其れ華番外編集
□其れは芽生える若木の如し
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わたくしの気も知らないで、と言わんばかりに添木は顔を朱くした。
茴香は知らないだろうが、薫の笑みは男女問わず虜にしていたのだから。
添木は気を紛らわそうと、カサ、と文の折り目を開いていく。
達筆な筆文字が墨色に連ねられている。
添木は目を通した。
「嘘……でしょう……」
添木は目を見張り、言葉を失う。
まさか、そんな……。
「どうしたの?」
「靖彦、さま……」
添木は幻を見るような顔をして、文を持つ手をかたかた震わせた。
茴香は何故添木が動揺しているのか分からない。
分からないなりに、震わせる手を優しく握った。
「靖彦さまって誰なの?添木」
「わたくしの……許婚でございますわ。十年ほど、前の」
やすひこ。
茴香が聞いたこともない名である。
そう言えば幼い頃から仕えてくれていた添木のそのような話など聞いたことがなかった。
「初めて聞いたわ。……詳しく教えて?」
「え、えぇ……あれは確か……」
懐かしい、思い出。
――――――――――――***
十二歳の夏。
その日は母親に連れられて、初めて仕える邸に訪れていた。
そこは今まで住んでいた場所とは違い、間違いなく時の権力を持っている威厳のある貴族の邸で、とてつもなく広かった。
時の権力者、右大臣大江義能。
乳兄弟である右大臣家の四の君にお仕えするのが添木の仕事だと言われた。
そして初めて訪れただけに、早々と母親とはぐれてしまう。
「母上ったら、相変わらず歩くのが早いんだから……」
邸内で迷った添木はふてぶてしく言ったが、それほど余裕でもなければ時間もなかった。
この後に四の君に対面するのだと母親が言っていたから。
きょろきょろと辺りを見回す。
目の前には大きな池と美しい花々。成る程ここは釣り殿だ。
水の近くだけあって涼む場所には持って来いの場所。
「……どうしよう」
添木は小さく呟いた。
下を俯いて歩いていたものだから、母親がどの方へ歩いて行ったのかも分からない。
初めて主に仕える不安に押しつぶされていたら床に擦れる衣擦れの音さえ聞こえなくなっていた。
添木は取り敢えず落ち着こうと、階へ腰を下ろした。
夏の暑さを和らげるように、水のあたりから心地よい風が吹く。
その風と共に、彼は現れた。