03/24の日記

18:22
日記第二弾。拍手レスや実家では―。
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では、やたら長い日記第二弾!
まずは、拍手レスから。


3/22〜3/23拍手レス(3名様)☆

珪ちゃんへ
→花粉症って今までなった事がない人でもなるんですね〜(゚_゚)
花粉の許容範囲をオーバーしてしまうと花粉症になるなら、今まではオーバーしてなかっただけで、オーバーすれば症状が出てくる、ということですよね?

風邪ではないと思うので、うーん、と思っていたのですが…
まぁ、それほどひどくはないので、しばらく様子を見てみます。

後、WJに関しては珪ちゃんも同感だそうで。
珪ちゃんの、織姫は皆を護りたくてウルにについていった訳だから…あの時の強さはどこに行ったのかなぁ、と言うご意見、私もそうだよな、と思いますよ。

これから久保先生がお話をどう持っていくかはわかりませんが、見守りつつ、また思ったことは書いていくかもしれません。


現宵ちゃんへ
→振り込み確認は、23日にしました!
いえいえ、私も仙台にいた時にちょうど確認が出来たので、ちょうどいいタイミングでしたよ(^^)
本当に何から何まで有難うございました…!
おかげてチケットが無駄にならずにすみました<(__)>

そして、日記。
日記は書くには書くんですが、1〜3日遅れで書くことも多々あって(汗)
今回もそうだし…
だから、さすがだなー、なんて言ってもらえるようなことは出来てないです(>_<。)
私からすれば、翌日の日記できちんと拍手レスをしている現宵ちゃんを見習いたいですよ。
拍手レスが遅れるとか、ほとんど無いですし。

ただ、私が曜日を決めたら遅れても日記を必ず書く、というのは、やっぱり性格的な部分もあるのかな?
周りにはよく几帳面すぎ!とか言われます。

あと、メイクの話に笑っていただけたとか(^^*)
現宵ちゃんは、私と逆のことをお父さんに言われるそうで、そうなの!?

って思いましたよー。

だって、私は現宵ちゃんとリアルでも会いますけど、メイクが濃いとは感じないですし。
濃いんじゃなくて、綺麗にきちっとメイクしてるなぁって印象をいつも持ちます。

なんていうんでしょう、私と違ってメイクテクニックがあるんだ!と勝手に思ってるんですが(^ω^)

でも、現宵ちゃんも10代の頃は薄メイクだったんですね〜(゚゚;)
それは、気になる…!
現宵ちゃんの10代の頃のプリとか見てみたいです!

目元も、凝ってる人は、とても時間かけてるみたいですよね。
私、ちょうど修了式前日にファンデを買いに仙台の行きつけのお店に行ったんですよ。
その時、「時間が少しあるようでしたら、メイクもしていきませんか?」って言われて、良い機会だしと思って、メイクの仕方を改めて教えてもらいました。

どんなメイクにします?ってきかれて希望を言ったら、「じゃあ、ナチュラルメイクにしますね」ってお店の店員さんが言ってくださって。

私、アイカラーは今までもしてたんですけど、マスカラとかは全然使ってなかったから、マスカラも使うとちょっと印象変わるんですよ、って言われて初めてマスカラを。

おおーって思いました(笑)

しかし、やっぱりプロは違いますね!

そして、現宵ちゃん、私の肌は元がよくなんかないですよ!?
肌に張りがないし(>_<。)

“ふにふにだ!”とかは、よく言われるんですけど(笑)
前に温泉に行った時も友達に頬をさわられた時は、


「!?華月ちゃんって頬がふにふに、ふにふにだ…!」って(笑)

他の人よりやわらかい、んですかね?
自分ではよくわからないですが。
でも、メイクのことは、そのままでもいいと思いますよって言われて安心しました♪
服のセンスは、現宵ちゃんがそう言ってくださるなら、大丈夫なハズ(笑)

あと、職場での人間関係。

そうだったんですか(゚_゚)
私、現宵ちゃんの転職の理由は、今まできいていなかったから、今回初めてそのお話をきいたけど、人間関係のことに関しては、本当に慎重にならなきゃな…と思いました。

あと、他の職場はどうなんだろう?って漠然と考えてたんですが、お局様、いるんですね(゚_゚)

うーむ。
とにかく、あまり人間関係をこじらせないようにしていきたいですが。
あ、有難うございます!
やっぱり快適に仕事ができれば一番いいですよね。

それから、うーばーライブの整理番号。
私、発券開始日に早くチケットを発券したら、整理番号も多少はよくなるのかな?

