黄色の本

□記憶の中の天使
1ページ/4ページ


雪山の中を淑淑と進む一隊の中に彼はいた。名はガルト。しがない盗賊の身分を隠し、商隊を護衛する傭兵の一人としてこの隊に紛れ込んでいる。とはいうものの魔物が出てこない限りは、傭兵の中でも戦闘能力の低い彼の役目は、もっぱら重たいソリを引くことである。雪に足を沈めながら歩いていると唐突に、その盗賊としての本能が警鐘を鳴らした。

「なんだ…?」

呟くと立ち止まり、闇の夜空を見上げる。

「なにボーッと突っ立ってんだよ。置いてかれるぞ」

隣で笑っている傭兵を顧みることもなく、ガルトは俄かに自分の引いていたソリに飛び乗ると斜面に乗り出した。

「おい、ガルト?」

道も無く、崖と言ってもいいほどの傾斜である。血みどろになって潰れる同僚を想像し、慌てて身を乗り出した傭兵はしかし、ガルトがうまく氷山の割れ目に滑り込んでいったのを見てひとまず安堵した。

その時、隊の先鋒から声が上がった。

「雪崩だーッ」

「雪崩が来たぞー!」

はっとして顔を上げた傭兵の目に、仲間たちを飲み込みながら巨大な白い壁が迫ってくるのを見た。

ガルトを乗せたソリは薄暗い雪洞の中に入って少しすると白い地面から生えた氷柱につんのめって横倒しになった。投げ出されたガルトは、足を滑らせながらも立ち上がり、奥の壁に張りついた。

と、同時に轟音が鳴り響き、ガルトの入ってきた穴から大量の雪が吐き出される。

「ひいっ」

さすがに恐怖しこれ以上無いほどに壁と一体になったガルトはしかし、雪がそれ以上入ってこない様子なのを見て取ると深く吐息を洩らしながらその場にへたりこんだ。

「やれやれ、と」

ようやっと立ち上がったガルトは、雪に埋まった穴の向こうから微かに人の声がするのに気が付いた。あの隊の生き残りだろうか。

が、その声はすぐに悲鳴へと取って代わった。もともと魔物が多いことで有名な山である。恐らくは、雪崩に巻き込まれ衰弱した人々は魔物の絶好の獲物となっていることだろう。

この場所も、今は見つかっていないがぐずぐずしていると嗅ぎつけられてしまうかもしれない。かといってこちらから出ていくには、穴のあった位置は高すぎる。要するに、閉じ込められたというわけだ。

「どうするかねえ」

背伸びをしていたガルトは、不意に響き渡った不気味にくぐもった獣の咆哮に驚いて動きを止めた。

「な、何だ?」

よくよく見ると足元に、子供一人這い出ることができるかというくらいの、小さな割れ目があることに気が付いた。いまの声はその小穴から聞こえてきたものらしい。

地面に突っ伏すようにして小穴の中を窺ってみると、こちら側よりもさらに暗いものの、意外にも穴の向こうはかなり広い空間であるらしいことが分かった。それ以上に驚いたことには、ガルトの目の前に、こちら側に踵を向けた一対の足が立っている。

に……人間?

その足の遥か向こう、一段高くなっている道の上を左方から、走竜に乗った騎士たちの一団が黒の全身スーツを着た徒士の連中を従えて駆けてきたのが見える。そして、反対側から赤、青、黄、緑、白の全身スーツに身を包んだ……どう見ても「ナントカレンジャー」とかいった類の戦隊物のヒーローにしか見えない連中が現れた。そして、戦いの火蓋が切って落とされる。

一体なんなんだ、これは。

それを見つめているガルトは、ただただ困惑に目を疑うばかりであった。



命からがら雪洞に逃げ込んだ一隊は、しかしここでもまた身の危険に晒されることになっていた。突如襲い掛かってきた、魔物ならぬ怪人どもに、交戦の術もなく、一方的に虐殺されているのである。

「どうして……」

「何なんだ、これは」

悲鳴と雄叫びに混じりところどころで呟かれる呪咀の声。対魔物戦なら想定はしていたが、対怪人戦など、聞いたこともない。

シュウもまた、困惑と恐怖を胸に暗い雪洞の中を無我夢中で逃げ惑う人々の中にいた。彼女は傭兵でも商隊の一員でもない。一月前、記憶を失って倒れているところを傭兵の少年コーエンに助けられ、以来記憶が戻るまでということで同行していたのである。

失った記憶の中に何があったのか、少女はこの場にあっても冷静であった。だからといって戦うことができるわけでもなく、また隠れる場所もない狭い洞穴の中では、ただ比較的安全な位置に移動できたというだけのことであったが。

コーエンとははぐれてしまい、今シュウの周りにいるのは口を利いたこともないような人ばかりであった。近くで悲鳴が上がる。怪人が現れたらしい。

「あっ」

シュウの背を誰かが突き飛ばした。俯せに倒れこんだシュウが身を起こそうと顔を上げると、目の前に黒色に包まれた足があった。視線を上にずらしていくと、やはり黒い、奇妙な覆面に隠された顔と振り上げられた鉄爪が見えた。

