昼下がりのドロシー

□第九話
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剣戟の音、誰かの咆哮、悲鳴。

遠くから次第に近付いてくるその音に、俺は未だ屋敷の縁側を動けずにいた。

「なあ」

俯いたまま、声を押し出す。

「どうしても和解は、考えられないのか」

今更逃げようとするなんて、あまりに遅い。だが、それでも俺は、嫌だった。

「ああ? 仕掛けてきてんのは向こうだぜ? 受けて立つしかねぇだろうがよ」

隣に立つコイツを、再び敵として見ること。

「なら、向こうがやめると言ったら?」

隣に立つコイツを、傷つけること。

「やめさせようってか? やめとけ、やめとけ。お前が辛くなるだけだ」

そして、隣に立つコイツを、殺すこと。

からからと笑いながら、ヤクサは俺の頭をぐしゃぐしゃに撫で回す。

「いざとなった時は、遠慮無く向こうについてくれて構わねぇぞ。俺は強ぇーからな。そんくらいのハンデがあった方がちょうどいい」
「ヤクサ様!」
「いいじゃねえか、シュラ。……まあ、なんだ、ドロシー。お前がこっちにいてくれるってんならそれはそれで良いし、見てるだけがいいならそうすれば良い。好きなようにしろ」

顔を険しくさせて俺を睨むシュラを宥め、ヤクサは前を向く。その視線の先にある門が打ち破られ、大勢の兵達が雪崩れ込んで来た。元茶漉兵を中心とした抵抗軍である。

「お前の取るその行動が、お前の生き様を作っていくんだからよ」

ヤクサはそう言って縁側から降り立ち、勢い良く攻め掛かってくる抵抗軍を見据える。堂々と歩いていくヤクサに対し、抵抗軍は及び腰になって勢いを止めた。

「てめえら、ここが誰の庭だか分かってんだろうな」
にっと笑って告げたヤクサが、咆哮を上げながら彼らに殴りかかっていく。素手とはいえ、ヤクサは魔族だ。殴られた部位は風船のように弾け飛び、辺りに赤い花を散らす。圧倒的な力を前に、抵抗軍は逃げ惑うしかなかった。

「ヤクサぁあああ!」

その中から一人、飛び出したものがいた。

「てめえは!」

突き出された刀を飛び避けながら、ヤクサは目を見開く。

「ハハッ! まさかまだ生きてたとはなぁ」

高く結い上げた髪を靡かせながら、腰を屈めてヤクサの拳を避けたその人物は。

「案山子丸、だったか。ちょっと見ねえ間に随分とでかくなりやがって」
「ぬかせ!」

一旦間合いを取って体勢を立て直すと同時に、案山子丸は再度ヤクサに向かっていく。

「父上と母上の仇、今ここで討つ!」
「クハハッ! いいぜ、来いよ!……シュラぁ!」

振り返りもせずに呼ばれたシュラは、一礼をして地面を見据える。

「我が主のため」

シュラがゆっくりと二本の指を立てた手を振り上げると、彼の目の前の地面に黒い染みのようなものが現れる。それは一気に膨れ上がり、大きな沼のようなものを形成した。そこからは黒い炎が立ち上り、コロナのように揺らめいている。

「おいでなさい、我が兵卒達よ」

シュラが二本の指で空を切るように手を振り下ろすと同時に黒い炎が弾け、代わりに黒い鎧を纏った沢山の魔族達が現れ、庭を埋め尽くした。

「行きなさい」

シュラが告げると同時に、彼らは狂喜の声を上げて抵抗軍へと踊り掛かっていく。

「怯むな! 案山子丸様に続けーっ!」

士気が落ちていた抵抗軍の中から、屏風之助が前に出て、魔族を切り捨てながら声を張り上げる。それに応えるように、あちこちから声が上がり、抵抗軍も魔族達へと向かっていく。だが、そもそもが人と魔族。一人の魔族に対し四、五人で掛かってちょうどいい状態なのに、ただでさえ魔族の数より少なかった上、ヤクサにより半分程にまで削られてしまった勢力ではいくら士気があっても勝ち目は無いだろう。

「人間だけだと思ってんじゃねぇだろうな!」

空から飛び降りてきた小柄な人影が、斬られ掛かった抵抗軍の前に出て、眼前の魔族に掌の前に現れた水泡を叩きつける。

「オレ様率いる水龍族、とうちゃーく!」

自信満々にポーズを決める神流の隣に、ふわりと黒い影が舞い降りる。

「同じく、役立たずの魔王様の旗の下、烏天狗族、参りました」

西安め。またあんな嫌味言いやがって。まあ、今回に関しちゃその通り、か。

「我ら朱纏狼族のことも忘れてはおるまいな!」

塀を飛び越えて群れていた魔族達の喉笛に食いついたのは、確か碧羅とかいう朱纏狼族の長。

「オラ達も来ただぞー」
「骨だけど」
「骨だけになかなか骨がある、骨回戯児動族略して骨戯族!」
「ただいま参上だべ!」

何故か鍬や鎌を持った骸骨達も、カタコトと音を立てながら雪崩れこんできた。

「な、何だ? 妖達が」
「なに、奴等もこのヤマトの民。大陸者なんぞにこの国を踏みにじられるのが許せなかったのだろう」
「何でもいい! 敵の敵は味方でござる! 今が勝機、かかれかかれーっ」

妖達の勢いに押されるようにして、抵抗軍も波に乗った。

形勢は逆転。完全に一方的に抵抗軍を呑み込んでいた魔族の波は、妖達と一体になった抵抗軍に押し返されつつある。

規模が大きくなったことで、力が拮抗したことでまた、流される血の量も、絶鳴と咆哮の入り交じった叫びの数も増えていく。戦場は惨憺たる有り様だった。

それでも。

「クハハッ! 面白くなってきたじゃねぇか」

それでも笑うんだな、お前は。

「ヤクサぁあああ! 余所見をしていて良いのでござるか!」

斬りかかった案山子丸の刀を払うヤクサの太く筋張った腕は、端々に刀がかすった跡があり、血が幾筋にも走っていた。

「ヤクサ様……!」

思わずといった調子で振り返ったシュラの脇腹を屏風之介の刀が抉る。

「ぐ……人間風情が!」

血を吐きながら吼えたシュラが変型し、巨大な白蛇へと姿を変えた。しかし、その純白の鱗も所々が剥がれ、血が滲んでいる。

「やめろ」
「……ドロちゃん?」

思わず零れた言葉に、グリグリが訝しげに眉を顰めて振り返る。

「やめろっつってんだこのクソボケ共がぁあああ!」

叫んだ声はだが、戦場の喧騒に掻き消され、誰にも届かない。

「ドロちゃん、ダメだよ」

ただ、隣に立つグリグリだけが、静かに答えた。

「今は戦わなきゃいけない時なんだよ。こうなったらもう、ドロちゃんにもオレにも、どうしようもない」
「大人振るなよ」

悔しくて、声が震える。

「大人振って全部諦めてんじゃねえよ」

言葉を重ねていくにつれ、心が定まっていく。

「それがこの世界のルールなんだよ」
「ルール?」

そうだ。大人振って諦める必要なんて何処にもない。

「ハッ、そんなの関係無いね」

俺は大人じゃないし、そもそもこの世界の人間じゃないんだから。

「おいコラてめぇら……」

前に出て声を張り上げる。聞く奴なんかいないけど、そんなのは別に構わない。

「俺の話を聞けーッ!」

聞かないなら、聞かざるをえない状況にしてやればいいのだから。

俺の怒声と共に魔剣からほとばしった光が、辺りを白く染め上げた。
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