と考えたりもしていたんですが、それも違うようですね(゚_゚)
発券日が同じでも、整理番号がかなり違うのがなぜなのか、気になるところです。
でも、私も二桁には驚きました!
ライブハウスの収容人数も調べてみたんですが、1700人だったので、90番台ならかなり前かも!って(≧д≦)♪

現宵ちゃんは、たぶんDoAsライブ運の方が上がってるんでしょうね。
私、DoAsライブの方は、収容人数350人のライブハウスで整理番号200番台だから、半分より後ろ決定です。

でも、どちらのライブも中にはチケット取れなかったという人もいるでしょうし、お互いライブ、楽しんできましょうo(^∇^o)♪


ちぃさまへ
→はい、おかげさまで新住所の方のダンボールはかなり片付いてきました。
でも、実家に送ったダンボール箱はほとんど整理出来ていないんですが(汗)

そして、決まったら報告してくださるそうなので、その報告が届くまで陰ながら応援しています!

WJの感想。
織姫にはルキアみたいに強くなってほしいし、一護にではなく別の誰かに助けを求めてほしかったというは、ちぃさまもそう思うと。

ええ、確かにアニメの方の織姫は、原作とはちょっと違いますよね。
そして、ちぃさまのご意見にも、そうだなって思いましたよ。
本当の強さや優しさは極限状態で現れる。
ルキアは、海燕殿のあの一件の時も浮竹隊長に逃げろと言われたのに戻ってきました。
逃げろと言われて、自分でもあんな海燕殿を見て、どうしようもなくなっていたと思います。
それこそ、今回の織姫のようにパニック状態だったでしょう…。
それでも、ルキアは戻った。

たぶん、身体が動いちゃったんでしょうね。あの状態で、冷静に考えて行動出来る余裕なんて無いはずですし…。
海燕殿を助けたくて、それだけで。自分が戻っても何も出来ないかもしれない。それでも、戻らずにはいられなかったんだと思います。
そういうルキアの行動を見ていると、やっぱりちぃさまの言うように一護を取り戻すために命を張る気がします。
一護は、正気に戻った時にルキアに何で俺のためにここまで無理したんだよッって言うかもしれないけど(それこそ、泣きそうになりながら)、ルキアなら、“そんなの…お互い様だろう”っていう気がしますね。

一護だって、ルキアの処刑を止めるために尸魂界へ乗り込んだ時は、何度も重傷を負っているんだし。

でも、そうぜずにはいられない、という気持ちがきっとどちらにもあるんじゃないかなって。

ええ、叫びはいつでもどうぞ…!

あと、ちぃさまも年頃なのに〜といわれるそうで、私と同じなんですね(^^)

あ、それわかります(笑)
仕慣れないことをしたり、着慣れないものを着たりすると、逆に〜っていうの。

相手が不快にならない最低限の格好&メイクを心掛けているというちぃさまのお言葉に、なるほど!と思いましたよ。
でも、ちぃさまも私と同じで、流行りの服やメイクより趣味にお金を使っちゃうようで、なんだか親近感〜!

これは、なかなか直せないですよね。


ということで、拍手レス終了。
拍手レスが遅くなり大変申し訳ありませんでした(>_<。)


24日は、修了式や先生方への挨拶、配布物の受け取り他、実家に戻るバスに乗るまで1日中バタバタで。
高速バスに乗って携帯見たら、今度は友達や他からのメールを7件くらい受信してたから、返信、返信、返信って返事を打ち、拍手レス以外の日記を書いたところで、バス到着。

あとは、車で迎えに来てくれたお母さんと話ながら実家へ。
家に着いた時は、もう夜中の00:00も過ぎていました。
晩ご飯食べてなかったので、ご飯食べて、お風呂入って、夜中2時に就寝―。

25日は、朝8:30に起きて着替え、おじいちゃんの仏壇にお菓子を置き、修了しました報告。

それから、朝ごはんを食べ、おばあちゃんと少し話してから、倉庫へ行き、引っ越しの時に実家に送ったダンボール20箱から、習字道具の入ったダンボールを運んできて、夕方からの習字の準備。
それから、お父さんに駅前に送ってもらい、パソスクールに行って勉強、夕方から習字の稽古、帰宅したら夜の22:30。
リアタイだけ書いて、疲れちゃったので、お風呂入ってバタンキュー。

