※某昆虫Gの話です、苦手な方はご注意下さい。









カサリ、と視界の隅で何かが蠢いた。

「……あらら」

台所の床に現れた、黒い体に二本の触角を持つその虫、俺様達の世界風に言うと御器被り、こちらの世界に合わせて言うとゴキブリ。

「やれやれ、やっぱ暑いと虫も沸きやすいのか」

みよんみよんと触角を揺らしながらその場に鎮座するゴキブリ(御器被りより言いやすいから今後そう呼ぼう)を見下ろしてため息をつく。

元の時代でも好かれた虫ではなかったが、色々な物が清潔に保たれるこの時代では特に嫌われ者になっているらしい。
殊更、若い女の子の間では気持ち悪がられていて、最近よく見るてれび番組では見つけた女の子が本気で怖がって泣いていたのを覚えている。

さて、ここで浮かぶのはこの家の主でもある漆姫ちゃんの事だ。
今まで漆姫ちゃんがゴキブリに遭遇したとこ、あるいは虫を怖がっているところは見たことがないけど、成人男子である俺様でさえ、てらてらと光るこの体には嫌悪感があるんだから、多分、漆姫ちゃんも泣くまではいかなくともそれなりに嫌がりはするはずだ。

幸いにして漆姫ちゃんは今お風呂で、彼女は結構な長風呂好きだ。
しかし、風呂上がりに台所(言わずもがな現在地だ)に飲み物を取りに来る習慣があるあるからその前にコイツ(ゴキブリ)を仕留める必要がある。

「すっかり世話焼きになっちゃったなー」

腕まくりをして、ちらと時計を見る。
漆姫ちゃんがお風呂に入った時間と今までの入浴時間から考えて、台所に来るまであと十分、つまり十分以内に決着をつけなければならない。

そうと決まれば先手を打たなければ。
そろり、と場所を移動して台所と居間とを仕切る扉を閉める。これでゴキブリの行動範囲を制限できることに加えて人的被害(他のお方が見付けたらちょっとした戦場になりそうだし)も抑えられる。

「……それじゃあ」

扉がきちんと閉まっていることを確認して油処理用に常備されている古新聞を手に取る。
それを棒状に丸めたものを装備して標的(ゴキブリ)に狙いを定めた。

「嫌われ者は嫌われ者同士、仲良くしようぜ!」

もちろんこれは比喩表現であって、俺様としては仲良くどころか早々に御退場願いたいので振りかぶった武器(新聞紙)を目一杯振り下ろした。

「なっ!?」

殺ったと思った。
早さ、位置ともに申し分ないその攻撃を、奴はすんでのところで回避した。

「ちっ……」

どうやら数百年の時は敵の回避能力を著しく向上させたらしい、無駄に時を過ごしたわけじゃなかったってことだ。
だからといって逃すわけには行かない、再度狙いを定めて、今度こそ仕留めにかかる。

「あ!……くそっ!!」

すばしっこい、予想以上にすばしっこい。
かれこれ何度武器を振り下ろしたことか、しかもむかつくことにこのゴキブリ、攻撃を避けたあと物影に逃げ込むのではなく、こっちを挑発するように一、二寸移動するだけなのだ。

「このっ……」

「さっきから何を一人で唸ってるのよ?」

「うわっ!?」

急に聞こえた自分以外の声に飛び上がりそうになりながら振り返ると、湯上がりで濡れた髪を適当に散らばらせた漆姫ちゃんが不思議そうにこっちを見下ろしていた。

「どしたの?ドアまで閉めて……ん?」

首を傾げていた漆姫ちゃんの視線が逸れた、その先には奴がいる。

「やば……!」

けだるげに細められた目が僅かに見開かれたのに気が付いたときには三角形に曲げられていた唇が開きかけていた。

「漆姫ちゃん、ここは俺様が……」

「ああ、これでバンバンやってたわけね」

「え、うん」

開いた口から出たのは思ったより冷静な声だった。
次に、貸して、と一言言って俺様の手から新聞紙を奪い取るとズバッと一閃、見事な太刀筋(無論、刀じゃない)で標的を仕留めると、その新聞紙で仕留めたゴキブリを見ないように、触らないように包んでごみ箱へ放り込む。

そしてどこから出したのか、雑巾で床を拭いて、それを洗って干して、最後に自分の手を石鹸で洗ってから冷蔵庫から氷菓子を引っ張り出すと、それをくわえて何事もなかったかのように去っていった。

ちなみにこの間、五分もかかっていない。

「俺様の苦労って……!」

進歩したのは彼女もまた同じだった。



()!
(虫が怖くて一人暮らしが出来るかっての)



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ぱちっと



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