黒色の本

□生まれる記憶
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隆夫が高校生の時のことである。
 彼の通っていた学校では進路指導の際に三者面談が行われていた。子より無能な親を呼ぶなど、実に無意味なことだと考えていた隆夫だが、規則なので仕方がないと諦め、母親に来るように日時を伝えておいたのだが、実際に来たのは母ではなく父だった。父はその数ヶ月前に職を失い、当時は職探しもはかどらず、家に籠もりがちな日々を送っていたのだが、息子の進路相談と聞いて出てくる気になったらしい。青白い顔で席に着いた父だったが、息子にもまして教師の話を熱心に聴き、とても失業中とは思えない精力的な父親に見えた。隆夫は問題の無い優秀な生徒であったので余裕を持って進路の話は終わった。その日が最後の面談日ということで教師も気が楽になったのか、関係の無いことまでよく喋り、話の流れで父の仕事を尋ねることとなった。僅かに顔を強張らせた父は、気を取り直すように膝に乗せていた両手の指を組んで、笑った。
「いや、お恥ずかしい話ですがね。先日、職を失ってしまいまして。現在は無職なんですよ」
 隆夫には、その時自分を見た教師の目が忘れられなかった。蔑みと優越感のないまぜになった目が。
「それは知りませんで、失礼なことを伺ってしまいました」
 慌てて露になった感情を誤魔化すかのように、教師は同情した面持ちで父に頭を下げた。
「いえ、そんなお気になさらずに……」
 その後は当たり障りのない話題が続き、そうしている間に面接時間の終わりが来た。
「ありがとうございました」
 父に続いて面接室を出て行こうとした隆夫に、背後から声が掛けられた。
「隆夫君」
 振り返るとそこには笑顔の教師がいる。先程自分の感情が漏れ出てしまったなどとは夢にも思っていないような、屈託の無い笑顔である。
「君の実力ならT大合格は確実だよ。今の調子で頑張って」
 隆夫は心の中で渦巻く激情を押し隠し、何事も無かったかのように笑みを作った。
「はい、頑張ります」
 隆夫は如才ない笑顔で学校を後にした。
 家に帰り、背後で玄関の扉が閉まると同時に、彼は父親を殴り飛ばした。
「お前が……お前がそんなだから俺は!」
 父が許せなかった。
 この愚かな男は職を失ったことを隠しもせずに隆夫の教師に堂々と喋った。隆夫は自分が完璧であるが故に、しばしば多くの人間に疎まれ、嫉妬の目で見られていることを知っていた。そしてそれに対し蔑みと優越感をもって応えていた。その立場が、この男の漏らした一言でいとも簡単に逆転してしまったのである。たとえ一時のことであるにしろ、隆夫にはそれが耐え難い屈辱に思えた。
 床に背を打ち付けられた父の上に馬乗りになって、隆夫はさらに父の顔を殴り続けた。
「なんでお前なんかが俺の父親なんだ! なんで……」
 父は抵抗も弁解もせず、パートから帰ってきた母が隆夫に泣いてやめてくれるよう懇願するまで、ずっと殴られ続けていた。
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