昼下がりのドロシー

□第四話
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嗅ぎ慣れない臭い。見知らぬ顔。聞き慣れない声。

真っ白な校舎は俺を拒絶しているようで、嫌いだった。

担任と名乗る偽善者に連れられて、初めて教室に入る。好奇と排他的な光を宿した無数の目の中、担任に自己紹介を促された。

「×××」

名前だけを短く答えれば、途端に奴らの視線は変わる。明らかな敵意に。

別に、そんなことどうだって良かった。くだらない奴らがくだらない真似をしている。それだけのことだから。

そう思って毎日、一日が終わるのをただただ待っているような生活が続いていた。

あいつが現れるまでは。

いや、現れた、という表現は正しくない。そいつは最初から、ずっとそこにいたのだから。ただ、俺が目を向けなかっただけで。

初めに変だと思ったのは給食。いつもは離されている机が、班の一人の机とくっついていた。どうせ喋りかけられることなんか無いのだからと、気になりつつも放っておいた。

次は上履き。いつも隠されていたのに、その日はちゃんと靴箱に収まっていた。泥だらけで、隠された跡は残っているのに。

その次は黒板。毎朝登校する度に「×××死ね」などと書かれていたのに、ある日を境にそうした落書きは消えた。いや、消した跡があったから、書かれてはいたのだろう。わざわざ毎朝消している奴がいるのだ、と気付いた。

そいつの正体が分かったのは、ドジを踏んで放課後、屋上に閉じ込められた時。鉄扉が勢い良く閉まった音に振り返ると、笑いながらばたばたと階段を駆け下りていく足音が聞こえた。どんなに騒いでも誰も来ない。遠くで聞こえていた人の声も聞こえなくなり、日も沈んだ頃、遠慮がちに回されたドアノブを捻り、顔を現したのが、あいつだった。あいつは俺を見つけると一瞬だけ表情を和らげ、無言で去っていった。

そんなことが、何度もあった。

──同情? それともくだらない正義感?

ある日、俺はあいつに問うた。

──別に。ただ、あいつらが嫌いだから、遠回しにケンカ売ってるだけ。きみもそろそろ終わるだろうから、あまりぼくと話さない方がいいよ。巻き込まれる。

あいつは僅かに顔をしかめ、そう答えた。淡白に、だけど頑なに。

そしてその言葉通り、数日後には俺への嫌がらせは終わり、あいつへと移った。あいつはただ、軽蔑の目で奴らを見ていた。それが余計に奴らを逆上させると分かっていて。

間接的なものでは意味が無いと踏んだのか、いつしか嫌がらせは暴力へと移行していった。

それでもあいつは軽蔑の目で奴らを見返すだけだったから、それは次第にエスカレートしていった。そして、ある日。

図書館に行く途中で通り掛かった公園の前で、俺はあいつの声を聞いた。

──やだぁああああ!

あいつがそこまで悲痛な声を上げることはそれまでに無かったことだから、何事かと覗いて見ると、あいつは羽交い締めにされて、ライターの火を近づけられていた。その顔は真っ青で、涙をぼろぼろと零している。そういえば、理科の実験でも、アルコールランプやマッチ箱には手を伸ばさなかったな。俺と同じく班の奴に触らせてもらえなかったのではなく、火が苦手だったのか。そんなことを考えている間に、奴らが何をしようとしているのか気付き、戦慄した。

あいつら、あいつの髪に火を付けようとしている。洒落になんねえ。

気付けばその場に乱入し、奴らに殴りかかっていた。

未だ怯えているあいつが戦力になるはずもない。結果はまあ、ぎりぎり引き分けといったところだった。

──……にやってんだよ。

あいつが俯いたまま、かすれた声を出す。

──別に。あいつらのやり方がムカついただけ。俺もあいつらにケンカ売ることにした。

そんな言葉を返せば、あいつは「バカだな」と呟きながらも、何処か泣きそうに顔を歪めて笑った。俺もたぶん、似たような顔で笑い返した。

俺たちはたぶん、すごく似ている。

それが、俺たちが初めて友達になった日に思ったことだった。
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