来たんでしょ」

枕元に置いてあった眼鏡をかけて顔を上げると、姉は待っていたとばかりに花咲くような笑顔になった。

やはり、と思いながら今日の予定を頭の中で確認する。部活にも入っていない俺が土曜にすることと言ったら、勉強かバイトくらいしかない。今日はバイトは入っていないから、姉の話につき合う時間は一応ある。

「ちょっと下で待ってて。着替えてくから」
「朝ごはん作っててあげようか」
「いらない。っていうか自分で作る。試食させるなら、せめて自分が食べられるものを作れるようになってからにして」

だよね、と笑いながらドアを閉めて出て行った姉に、再びため息を吐く。分かっているのなら早く上達してくれと思うのは、断じて俺のわがままではあるまい。気まぐれで作られた創作料理ならぬ錯綜料理を食べさせられる、こちらの身にもなってほしい。

身支度を終えてリビングに下りてみると、姉は一応言われたことを実践しようとしたらしく、真っ黒になったトーストとオレンジジュースを前に渋面を作っていたが、こちらに気づくとぱっと顔を明るくした。

「で、何の話なの」

珈琲を一カップ、ベーコンエッグを念のためふた皿用意して、テーブルの姉の向かいの席に腰を下ろす。その間、目を輝かせて皿の上のベーコンエッグを目で追うという予想通りの反応を示した。期待に満ちた熱視線を向けてくる姉の前に一皿差し出し、俺は珈琲を一口すすった。

少し、酸味が強い。

「あ、そうそう。『正夢配達員』の噂、タカアキくんは知ってる?」

ベーコンエッグにフォークを突き立てながら嬉々として口にされた単語に、俺は眉をひそめる。

聞いたことはあった。というより、ここ最近で目新しい話題と言ったら、それくらいしかない。

「学校のやつらが話してた。で、それが何? まさか、姉貴のところにも来たとか言うんじゃないよね」
「どうして分かったの! もしかして、タカアキくんってばエスパー……」
「なわけないじゃん」

大げさに目を丸くして驚いている姉の言葉を一蹴しつつ、俺も食事に取りかかる。半熟のベーコンエッグの真ん中にフォークを落とすと、とろりと流れ出した黄身が皿に広がっていく。皿洗いのことを考えると、やはり、姉の好みを気にせず固めに焼いてしまうべきだった。

「で、どうだったの」

ベーコンエッグをそのまま食パンの上に移しながら先を促すと、姉ははっとした様子でベーコンエッグをひと齧りし、飲み込んでから話し始めた。

「そうそう。本当に噂通りだったよ。紺色の制服にラクダ色の鞄、それに、目も鼻も耳も無いつるっつるの真っ黒な顔!」

興奮した顔でベーコンエッグが刺さったままのフォークを振り回すものだから、黄身がテーブルにぽたぽたと黄色い水玉を作っている。後で自分で拭かせよう。

「配達員の外見の話じゃなくて、内容の方だよ」

正直言って、俺はあの噂には懐疑的だ。というのも、人間というものは、個体差はあっても基本的に、自分の都合の良いように記憶を書き換えてしまう生き物だから。

何かが起こり、それと類似する夢を見ていた場合、「以前に似たような夢を見た気がする。正夢だったら面白い」と考えていたのが時が経つにつれ、「以前に現実と寸分違わぬ夢を見た。あれは正夢だったに違いない」と変換されてしまうのだ。

つまり、身近な人物が、物事が起こる前に「夢」を他者に話しているという前提があって初めて、「正夢」や「予知夢」といった類のものは成立しうるわけである。

ついでに言うと、学校のやつらは基本的に物事を面白おかしく話すのが好きなので、話がおおげさにされている可能性も大きい。

「ええと、今のとこ見せてもらった正夢の通りに進んでるよ。朝起きたら寝癖がひどくて、タカアキくんの部屋に行って、トースト焦がしちゃって、ベーコンエッグは半熟」
「それくらい、だいたいいつもやってることじゃん。他は」

記憶を辿るようにして一つ一つ出来事を数え上げていた姉は、不意に顔を青ざめさせ、椅子を蹴って立ち上がった。

「どうしよう、タカアキくん! わたし死んじゃう!」
「どうやって?」

完全に「正夢」を信じ切っているらしい姉の、笑ってしまうほど怯えた顔を斜めに見上げつつ、珈琲をひと口飲み下す。やはり、酸味が強い。

「隕石が頭にぶつかっちゃうの!」

そんな馬鹿な。

鼻で笑おうとした瞬間に、姉の背後の窓ガラスが賑々しい音を立てて弾けた。

次いで、ごすんという鈍い音が響く。

切迫した顔でこちらを見つめていた姉の上体がテーブルの上に倒れると同時に、ダイニングキッチンの床に黒い石がめり込んだ。俺のベーコンエッグに顔から突っ込んだ姉の頭部からは、冗談のように大量の血が流れ出している。

俺は珈琲を傾け、浮かべかけた笑みを中途半端に引きつらせたまま、呆然と固まっていた。
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