焦風オリオ

□参・渉風キメラ後編
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朝、目が覚めると正臣の布団は唯花の荷物に埋もれたままで眠った形跡は無く、正臣自身の姿も見えなかった。

こんな朝早くから、もう事件の調査に行ってしまったのだろうか。

奇妙には思ったが、まあ正臣のことだから心配ないだろうと結論付け、自分も少し調べ物をしてから食事に向かうことにした。

まだ昼前なのであまり人はいないはずである。唯花は花咲き乱れる庭園を突っ切り、朝食兼昼食を取るため、構内東部にあるレストランへと向かった。テラスの隅にあるテーブルを陣取り、メニューを持ってきたボーイに微笑みかけながら注文を言い渡すと、頬を赤く染めて厨房へと戻っていくボーイの背を見送り、鼻で笑う。他愛も無い。

こちらの男は神都の男よりもこういうことに慣れていないのか、容易く唯花の思惑に嵌ってしまうため、物足りないほどであった。唯花のこうした遊びを良く思っていないあの親友がこの場にいたら何と言うだろう。溜息をつきながら呆れたように眉をひそめるその顔が目に浮かび、唯花は思わず笑ってしまった。

「唯花さん」

不意に声を掛けられ、唯花ははっと我に返った。顔を上げると、ブラウスに紺のスカートというオーソドックスな格好の木許が立っていた。

「ここ、いいかしら」
「どうぞご勝手に」

唯花はせっかく銀を思い出して良い気分だったところを邪魔されたことで、いつも以上に刺々しい口調で答えるが、木許は気にした様子も無く席に着いた。暫しの間、互いの出方を窺うように、双方無言で過ごす。

「神都のことを思い出していたのかしら」

木許はミルクの入ったコーヒーをゆっくりと掻き回しながら、口を開いた。

「何」
「さっき」

答えて、木許は香りを楽しむようにカップを口元に寄せる。香ばしい匂いを孕んでゆらめく湯気が、その赤い唇をさらに赤く湿らせていく。

「友達のこととか」

こういう輩は無視するに限る。唯花は無言で塩漬け肉の香草包みをナイフで切り分け始めた。ナイフが皿に当たる硬質な音が、二人の間の沈黙を刻んだ。

「唯花さんが神都を出たのは、それが原因なの」

しかし、しつこい。何だってこんなに絡んでくるのだろう。

一切れ目を口にした時、鐘が鳴った。昼休みに入ったらしい。もうすぐここへも騒々しく会話に花を咲かせながら人々が集まってくるだろう。

そう思う間も無く、第一陣がやってきた。どうやら時間より早めに授業を切り上げたクラスがあったようだ。賑やかな話し声に、唯花の苛立ちは増していく。

「あら、いけない。約束があったのを忘れていたわ。ごめんなさい、唯花さん。話の途中だけど失礼するわね。また今度ゆっくりお話しましょう」

腕時計を見て目を丸くした木許は、飲みかけのカップを置いて立ち上がる。

「執念深い詮索を聞いていられなくて残念だわ。次は来世にでも」

言い掛けて唯花は瞠目した。テラスの下、庭園からやって来る学生達の一団に紛れて、思いもよらない姿があった。

「唯花さん、どうかしたの」

木許の目も気にせず、愕然と椅子を蹴って立ち上がる。カップに残っていたコーヒーが大きく波打った。

「銀っ」

テラスの下で銀が顔を上げ、唯花の顔を見ると安堵したように顔を綻ばせた。だが、唯花がテラスの手摺りに足を掛けたのを見て、その顔を引きつらせる。

「唯花、ちょっと待っ」
「待たない」

唯花が手摺りを蹴って飛び降りた。驚愕に立ち尽くす銀の側頭部に回し蹴りを叩き込もうとするが、銀は寸前で首を竦めて避け、唯花の踵は空を切る。

「あんた、馬鹿なんじゃないの。何で来るのよ!」
「な、何でって。とりあえず、落ち着けよ」
「これが落ち着いていられるわけないでしょ。あたしは清好でも正臣でも無いんだから悟りなんて開いちゃいないわ」

次々繰り出す攻撃を難無く避けていく銀に、唯花は顔を顰めた。しばらく霊主という名の引きこもり稼業をしていたというのに、体は鈍っていないどころか以前よりも反応が良い程である。これも霊主に成ったからなのだろうか。

