半妖姫〜第一部〜

□二十八章
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その夜。明日の朝食は私が作ることになっていたので、夕飯の後片付けを終えてからその下準備に取り掛かったところ……すっかり作業を終えて部屋へ戻るのがいつもより遅くなってしまいました。
夜を迎え静まり返った八木邸の廊下を、私は一人自室に向かい歩いている最中でした……が。


「……。」
「え、えっと!あ、あの、これは…、その!」


広間の傍を通り過ぎてすぐのところで。私は思いがけず千鶴さんと遭遇することになったのです。
このような夜分にこのような場所で千鶴さんに会うとは意外で、私は少し驚いてしまいました…が。それは千鶴さんも同じようで、とても取り乱していました。


「わ、私、ちょっと…その、いろいろありまして…!」
「……。」
「優衣さんは、こんな夜分にどうしてここに…?」


炊事場で明日の朝食の下拵えをしていました、と伝えるにはどうするべきか。
私の脳内がそれを考え始めようとした……その時。不意に、私達の背後……広間の方から、何やら襖の開く音が聞こえてきました。


「……あれ?」
「……?」


誰かが広間へと入っていったことは明白です。私達が言えた義理ではありませんが、それでも…一体こんな夜遅くに誰が広間へ入っていったのでしょうか?
顔を見合わせて私と千鶴さんが首を捻った……直後。


「優衣。」
「「!」」


名を呼ばれ、声のした方を見下ろすと…足元にミケがいつの間にかやって来ていたのです。
千鶴さんも恐らく「にゃあ。」と聞こえたであろうミケを見下ろし目を丸くしていました。


「今ここで何か物音がしなかったかい?」


どこか真剣に尋ねてくるミケに私は小さく首を縦に振ります。すると、ミケは軽く舌打ちをし…あろうことか広間の方へタタッと駆け出して行ったのです。
突然のことに私は驚くのと同時に、誰が居るかも知れない広間へ向かっていったミケが心配になり、急いで後を追いました。


「あ、ま!待ってください、優衣さん!」


急に走り出した私に驚いたのか千鶴さんもバタバタと後を追ってきます。
私達はすぐに広間前へと到着しました。そして、おそるおそるミケや千鶴さんと共に広間内を覗き込んでみると……そこには山南さんの姿があったのです。


「…山南、さん…?」


戸惑うように小さく千鶴さんがそう零すと、その声が聞こえたのでしょう。山南さんがこちらを振り返ってきました。


「まさか君達に見つかるとはね。正直、予想していませんでしたよ。」
「え……?」


言葉の意味が理解できずためらいの声を漏らす千鶴さんの横で、私は何よりも彼の表情に戸惑いを感じてなりませんでした。山南さんは、全ての悩みが解決したような…とにかく不思議なくらい、そして不気味なほど爽やかな笑顔を浮かべていたのです。


「さ、山南さん……?」


千鶴さんも彼の笑顔に気がついたのでしょう。戸惑いの声音が更に深まります。……と、その時。
ふと、山南さんの手元で何かが揺れました。


「……これが気になりますか?」


私と千鶴さん、そしてミケの視線が一斉に注がれたのに対し。彼は尋ねます。
山南さんが手にしていたのは、硝子の小瓶でした。中には、毒々しい真紅の液体が満ちています。


「雪村君。これは君の父親である綱道さんが、幕府の密旨を受けて作った【薬】です。」
「え……?」
「元々、西洋から渡来したものだそうですよ。人間に劇的な変化をもたらす、秘薬としてね。」
「……劇的な変化、ですか?」
「ええ。単純な表現をするのでしたら、主には筋力と自己治癒力の増強でしょうか。」
「「……。」」


私も千鶴さんも唖然となってしまいました。どういうこと、なのでしょう?
もし山南さんの言っていることが本当であれば、すごい話です。千鶴さんの父上様は、蘭方医と伺っていましたが…研究者とも言えるのかもしれません。


「しかし、それには致命的な欠陥がありました。」


山南さんは微笑みをそのままに語り続けました。


「強すぎる薬の効果が、人の精神を狂わすに至ったのです。投薬された人間がどうなるか……。その姿は、君達もご覧になりましたね?」
「「……っ!?」」


彼の言葉が何を指しているのか、私と千鶴さんは直感的に察しました。
それは…今から約一年と少し前。初めて京の地を踏み、新選組と出会うことになったあの夜に…私達が遭遇してしまったもの。そして私に至っては、あの夜より更にもっと前に……あの化け物達に故郷を滅ぼされていたのですが……まさか、あの化け物が…元は、人間だったと…?


「どうやら思い当たられたようですね。……君達が出会った、あの隊士達に。」


山南さんは満足そうに目を細めますが……私はすっかり身体が硬直してしまいました。
何を…彼は、何を言っているのでしょうか…?


「薬を与えられた彼らは理性を失い、血に狂う化け物と成り下がりました。」
「そんな薬、どうして……。」


まさか父上様がそのようなものに関わっていたとは思ってもいなかったのでしょう。
千鶴さんもまたすっかり身を固くしていました。


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