No.6

□君中毒
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「―……っ!?」
ネズミははっと目を覚ました。体中をいやに冷たい汗が流れている。ひどく不快な感じだが、しかし彼はその理由である夢の内容を覚えていない。ややもすると、最早夢を見たことさえ忘れてしまっているのかもしれない。

だが目を覚ました理由自体はかなり明白だ、きっと隣にいつもの体温を感じなかったがためだろう。もう少し詳しく言うなれば、その体温は既に暫く前からなくなっていたのだが。きょろきょろと辺りを見回すがネズミの求める白髪の少年は見当たらない。

どこにいる。

胸の奥がざわざわと揺らめく。

どこに行ったんだヤツは。
あわてて外を確認すればまだひたすらに真夜中。まさか外に出てはいないだろう。西ブロックの夜は余りに危険すぎる、それ位分かっているはずだから。それ以前に彼は出掛ける際には必ず俺にそう告げる。何か理由があって出掛けるにしたって、彼の気配が変われば俺は分かるはずだ。更に言えば彼の靴はそこに無造作に置いてある。つまり、そう、外には行っていないはず。だとしたら、外にいない、のだと、したら――……
……気持ち悪い。

思考がまとまらない。自分が酷く乱されているのが分かる。額から汗が噴き出した。先程のそれらとは比べものにならない程の量。拭っても拭っても、収まらない。

頭が痛い。

紫苑。どこにいるんだ紫苑。頼むから戻ってきてくれ。ネズミは呻いて寝具に倒れ込んだ。外にいないのであれば家のどこかに必ず居る筈。そんなことにすら彼は気付かない。いや気付けない。今やネズミは頭を抱え必死に気を保とうと呼吸する。

めまいがする。

最早探しに行く事など不可能。あたりを見渡す事さえ不可能。足が動かない。手が動かない。脳が働かない。

ただひたすら紫苑を求めるのみ。


「……ネズミ?」


声がした。
ネズミはあわてて振り向く。頭をもたげ音源を探る。そこには。

「……紫苑」
月の発する控え目な照明を浴び、紫苑はそこに立っていた。ネズミの顔を見、そしてぽかんとしながら。見れば紫苑の体には無数の水滴。ネズミは問うた。
「どこにいた」
問われた人物は小首を傾げた。そして当たり前のように笑みながら言った。「シャワー浴びてたんだ」
妙な夢見て、汗かいちゃって。気持ち悪かったから少しシャワー室にいたんだよ。
「……」
紫苑は答えた。にも関わらず、ネズミは返事をしない。
もしこの時点で部屋があと僅かでも明るかったならば、紫苑はネズミの顔が見えたのかもしれなかった。

狂喜と狂気の入り混じったその顔を。
美しい顔を酷く歪ませたその顔を。

「それがどうし……ネズミ?」
先程の問いを疑問に思ったのだろう紫苑は彼に問い掛けかけた。しかしそれは突然立ち上がったネズミに目を奪われ中断される。

ネズミは無表情で紫苑へ向かい歩いていた。僅か5mもない空間を満たすようにゆっくりと。そのただならぬ表情に紫苑は狼狽し固まった。
「…ネズ」「紫苑」
びく、と紫苑は反応した。ネズミの声は明らかなる怒声。静かな物言いに、それが故紫苑は後退る。
「ひっ…!」
だがネズミは一気に間合いを縮めその体を掴んで行為を阻止した。掴んだ腕は濡れている。怯える彼にネズミは言った。
「大好きだ」
「……え」
大好きだ。彼は、使い古された比喩そのまま、壊れたテープレコーダーのように繰り返した。何度も。何度でも。
大好きだ。大好きだ。大好きだ大好きだ大好きだ。だから。
掴まれた腕はいつの間にか解放され、その替わりにと今度は背中を掴まれていた。つまりは抱き合う形。しかしその言葉を使うには、その包容は、あまりにも。
「……ネズミ。苦しい。分かったから、だから少し離し、」「紫苑。大好き」
彼は繰り返す。繰り返しを繰り返す。言う度に背中の締め付けは強くなる。これは最早痛み。純粋なる苦しみ。
「……ネ……ズミ。分かったから……分かったから離し…」「離したらどこかへ行くだろう?」「…え?」
唐突なその言葉に紫苑はたじろいだ。
「何言って……行かない。行かないよ。どこにも行かないからはな」「嘘つき」
締め付ける力は益々強くなる。背中側の骨がぎしぎしと鳴った。く、と紫苑は息を詰めた。抵抗したくても腕ごと抱き締められているため、それはできない。
「ネズミ……ッ!」「紫苑。お前は知らないんだよ。俺がどれほどお前に依存しているか。だから」
だから教えてあげる。







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