で、26日。朝7:00に起き、ご飯食べたり準備してから、車で駅前まで行って9:00〜12:00までパソスクール、それが終わってびゅうで帰りのチケットを買ってから、母方の実家に行き、仏壇に線香あげて、具合が悪いと聞いていたおばあちゃんと話をして、それから住民票の転出のために、市役所へ。

で、保険証も返却したり、手続き。
それ終わって、買い物をして、帰宅。

という感じでした。

これが、日記に現われなかった3日間。

お母さんに、「たぶん実家にきてもバタバタよ。というか、華月は実家に帰ってもいつも走り回ってるけど」と帰省前に言われてはいたんですが、ほんとそうだ。

パソはですね、私エクセルが苦手で(汗)
今まで表とかもワードの罫線を使って作ることが多くて。
どうしてもエクセルじゃなきゃダメって時しか、エクセルを使ってなかったんですよ(。_。)
でも、仕事するのにエクセル使えないと駄目だし、と思い、25・26日と勉強してきました。
あと、絶対使うんだけど、私じゃ出し方がわからなかったことも訊いてきましたよ。
パソスクールの先生にきいたら、「私もそれは、やったことないですね。ちょっと待ってください。調べてみますから。その関数もあるんじゃないかな?」と言われ、調べてもらったらあった!

パソスクールの先生とまずここを出して、それから〜とやっていったら数値きちんと出たんですが(やっぱり関数の式があるんですね。fxのところに入れる。)、これをこれから定期的に自分でやっていくのかと思うとちょっと不安でもあります(>_<)

あと、習字も久々に書いてきました。
今回は賞状書きをやってみましたよ。
感謝状とか賞状とか。

ちょっと頼まれたんですよね。賞状書きやってくれって。

しかし、あれは、難しいですね(゚_゚)
まず、書く以前に賞状の中の寸法を測って、原稿を作らないときちんとおさまらないという。(原稿は、本文を何行でおさめるか、文章の区切り、一行ごとの文字数が違っても、上下を均等にそろうように考えるために作るんだそうです。)

今まで、何かの大会で賞もらったとか、あとは学校とかでも卒業証書とかもらってきましたが、あの表彰状とか証書をきちんと本文を均等に、紙というか用紙にピタッとおさめて書くのが、どれほど難しいか…

初めて知りましたよ。

でも、頼まれて引き受けると勉強にはなります。

何事も経験ですよね。

私、中学三年の時に、体育祭のスローガンを筆で布に書いてくれって頼まれたことがあったんですが、布はものっすごい書きずらいんですよ…
そもそも、布に筆で字を書くってあまりないですしね(・_・)
でも、あれもやってみたから少しわかるわけで、色々やってみるのは、大事だなぁと思いました。

あとは、こっち、私が来てからずっと雪…
昨日運転はしましたが、お母さんから、道路がツルツルテカテカまでいかないから、運転させるけど、スピード落として慎重に運転するように、と言われました。

寒いです、寒すぎです(。_。))
今の時期でも朝から晩まで1日中ストーブだし、夜寝る時も電気毛布を使う。

一面、雪で真っ白。

もうすぐ4月なのに…。


ホント、帰省して思わず言った言葉が、“たんださんびぃ!”でしたよ。
標準語にすると“とっても寒いよ!”ってことです。

私、こっち帰ると完全に方言ばかりで喋るから。


さて、ただ今27日ですが、これから、DoAsライブ…!


楽しみです♪

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18:14
日記第一弾。修了…!
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では、ここだけ追記。えっと24日部分には日記を2つアップ。

今のこの第一弾が、24日の夜、帰省の高速バスで書いた日記です。
第二弾には、拍手レスがありますので。

では、以下が24日当日に書いた日記です。








えっと、修了式、終わりました。
先生方にも挨拶をし、Kちゃんや後輩達と写真も沢山撮ってきましたよ。
私は、普段あまり泣いたりしないし、泣かないと思っていたのですが、すべて終わって最後にKちゃんと別れる時には、涙が止まらなくて大変で。

そしたら、その地下鉄の駅にKちゃんの先生が来て、二人で泣いているところを見られてしまいましたが、今くらい泣いてもいいだろう的なことをおっしゃってくださって、二人で目を赤くしていました。

