黒色の本
□鬱陶しい日々の中で。
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●序幕、鬱陶しい毎日。
鬱陶しい。
鬱陶しい。
鬱陶しい。
僕は今、都心の繁華街の真っ只中に立っている。本当なら学校へ行っていなきゃいけない十時半……少し前。
“テレビは一日二時間まで”
“部屋片付けなさい”
“勉強しなさい”
“マンガばっかり読んじゃダメ”
“学校行きなさい”
“残さず食べなさい”
そんな言葉が嫌で嫌で。でも逃げ場も無いし、都合よく助けてくれるような便利な神様も持っていない。
僕がここに来たのは、似たような輩が大勢いて皆でだらだらしているだろうと思っていたから。
だけどいるのは定年過ぎたおじちゃんおばちゃん……むしろじいちゃんばあちゃんばっかしで。呆然と突っ立っている僕にぶつかっては
“マア、なにあのコ”
そんな奇異なものを見るような目で振り返っては去っていく。
……この街の対象年齢は、僕にはちょっとばかし高すぎるみたいだ。
もう、いいや。
結局僕には仲間もいない。顔しわくちゃの元・若者に囲まれているのも居心地悪いし、そろそろ生きるのやめちゃおう。
昔住んでた僕の家。十五階建てのおんぼろマンション。
エレベーターもあるけれど、今の気分は階段だから。
エレベーターの鉄面皮に格好つけてアディオスしたら暗い階段一段一段、沈痛な面持ちで登りましょう。
気分は極悪死刑囚。
十五人の商人と、二十一人のサラリーマン、三十二人の高校生と、五、六人の公務員を殺した末に、戦車十五台に360°囲まれて機関銃ぶっ放して応戦したけど核ミサイル七本突きつけられてニヒルに笑って両手を挙げて。
裁判所じゃ「死刑」コールが鳴り止まず、「静粛に、静粛に」と小槌を鳴らした裁判官も三秒後には「死刑!」と叫んで指突きつけた。
最初は「死刑上等、地獄で待ってるぜ、ベイベ」なんて余裕かましてた死刑囚も、死刑執行が近づくと田舎の母ちゃんや子供の頃とか思い出して密かに涙ぐんだりぐまなかったり。
そして処刑当日。
家族や恋人や友達や知り合いや朝すれ違ったことのある人を殺された人達が死ね死ねコールを歌う中、死刑囚は無意味な自尊心を発揮して精一杯の悪人面で首を括る縄の垂れているところまで階段を一段一段ゆっくり登っていくんだ。
どうでもいいけど、階段長いな。やっぱり、エレベーターでいくべきだったかな。僕、体力無いしな。汗だく、息切れ、果ては鼻水。この世の最後にゃちょっとばかし格好悪すぎる。
だけど所詮僕だから、まあいいか。
ああ、素敵すぎる。
僕は両手を天に伸ばして「ビバ屋上!」と叫ぶ。叫んでみてからちょっと、いや、かなり馬鹿みたいだと思って両手を下ろして自己嫌悪に陥る。でもさ、本当に最高なんだよ、屋上って。
何も遮るものの無い、一面水で薄めた青色の絵の具をがむしゃらに塗りたくったような青空。こんなに広い空は、灰色のビル群に見下ろされてアスファルトの上を這いつくばって生きている僕らにはそうそう見られないものなんだよ。
ああ、僕はあの白い雲に生まれたかった。大空をまどろみながら漂って、時折地上に目を向けてはアリンコみたいな僕らを見てイヒイヒ笑ってまたまどろむんだ。あ、でも雲って雨になって落っこちて、アスファルトの上でゲロと泥と新聞紙と一緒にぐちゃぐちゃになって下水に流れて汚物と混ざって海に出て船から漏れ出た石油に冒されなきゃいけなくなるんだっけ。じゃあ、雲にならなくて良かった。
埃塗れのコンクリートの上を、僕は一歩ずつ歩いていく。
フェンスに手を掛け乗り越え……そびれて再度挑戦。
きっと革靴がいけないんだろう。フェンスの網の目に比べて革靴の先っちょが太すぎるんだ。
それでもぐりぐり靴の先を押し込むようにして登り終えると降りるのが面倒くさくなった僕は、そのままフェンスの上から飛び降りることにした。
フェンスの上にちょこんと座り、両手を合わせて目を閉じる。
父さん、母さん、さようなら。最後に一言、クソ食らえ。
僕は空と街の狭間の、何も無い空間へとダイヴした。