死ぬ。

だが、堅く目を瞑ったシュウの上には、いつまで経っても来たるべき痛みがやってこない。そっと瞼を開けたシュウは、目の前に赤いスーツを着た男が立っているのを見た。男は襲いくる怪人たちを順々に、殴り倒し、蹴り飛ばし、地面に叩きつける。

「怪人たちに対抗する力が欲しいのなら東へ向かえ。そこに我ら正義の戦士の基地がある」

休む間も無き激戦の中、男のくぐもった声はいやにはっきりとシュウの耳に届いた。シュウは頷いて立ち上がると混乱の中、真っすぐに走りだす。



息の続く限り駆け続けてきたシュウは、ようやく出入り口らしい四角い穴の連立した場所を見つけた。

穴を抜けると遺跡のような、石柱が無数に立っている巨大な石造りの広間に出る。柱のほとんどは途中で折れてしまっているが、何本かは未だ高すぎて見えない闇の中へとつながっていた。

正義と悪の戦いはそこでもちらほらと行なわれている。広くなった分、身を隠しにくくなるが、あの男の言葉が真実ならここに正義の戦士の基地があるはずだ。

覚悟を決め、戦場を一気に駆け抜けていくと、奥に壇が見えてきた。階段を使うことなく壇上に飛び上がると、右側の暗幕の裏から何か人の話し声が聞こえてくる。

息を整え、そっと暗幕を潜り抜けると、そこは正に舞台裏といった雰囲気で、薄暗く埃っぽい部屋の中に、ごちゃごちゃとガラクタのようなものが山積みにされている。

その中央に配置された古ぼけた木の四角いテーブルにこれまた古めかしい地図のようなものを広げて、色とりどりのスーツを着た人々がテーブルを囲み、唾を飛ばしながら激論を交わしていた。

「だから、こっちから攻めたらこっちががら空きになるだろう? 後ろから回り込まれて挟み撃ちにされたらどうするつもりだ」

「だから、私が言ってるのはまず二手に分かれて」

「二手に分かれられるほどの戦力がどこに残っていると言うんだ」

「いや、でも今日来た連中を入れれば」

「今日来た連中だってもう南側の通路の援軍に回しちまっただろう」

「でも、まだこれから来る人もいるかもしれないじゃないですか」

「これから来る連中? ハッ、そんなノロマはどうせ何の役にも立たないだろうよ」

「それに第一、変身アイテムももう足りない」

「だから南側に全軍を差し向けて、一気に奴らの巣窟を叩き潰してやれば」

「人数は向こうのが多いのだぞ?」

口を挟む隙を見つけられなかったシュウは、怖ず怖ずと辺りを見回した。隅に段ボール箱の山があり、そこにマジックで「変身アイテム」と書かれていた。男の言っていた、怪人に対抗する力というのは、たぶんそれのことだろう。

「あの……」

戦隊ものヒーローの青い人に声を掛けた。

「ああ、そこにあるの勝手に取っていいから」

彼はシュウの言葉を最後まで聞くことなく、変身アイテムの段ボールを指差すとまた闘論に戻る。シュウはため息をつくと一人段ボール箱を漁り始める。しかし。

「ろくなのがないな」

残っているのは小さい子が喜びそうな愛らしいキャラクターの着ぐるみや、何故かカッパや唐笠小僧の衣装などである。顔をしかめながらもっと別のいいのは無いかと変身アイテムの山を漁っていると、硬い感触に行き着いた。

引っ込抜いてみると、何か文字のようなものが刻まれた古ぼけた木札だった。

なんだろう、コレ。

首を傾げていると、突如手にした木札が白い光を放ち、シュウの胸に吸い込まれていった。

何?

不思議そうに自分の胸元を見つめていたシュウだったが、不意に身体が先程と同じ白光を放ち始め、胸が激痛に見舞われた。

「あぁッ」

呻き声に、会議をしていた正義の戦士たちも驚いて振り返った。

「なんだ?」

「変身に痛みが伴うなど、聞いたことがないぞ」

だが、正義の戦士たちはシュウをそれ以上見ているわけにはいかなくなった。伝令がやってきて、至急応援を頼むと言ってきたのだ。

戦士たちは皆出払い、基地には胸を押さえて蹲っているシュウだけが残された。

白い光の中、シュウの背を突き破って純白の翼が生えてきた。

痛みが引いてから、鏡の前に立つと、そこには翼が生えただけの自分の姿があった。

正義の味方って、匿名性がなくちゃいけないんじゃないかなぁ。これじゃあ、丸分かりだよ。

思った途端、主の頭部に黒いゴーグル付きのヘルメットが発生した。感心して撫で回していると、外が異様に騒がしいことに気付く。

暗幕を潜って覗いてみると、無数の悪の軍勢がこちらに向かって押し寄せてくるのが見えた。ここにはシュウ以外だれもいない。どうしよう、と悩んだのは一瞬だけのことであった。

誰もいないなら、僕がやるしかない。

壇上に仁王立ちし、向かい来る黒波のような連中を睨み据える。

武器を。

念じると、両手に不思議に温かい感触がした。見ると、光でできたナタのような武器が握られている。どれほどの威力があるかは分からないが、とりあえず行ってみるか。

シュウが翼をはためかせ、ふわりと舞い上がる。
次へ  

[戻る]
[TOPへ]

[しおり]






カスタマイズ