昼下がりのドロシー

□第二話
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「……きゅ」

襟首をつかまれたままヒーキャーうるさいグリグリを無視してお空の旅を楽しんでいると、不意にライアンがため息のような声を出した。

と同時にライアンは翼の角度を変え、ゆるゆると下降を始める。

「んあ? おいコラ」

「きゅ〜うぅ〜」

「もう無理とか言ってんじゃねーぞゴルァ!」

脅してみるも空しく、ライアンはひゅるひゅると高度を落としていった。


★ ★ ★ ★ ★ ★


我輩は武士である。猫ではないし水瓶にも落ちない。

いや、アホなこと言ってないでさっさと話を進めましょ。

案山子丸はグリグリを追って西へと向かうつもりが南へと向かってしまい、途中迷子探しや魔物退治を請け負いながら大きく迂回して、ウシヤマを越えた先にある森な中で……

迷っていた。

「ふむ」

日も暮れ、逆光で黒く染まった葉に覆われた梢の隙間から覗く、橙から紫紺へと変わりゆく空を見上げ、案山子丸は独り頷いた。

「日暮れ時でござるな。エノ村の民草共によれば、そろそろオノノコ町に到着するはずでござる。頑張れ、拙者。おいしいご飯にポカポカお風呂が待っているでござる」

熱く語って「ファイト一発一人二役」を決める。さすが案山子丸。自分が迷っていることに気付いていない。

それから暫く歩き、完全に夜闇が世界を覆い尽くした頃、案山子丸はふと足を止めた。

「むぅ?」

訝るように眉を顰めて目の前に聳える洋館を見る。辺りに目を走らせるが、他に家屋らしきものは無い。

「町と呼ぶには家屋が少なすぎる気が……否、たった一軒で町と名乗るその心意気、見事でござる。拙者はお主を町と呼ぼう」

勝手に納得し称賛すると、案山子丸はその立派な木製の扉の前に立ち、ライオンの彫刻がくわえるドアノッカーを無視し、拳で激しく扉を打ち鳴らした。

「頼もう!誰かおらぬか!」

これを礼儀正しき作法と思っているのだから、ある意味立派なものである。道場破りでもあるまいに。

「たぁのぉもぉー…」

そろそろ扉も悲鳴を上げてきそうな頃。

「じゃかあしいわこのボケナス! そんなうるさくしなくても聞こえてるっつうの!」

勢い良く開け放たれた扉が、案山子丸の鼻と額をしこたま打った。

「〜〜〜〜ッ!」

声にならない悲鳴を上げ、顔を押さえて蹲る案山子丸を見下ろし、中から出てきた人物……いつもの格好にフリフリエプロンと薄桃色の三角巾をつけたドロシーは、僅かにたじろいだ。

「俺は悪くないからな。扉の真ん前にいたてめェが悪い」

だが、いつまで経っても顔を上げないどころか、顔を押さえた手の指の隙間から血が流れ出るのを見て、さすがのドロシーも焦り出す。勿論、ドロシーの頭の中には「慰謝料」の三文字しかなかったが。

「お、おい。大丈夫か」

逃亡の成功確率の低さから、被害者への好感度アップへと頭を切り替えたドロシーは、心底心配そうに言い、案山子丸の肩に手を置いた。

「な、何をずるでござ……ッ!?」

顔を上げ、振り返る案山子丸の顔を見た瞬間、ドロシーは反射的に鼻血まみれのその顔面を遠慮無く殴り付け、不思議そうに眉を顰める。

何で俺はこいつを殴ったんだ?
──こいつの顔を見た瞬間、何だか腹が立ったからだ。
──しかし、何故?

「あぁッ!」

思い出した。このサムライマン、確か俺に嘘を教えたアンポンタンだ。となると、俺に非はあるか? 無いな。俺には復讐する権限がある。この俺様の貴重な時間と体力が浪費された上、面倒事に巻き込まれ、あんなことやそんなこと、こんなことになってしまったのだから。鼻血くらいじゃ足りない。

「おいコラてめェ」

ドロシーは案山子丸の結った髪の毛を掴み、自分の方に顔を向けさせた。

「こないだはよくもやってくれたなぁ、オイ」

爽やかなのにどす黒い笑顔を浮かべたドロシーを見て、案山子丸はがばりと身を起こし様に刀を引き抜く。

白刃が煌めき、咄嗟に身を引いたドロシーの鼻先を掠めて空を切った。

「んな、何しやがんだ!?」

「拙者に恨みを持つ者など、たかが知れている。悪人と見なした!」

「勝手に見なすな!」

「黙るでござる、悪人め!」

「馬鹿っぽい言い方すんな! 馬鹿が移る!」

ドロシーは再度、横一文字の案山子丸の太刀筋から飛び退き、洋館の中に逃げ込む。

「ばっ……拙者を愚弄する気でござるか、この極悪人!」

刀を返して三太刀目から続く連撃。ドロシーの代わりに扉がサイの目切りにされ、バラバラと崩れ落ちた。哀れ扉、御臨終。ドロシーは扉に手を合わせつつ、鳩尾を狙った突きを避けるべく上体を反らす。

