賜物部屋2

□night blue black
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いつの頃からか、彼は光を厭うようになった。
 蛍光灯の明かりすら避けるように俯く彼のために、密やかに繰り返される逢瀬のときも一切の明かりを落とした部屋で手探りのままその身を求める。
 徐々に闇に慣れ、カーテンの隙間から零れる僅かな光に助けられて、やがて視界はおぼろげな輪郭を辿ることを許されるものの、彼の顔を、その表情を、映すことはない。
 だから触れる。見ることが叶わないのならせめてと、手で、唇で、舌で、触れ合う全ての皮膚で彼の存在を感じ取る。
 やわらかくつるりとした頬がだんだんとそのふくらみを失くし、そのかさつきを隠すように無精ひげに覆われていくのも。いつも浅く引かれ笑みを模っていた唇が笑みを忘れて歪んでいく様も。切り詰めた生活とストレスから栄養摂取が難しくなった身体の、衰えていく筋肉と浮き出る骨の感触も。
 失われいくものを惜しむ気持ちもあるが、それ以上にこの感触が、この存在が、そこにあることを確かめるために触れる。
 ニット帽の中で押し潰され、栄養不足でぎしぎしと軋む髪も、流れ落ちるはずの水が留まるほど肉の薄れた鎖骨も、ピアノ弾きを名乗るにしては力のない、縋ることを忘れたその指先も。
 余すことなく指先で辿り、くちづけを落とし、舌を這わせ、この手で腕で身体全てで、彼を閉じ込めるように抱き締め、望むままに抱き潰す。
 優しくしないでくれと彼は言う。やわらかな愛撫よりも、痛みを感じるほどその身の奥深くを穿たれるほうがいいと甘く強請る。
 かつては背に回され悦楽の爪痕を残した手はきつく握り締められ、抱き締め返してくれた腕は全てを拒絶するように顔を覆う。
 押し殺された声も流される涙も、そこに帯びる色は喜悦よりも苦痛だと気づいたのはいつだろう。それでもこの行為を拒まれることはなく、むしろ先を促され求められる。
 まるで、自ら罰されることを望む罪人のように。
 爛れた好意の果てに意識を失ったひどく軽い身体を抱き上げ、乱れきったシーツの上に横たえ、手を離す。
 どれほど必死に抱き締めても、数多のものは掻き抱いた指の隙間から零れ落ち、いつしかその唇から紡がれていた愛の言葉さえなくなった。
 それでもいい。その姿が見えなくとも、愛が失われ情が途絶えたとしても、そこにいて、触れられるのならば。生きてさえ、いてくれるのなら。
 キミが光を厭うなら、私はこの身を闇に窶そう。キミが静寂を望むなら、私は沈黙の鐘を鳴らそう。
 いつか全て罪と陰謀が白日の下に曝される時まで。
 その光を受け、キミが笑顔を取り戻すまで。
 たとえこの手から失われたものは戻らなくても、光の果てに残されたぬくもりすら失ってしまうとしても。
「成歩堂…」
 愛していると言葉に出来なくなった想いを込めて、眠る彼の唇にそっと触れた。






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