「いや、あいつらも別に悟りを開いているわけじゃないと思う。じゃなくて、周りの状況を見ろって言ってんだよ」

足を止めた唯花は、野次馬根性丸出しにこちらを見つめる生徒の群れを一睨して散らし、息を吐いて乱れた髪を耳に掛け直した。

「大人しくしてなさいって言ったじゃない」
「おれは」

土のついた手を払いながら、銀は伏し目がちに視線を逸らす。

「友達を捨ててまで他人の為に在りたいなんて、思わない」

人目があるだけに、銀もはっきりとは言わないが、分かった。

「おれはおれだ」

銀は銀だ。霊主である前に、唯花の親友である、銀だ。

「そうね。でも」

動き回ったせいか、その前からか、寝癖のようにあちこち跳ねた黒い頭をべしりと叩く。服装からして頭も綺麗にセットされていただろうに。

「あたしだって、葛神DAである前に、あんたの親友よ。あんたが心配してくれたように、あたしだってあんたのことを心配しているの。やたら無茶ばっかりしたら怒るわよ」

頭を押さえて目を瞬かせていた銀は、唯花の言葉を理解すると、はにかんだような笑みを浮かべながら「ごめん」と呟いた。が、次の瞬間、笑顔を消してテラスの方を見上げる。何事かと振り向いて、テラスの上から笑顔で自分達を眺めている木許に気付いた。

「あなたが唯花さんの神都のお友達?」

唯花は表情を険しくし、皮肉めいた笑みを浮かべる。

「まだいたの。約束に遅れてもいいわけ」

できるだけ銀のことは隠しておきたい。特に、木許のような怪しい人間には。

「そうですけど、あなたは」

が、銀は唯花のそんな思惑に気づく事無く、ただ眉を顰めただけで無防備な答えを返してしまった。

「木許砂良先生だ。気術を専門にご教授下さっている」

銀の背後から聞こえた声に視線を戻すと、どこか不機嫌そうな茉莉の姿があった。

「どうやら、葛神DAの人達と顔見知りというのは嘘ではなかったようだ、ですね。疑ってすまなかった、です」

四苦八苦して言葉を直す茉莉に、唯花は呆れにも似た感情を覚えていたが、銀はむしろ困惑したような面持ちである。

「いまさら丁寧語を使われると気味が悪いからやめろ」
「なんだとっ。あ、いや、すまない。じゃあ私はこれで。先生、失礼します」

怒りかけて、再びしゅんと俯き、逃げるように踵を返した茉莉から目を逸らし、銀は溜め息を吐いた。

「ここまでついてきてくれて助かった。おれだけじゃ、唯花が何処にいるのか調べるの、大変だったから」

茉莉の歩みが一瞬止まる。物言いたげに振り返りかけたが、振り切るように足を速め、花壇の向こうへと歩き去っていった。

「柚葉さんと友達になってくれたのね」

嫌味の無い口調に振り返ると、テラスに肘をついた木許が、どこか胡散臭さがあった先程までとは異なる優しい笑みを口元に湛え、茉莉の消えて行った方を見つめていた。

「え、いや、別におれは」
「ありがとう」

口ごもる銀の言葉を遮るように言って、木許は目線をこちらに戻してきた。

「あなた達も、巫女を目指していたなら分かるわよね。巫女になる難しさは」
「まあね。勉強も体術も、そして何より気術も、ある程度できていなきゃいけない。この国で最も条件の厳しい職業と言えるわね」

唯花が鼻を鳴らしながら肯定すると、銀が疑わしそうな目でこちらを見てきた。どうせ、その条件をいとも簡単にクリアした奴が何を言っている、と言いたいのだろう。唯花が銀を睨んで黙らせていると、木許は息を吐いて続けた。

「そう、その大前提である覚醒を果たす者は、覚醒しやすい環境を整えていても、あまりにも少ない。だから覚醒者というのは、こういう場所では尊敬の対象になるか、或いは」
「嫉妬の対象となる」

唯花が後をつなぐと、木許は重々しく頷き、再び花壇の方へと目を向ける。

「柚葉さんは後者の方だったわ。しかも彼女、誤解されやすい性格じゃない。集団無視どころか嫌がらせまで受けるようになっちゃって。私たち教師が介入しても、ほとんど改善はされなかった。次第に柚葉さんは、授業の時以外は人目を避けるように図書館で過ごすようになった」

図書館という言葉に引っ掛かりを覚えて隣を見ると、銀もまた、険しい顔をして俯いていた。銀にも話の筋が読めてきたのだろう。

「あの事件で亡くなった橘さんは、彼女の良い話し相手だったわ。柚葉さんも、彼を兄のように慕っていた」
「大切な心の支えであるその彼の死体を、彼女は見つけてしまったって言いたいわけね」

唯花がまとめると、木許は頷いて「だから」と銀に微笑みかけた。

「柚葉さんと仲良くしてくれて、ありがとう。そのお礼に、あなたが結界をすり抜けて忍び込んできた不法侵入者だってこと、他の先生方には内緒にしといてあげるわ」

ばつが悪そうに顔を顰めた銀を見て、木許はくすくす笑う。ひとしきり笑い終えると、息を吐き、椅子を引いて立ち上がった。

「そろそろ行かないと、本当に怒られちゃう」

いたずら好きな子供のように首を竦め、木許はテラス脇の階段を下りて二人の前に通り抜ける。

「じゃあ、またね。二人とも」

木許が去ったテーブルの上では、今なお湯気の立つコーヒーが波紋を作って揺れていた。
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