「馬鹿って言っただけで悪人から極悪人にグレードアップかよ!? どんだけ心狭いんだ、この嘘つき侍!」
「拙者の何処が嘘つきナリか!」

「語尾が変だぜエセ侍。イノ村で嘘教えただろうが。忘れたとは言わせないぜ。おかげでこちとら盗賊に遭遇するわ竜騎兵に追われるわ空から落ちるわ変態魔族に捕まるわ散々な目に遭ってんだ!」

「イノ村……?」

案山子丸の動きがぴたりと止まった。ロビー入ってすぐの階段の一段目に足を掛けていたドロシーは不審に思って振り返る。

その顔をじっと眺めていた案山子丸が「あっ」と声を上げて刀を納めた。

「あの時の御仁でござるか。しかし拙者、嘘を言った覚えは……」

「うっさいアホ侍。てめェが盗賊退治に行くっつって東の道に進んだから、俺は東に行くつもりだったのにうっかり西に行っちゃったんだよ!」

「そ、それは……あいすまぬ」

形勢逆転。たじたじとなった案山子丸に、歩み寄りながら、ドロシーは爽やかな笑みを浮かべる。

「謝って済むなら警察いらないんだよ?」

笑顔は前回会った時と同じなのに、受ける印象がどす黒い。案山子丸はその場で膝をついて土下座した。

「まことに申し訳ない!」

「だから意味無いって言ってんだろ。悪いと思ってんなら行動で示せよ、行動で」

案山子丸は無言で懐から財布を出し、差し出す。よしよし、と言いながらそれを受け取るドロシーだったが、財布を開けた途端に額に青筋が浮かんだ。

「……なめてんのか? 銅貨一枚入ってねえぞ」

「あいすまぬ。先日、路銀を失くして難儀している旅人がいたもので」

ドロシーは大きくため息を吐いて額を押さえる。どうやらコイツは間抜けレベルもお人好しレベルもMAXらしい。

「仕方ない。体で払ってもらおうか」

すっくと立ち上がったドロシーを見上げ、案山子丸の顔が真っ赤になる。

「え、それはつまりその、お主と? 拙者、初めてでござるが精一杯奉仕させていただ……」

「なに考えて「なに考えてやがんだこの変態!」」

「ふぇぶッ」

ドロシーが突っ込む前に、二階から飛び降りたグリグリが案山子丸の頭部を踏み潰した。

「ドロちゃんはオレのパートナーなの! コンビ解消してないんだから勝手に手ぇ出すな!」

案山子丸撃沈。復活には少し時間が掛かりそうだ。ドロシーはひとまず怒りを抑え、グリグリに目を移す。

「ちなみに『コンビ』って何のだ?」

「もちろん、お笑いの。ちなみにオレがツッコミでドロちゃんがボケね」

笑顔で聞くと、笑顔で返ってきた。ドロシーの口の端がひきつり、表情が爽やか笑顔からどす黒般若へと変化する。

「逆だろ! の前に誰がてめェとお笑いやるっつった! 不本意だがせめて『魔王倒しに行くパートナー』と言え!」

「ドロちゃんがオレのことを『とっても頼りになってワンダホービューティホーな魔王倒しに行く素敵☆無敵マイラヴァーのパートナー』と言ってくれるなんて! ドロちゃん、オレもドロちゃんのこと愛してるよーっ」

「誰が言うかボケナス! 三万回死んでこい!」

ドバガッ。

「ずびばぜん……ぜめで、四千六百四十九回で、よ・ろ・じ・ぐ!お願いじばず」

なおもボケるかグリグリよ……腕を上げたな。

フッと笑ったドロシーは、珍しく慈悲を見せ、

「その願い、聞き入れた!」

「ぢょ……え、待っ」

ズガドゴバギブゴドガ……(以下略)

グリグリの望み通り、4649回殴ってやった。

「ふぅ、さすがの俺もきつかったな」

やり遂げた笑みを浮かべ顔を上げたドロシーの足元には、原形が分からない程顔をボコボコにされたグリグリ。

「魔王を倒しに行くと、先程そう言ったのでござるか」

一バカ去ってまた一バカ。起き上がった案山子丸を見て、ドロシーは顔を顰めた。顔は真剣だが、鼻から二筋流れた鼻血が間抜けである。

「実は拙者も、魔王を倒すことを最終目標として旅をしているでござる」
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