3年目、Kちゃんがいたから踏張れた時も沢山あった。Kちゃんも頑張ってる、私も頑張らなきゃって、そう思って。
沢山話をして、お互いに笑ったり、辛かったり、そうやって乗り越えてきたことも。
だから、色々な気持ちが込み上げて、涙が止まらなかった。

院にいた3年間を振り返ってみると、他の皆よりは遅かったけど、本当に走ってきた3年間だったな、と思っています。

院という場は、大学の延長線上にあるけど、大学の時とはまた違う。
想像以上に忙しく、そして厳しくもありました。

だから、精神的に大丈夫だったかと言われれば、そうじゃない時もあった。
すごい凹んだ時もあったし、1年目の秋とかやつれたって言われたこともありました。
教授には、毎回ゼミで怒鳴られ、その度に自分の知識不足や調べ方・考え方の甘さを感じては、凹み…。


でも、そのうち凹むくらいなら、次の発表のことを調べたり、次に生かすことが大事だと気付いた。
そうやって、いつの間にか打たれ強くもなりました。

そして、私は元々物事に対する視野が狭いので、院に来てそれも少しは…以前よりは広がったのかな、と。

まぁ、教授にもお父さんにも、もっと広く物事を捉えろ、見ろ!

と今も言われます。


だから、社会に出る上でそれも広げていかないと。


そして、修了式の後にKちゃんの先生からは、もう少し自分を認め、自信を持つことが大事だと言われました。
論文でも、口頭試問を終えた後は、こう考えればよかった、この史料を使えば、また見解も変わってくるんだと教授の指摘で気付いて。
すると、3年間、ストレートで修了した皆より1年多くかけて研究しても、まだいたらない部分が多々あるのだと考え込んでしまう。

でも、Kちゃんの先生に“完璧なんて出来るわけがない。完璧なら指導する必要もないし、そもそも何十年も専門に研究してきた先生のように考察出来るところまでいかないというのは、ある意味当たり前だ”、と言われました。
読んでいる論文の数も知識も経験にも圧倒的な差があるんだからって。

自分は、あなたの論文指導をしたわけじゃないけど、それでもあなたのことは、○○先生から聞いてる。

そして、頑張ってきたことも知ってる。

そして、いいところも悪いところも含めて久遠華月という人間なんだから、もっと自分を認めてあげて、それを自信につなげなさい、と言われました。

あとは、あなたの職業で一番アンテナをたてておくべき点は、ここ!

というアドバイスも。


Kちゃんの先生には、去年の春も悩みというか色々、Kちゃんと二人で話を聞いてもらい、沢山の言葉をいただきました。
その時、先生がおっしゃっていたことは、3年目が終わって、確かにそうだったと思うし、間違ってはいなかったです。

私は、教授だけじゃなく、他の先生方にもお世話になって、ここまで来ることが出来ました。


3年前に、院への進学を決めたのは、私自身。
そして、進学を決めた理由があった。
勿論、進路にはすごく迷ったけど、それでも今の私は『3年前に院への進学を決めて正解だったよ!』と言える!

だから、今は自分の周りの人達に有難うの気持ちでいっぱいです。

先生方にも両親にも、友達にも、そして皆さんにも!


私は、サイトでも日常の話を日記に書いていて、その時に皆さんからも沢山声をかけていただきました。

論文のこと、体調のこと、就職のこと―。
お疲れ様です、とか大丈夫ですか、とかおめでとうございます!とか。

あと、私の何気ない日常のお話を聞いてコメント残してくださったり、アドバイスしてくださったりも。
そういうことが、私はとても嬉しいし、なんていうんでしょうね、皆さんのコメントを見ているのは、安らぎの時間にもなってます。

感想とかご意見とかレスしながらお話したりとか。

だって、研究とか勉強ばかりしていれば、やっぱり息が詰まる時だってあるし、話したり、好きなことをする時間も大事だって私は思う。

だから、皆さんと話したり、好きなことや物(イチルキとか音楽の話とか本誌の感想とか)について熱く語ったり、そういうこともして、適度に生活のバランスがとれていたんじゃないかなって。
だから、大変な時も頑張れた部分あります。

皆さんにも、この場で改めてお礼を。

本当に有難うございます…!

4月から、また新たな一歩を踏み出しますが、サイトの方も出来るだけ顔を出せればな、と思うので、これからもよろしくお願いしますね(^-^)

それでは、修了にあたっての挨拶終わりです!

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